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「主は私の味方、究極の避け所——人の力の限界の先で働く、全知全能の守り」
【説明文】
詩篇118篇6節〜14節の力強い約束を解き明かし、全知全能の神が常に私たちの味方であるという絶対的な希望を語るメッセージです。他者の困難に寄り添い、日々奔走する中で直面する「人間的な力の限界」。その絶望的な壁の前に立たされたときこそ、神の守りと救いが最も力強く輝きます。人の助けが役に立たない夜であっても、決してあなたを見捨てない主の愛に触れ、再び立ち上がる力を得るための励ましのメッセージです。
6 主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。
7 主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。
8 主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。
9 主に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい。
10 すべての国々が私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。
11 彼らは私を取り囲んだ。まことに、私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。
12 彼らは蜂のように、私を取り囲んだ。しかし、彼らはいばらの火のように消された。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。
13 おまえは、私をひどく押して倒そうとしたが、主が私を助けられた。
14 主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。 詩篇118篇6節〜14節
はじめに——誰かを支えるわたしの手が、行き場を失うとき
ある冬の夜のことです。精神的な困難や複雑な生活問題などを抱える人々の相談に乗り、彼らの生活を守るために日々奔走している一人の支援者がいました。その人は、長年にわたり多くの人の痛みに寄り添い、関係機関と連携し、時には法的な手続きの矢面に立って、文字通り「人の避け所」になろうと身を粉にして働いていました。
しかしある日、担当していた方が、人間の力や社会の福祉制度ではどうにも解決できない深い絶望の淵に立たされてしまいました。支援者はありとあらゆる手段を尽くしましたが、状況は悪化するばかり。「私がこの人を守らなければ」と背負い込んできた重圧と、何一つ好転させられない自分の無力さに打ちひしがれ、帰りの車の中でハンドルに突っ伏して声を上げて泣き崩れました。「もう、人間の助けは何の役にも立たない……」。
その深い暗闇の中で、ふと心に響いてきたのが、かつて何度も口ずさんだ詩篇の御言葉でした。 「主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。」 その瞬間、張り詰めていた心の糸がふっと解けました。「そうか、究極の避け所は私ではなく、神様なのだ。そして、その全知全能の神様が、あの人だけでなく、無力なこの私の『味方』でいてくださるのだ」と。涙はいつしか、深い平安へと変わっていきました。 (わたし自身の経験談です・・・)
私たちが「人の助けが何の役にも立たない」という現実に直面するとき、それは絶望の入り口ではなく、全知全能の神の絶対的な介入が始まる恵みの入り口なのです。
1. 詩篇118篇6節〜14節が語る「三つの約束」
詩篇118篇6節から14節には、苦難の中にある私たちが心に刻むべき、力強い神の約束が記されています。
① 恐れからの解放——「主が味方である」(6〜7節)
「主は私の味方。私は恐れない。人が私に何をなしえようか。」(6節) この言葉には、圧倒的な安心感があります。私たちが恐れを抱くのは、自分が一人ぼっちだと感じるからです。しかし、天地を創造された全知全能の神が「私の味方」であるなら、一体何を恐れる必要があるでしょうか。人々がどんなに敵対しようとも、状況がどれほど悪化しようとも、私たちの背後には宇宙で最も強大な方が立っておられます。
② 人や権威への依存からの解放——「究極の避け所」(8〜9節)
「主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。主に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい。」(8-9節) ここで語られているのは、人間関係や社会的な地位、制度に対する信頼の限界です。私たちは困難に直面すると、まず目に見える助け(人脈、専門家、権威ある者)に頼ろうとします。しかし聖書は、それらは決して完全な避け所にはならないと語ります。究極の安全地帯は、主の御翼の陰にのみ存在するという約束です。
③ 包囲する苦難に対する勝利——「主は私の力、私のほめ歌」(10〜14節)
10節から12節には「すべての国々が私を取り囲んだ」「彼らは蜂のように私を取り囲んだ」と、逃げ場のない恐ろしい包囲網が描かれています。次から次へと問題が押し寄せ、まさに窒息しそうな状態です。しかし、「主の御名によって、私は彼らを断ち切る」と勝利が宣言されます。「あなたは私を激しく突き倒そうとした。しかし、主は私を助けられた。」(13節)。どんなに激しい攻撃があっても、主が必ず助け、最後には「主は私の力、私のほめ歌」(14節)へと変えてくださるという輝かしい約束です。
2. 人の助けが「何の役にも立たない」と知る恵み
制度や人間の限界に直面する現実
私たちは生きる中で、時として「人間の助けが全く無力である」と思い知らされる出来事に遭遇します。病の宣告を受けたとき、複雑に絡み合った人間関係が破綻したとき、あるいは誰かの人生を必死にサポートしようとして限界の壁にぶつかったとき。社会の福祉制度や法律、医療、あるいは自分自身の経験や専門知識のすべてを動員しても、どうにもならない現実があります。「人の助けが何の役に立たなくても」という言葉は、まさにこの痛切な現実を表しています。
限界の先で出会う、全知全能の神の御手
しかし、人間の助けが尽きた場所は、神の助けが始まる場所です。私たちが「自分にはもう何もできない」と両手を下ろしたその時こそ、全知全能の神様がその力強い御手を伸ばしてくださるのです。私たちが握りしめていた「自分の力」や「人への期待」を手放し、ただ「神様、助けてください」と叫ぶとき、主は最も確実な「苦難の時の避け所」として私たちを包み込んでくださいます。
3. 主は決してお見捨てにならない
激しい攻撃の中でも、主が突き返す
詩篇の作者は「激しく突き倒そうとされた」と語っています。悪魔は、私たちが絶望し、神の愛を疑うようにと、様々な苦難や恐れを用いて激しく突き倒そうとしてきます。「お前はもう終わりだ」「誰も助けてはくれない」と囁きます。しかし、私たちが倒れそうになるその瞬間、主の力強い御手が私たちを支え、敵の攻撃を突き返してくださるのです。どんなことがあっても、私たちを見捨てることはありません。
私たちの背後にある「絶対的な味方」の存在
「神様は私たちの味方です」。この言葉を、どうぞ何度でもご自身の魂に語りかけてください。全知全能の神様は、遠く離れた天の御座から私たちを傍観しているのではなく、あなたの悩み、苦しみ、流す涙のただ中に降り立ち、あなたの隣で「わたしが共にいる」と肩を抱いてくださる方です。あなたが一所懸命に他者を愛し、守ろうとして傷ついたその心を、誰よりも深く理解し、慰めてくださる最大の味方なのです。
結び——恐れを手放し、主の御名によって歩み出す
どのようなつらく恐ろしいことが目の前に立ちはだかろうとも、もう恐れる必要はありません。人の助けが役に立たないことは、絶望の理由ではなく、神の絶対的な守りを体験するための特権だからです。
限界を感じたなら、そのままの姿で神様の御許(みもと)に駆け込んでください。主は決してあなたを拒むことなく、その広い御腕の中に休ませてくださいます。全知全能の神様が、必ずあなたを守り、あなたの愛する人々を守り抜いてくださいます。今日、不安と恐れを主の十字架の前に下ろし、「主は私の味方」という力強い賛美とともに、新たな一歩を踏み出していきましょう。主の豊かな平安と守りが、あなたの歩みの上にいつも豊かにありますように。
