愛される価値なき私を愛してくださった神様の恵み~救われる資格のない者に与えられた永遠の救い~

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愛される価値なき私を愛してくださった神様の恵み~救われる資格のない者に与えられた永遠の救い~

「愛される価値なきものを愛してくださり、救われる資格のないものに永遠の救いを与えてくださった神様の恵みを感謝します。」

クリスチャンとして歩んでいると、この言葉の重みを改めて感じることがあります。

私たちは、自分がどれほど神様に愛されているのかを忘れてしまうことがあります。

失敗したとき。
罪を犯してしまったとき。
思うように信仰生活ができないとき。

そんなとき、「こんな自分を神様は本当に愛してくださっているのだろうか」と考えてしまうことがあります。

しかし聖書は、私たちが立派だから愛されたのではなく、神様が愛だから愛してくださったのだと教えています。

今日は、その「神様の恵み」について見ていきましょう。


神様の恵みとは何でしょうか

恵みとは「受ける資格のないものが受ける祝福」

私たちは普段、「頑張ったからもらえる」という世界に生きています。

勉強を頑張れば良い成績をもらえます。
仕事を頑張れば給料をもらえます。
努力すれば評価されます。

これは当然のことです。

しかし神様の恵みは違います。

恵みとは、

「受ける資格のない者が、一方的に受ける愛と祝福」

です。

神様の恵みはご褒美ではありません。

プレゼントです。

しかも、何の見返りも求めない愛のプレゼントなのです

私たちは恵みによって生かされている

朝、目が覚めること。

呼吸できること。

食事ができること。

家族がいること。

今日も生かされていること。

これらすべてが実は神様の恵みです。

私たちは当たり前と思っていますが、当たり前のものなど一つもありません。

すべて神様から与えられているものなのです。


聖書が語る私たちの本当の姿

私たちは神様から離れ無視し逆らい刃向かってきた罪人であった

聖書は人間について非常に正直に語ります。

ローマ人への手紙3章23節(新改訳聖書第三版)

「すべての人は、罪を犯したので、神から受ける栄誉を受けることができず」

聖書は「すべての人」と言います。

牧師もそうです。

クリスチャンもそうです。

立派な人もそうです。

私たちは皆、神様の前では罪人なのです。

救われる資格を持つ人は一人もいない

たとえば病院に行ったとき、自分が病気であることを認めなければ治療は受けられません。

同じように、自分が罪人であることを認めなければ救いの必要性もわかりません。

聖書は、誰一人として自分の力で救われる人はいないと教えています。

神様の基準は完全だからです。

その神様の完全な基準の前に立つと、私たちは皆不足しているのです。


それでも神様は私たちを愛してくださった

愛される価値があったからではない

ここに福音の素晴らしさがあります。

ローマ人への手紙5章8節(新改訳聖書第三版)

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」

この御言葉には大きな感動があります。

「罪人でなくなったとき」ではありません。

「立派になったとき」でもありません。

「教会に通うようになったとき」でもありません。

まだ罪人であったときです。

神様は、私たちが良くなってから愛したのではなく、最も汚れていたときに愛してくださいました。

十字架は神様の愛の証明

愛は言葉だけでは証明できません。

行動が必要です。

神様は十字架によって愛を示されました。

独り子イエス・キリストを私たちのために与えてくださったのです。(十字架の身代わりの死)

これ以上の愛はありません。


神様の恵みをたとえで考えてみましょう

借金を全額肩代わりしてくれた王様

ある人が莫大な借金を抱えていました。

一生働いても返済できません。

絶望していました。

そこへ王様が来て言いました。

「あなたの借金はすべて私が支払った。」

借金はゼロになりました。

その人は何もしていません。

ただ受け取っただけです。

これが恵みです。

私たちの罪の負債をイエス様が十字架で支払ってくださったのです。

ボロボロの服を着た孤児の話

ある孤児がいました。

家もありません。

財産もありません。

しかし王様はその子を養子に迎えました。

王家の一員として受け入れたのです。

その子が優秀だったからではありません。

王様が愛したからです。

私たちも同じです。

神様は私たちを神の子として迎えてくださいました。


恵みによる救いとは何でしょうか

救いは努力ではなくプレゼント

エペソ人への手紙2章8~9節(新改訳聖書第三版)

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」

救いは賜物です。

プレゼントです。

プレゼントは働いて得るものではありません。

受け取るものです。

神様は永遠のいのちをプレゼントとして差し出してくださいました

イエス・キリストを信じるだけで救われる

救いは難しいことではありません。

イエス様が十字架で私の罪のために死なれたこと。

三日目によみがえられたこと。

そのグッドニュースである福音を信じることです。

神様はその福音を信仰によって受け入れた者に永遠のいのちを与えてくださいます。


神様の恵みに生かされる幸い

失敗しても見捨てられない

私たちは失敗します。

弱さがあります。

何度も転びます。

しかし神様は見捨てません

なぜなら救いは私たちの努力ではなく神様の恵みによるからです。

弱いままでも愛されている

私たちは完全になってから愛されるのではありません。

愛されているから変えられていくのです。

神様の愛は条件付きではありません。見返りを求めない真実な愛です。

だから安心して神様のもとへ行くことができます。

感謝と喜びをもって歩む人生

エペソ人への手紙1章7節(新改訳聖書第三版)

「この方にあって私たちは、その血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。」

クリスチャン人生は義務(何かを得るために~~しなければならない)ではありません。

感謝(受けるにふさわしくないわたしが神様からの一方的プレゼントを信仰で受け取り、感謝と賛美と礼拝を捧げる)なの人生です。

すでに与えられた救いを喜ぶ人生です。

神様の愛を味わう人生です。


まとめ

私たちは愛される価値があったから愛されたのではありません。

見返りを求めない神様の愛で愛してくださいました。

私たちは救われる資格があったから救われたのではありません。

神様が恵み深いお方だから救ってくださいました。

だから私たちは今日も胸を張ってこう言うことができます。

「私は神様の恵みによって救われました。」

「私は神様の恵みによって生かされています。」

「私は神様の恵みによって神の子とされました。」

テトスへの手紙3章5節(新改訳聖書第三版)

「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自身のあわれみのゆえに、私たちを救ってくださいました。」

愛される価値なき者を愛してくださった神様。

救われる資格のない者に永遠のいのちを与えてくださった神様。

その大きな恵みに感謝しながら、今日も主を見上げて歩んでいきましょう。

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