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【聖書通読 第28週 6日目】ためらいを越えて立ち上がる勇気と、弱さの中で輝く「十分な恵み」の真理
士師記からは、デボラとヤエルの勇敢な姿を通して、恐れずに信仰の歩みを進める勇気を。第二コリントからは、「私の恵みはあなたに十分である」というパウロの体験を通して、私たちの「弱さ」こそがキリストの力が留まる最高の場所であるという奥義を深く味わう一日です。
【旧約】士師記 4章 の解説
士師記4章には、聖書の中でも非常にドラマチックで、かつ「神様が誰を用いられるのか」という重要な原則が描かれています。
イスラエルがカナン人の王に激しく圧迫され苦しんでいた時、神様は女性の士師であり預言者であるデボラを通して、将軍バラクに敵シセラと戦うよう命じました。しかしバラクは、「あなたが一緒に行ってくれるなら行きますが、そうでないなら行きません」とためらいます。彼には軍事的な実力がありましたが、神様の言葉に対する「絶対的な信頼(勇気)」が欠けていたのです。
その結果、デボラは「敵の将軍を討ち取る手柄は、あなたではなく一人の女性のものになる」と預言します。そしてその通り、圧倒的な戦力を持つ敵軍が敗走し、天幕に逃げ込んできた敵の将軍を討ち取ったのは、名もなき遊牧民の女性ヤエルでした。
私たちは時々、「私には資格がない」「十分な知識や経験がないから」とためらい、バラクのように安全な場所に留まったり、誰かの後ろに隠れようとすることがあります。しかし神様は、立派な肩書きや完璧な能力を持っている人よりも、「はい、私がやります」と恐れを乗り越えて一歩を踏み出す「信仰の勇気」を持つ者を豊かに用いられます。
ヤエルは正式な兵士ではありませんでしたが、日常的に使い慣れている「テントの釘と槌」という今自分が持っているものを使って、神様の勝利に大きく貢献しました。困難な状況にある人の相談に乗ったり、心に寄り添ったりする時、あなたに完璧な解決策(立派な剣)がなくても構いません。あなたが持っている「温かく話を聴く耳」や「一緒に祈る心」という身近な道具を、勇気を出して差し出すとき、神様はそれを用いて、傷ついた魂を解放する見事な救いのみわざを成し遂げてくださるのです。
【新約】第二コリント 12章 の解説
第二コリント12章には、クリスチャンが経験する「苦難」についての、最も深遠で慰めに満ちた神様の奥義が記されています。
パウロは「第三の天(パラダイス)」にまで引き上げられるという、誰も経験したことのないような素晴らしい霊的体験をしました。しかし、彼がその特権のゆえに高ぶらないように、肉体に「とげ」が与えられました。この「とげ」が具体的に何であったか(目の病気、慢性的な痛み、あるいは反対者からの迫害など)は諸説ありますが、パウロにとってそれは、耐え難い苦痛であり、伝道の働きを大きく邪魔するものでした。
パウロは、この「とげ」を取り去ってほしいと、三度も必死に主に祈り求めました。偉大な奇跡を何度も起こしてきたパウロの祈りです。当然、癒やされると誰もが思うでしょう。しかし、主の答えは思いがけないものでした。 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」
真珠がどのように作られるかをご存知でしょうか。貝の中に、小さな砂粒などの異物が入り込み、柔らかい身を傷つけます。貝はその痛みを伴う異物(とげ)を取り出すことができないため、自分の内側から美しい分泌液を出して、その痛みの原因を包み込んでいきます。その結果、世界で最も美しい宝石である「真珠」が誕生するのです。
私たちにも、どうしても取り去られない人生の「とげ(弱さ、不器用さ、変えられない環境)」があります。しかし、神様はそれを単なる嫌がらせとして放置しているわけではありません。あなたが自分の弱さを認め、痛みを抱えながらも神様を見上げるとき、そこには神様の「十分な恵み」が注ぎ込まれます。あなたのその「弱さ」こそが、キリストの力が最も美しく輝く、最高に尊い真珠へと変えられていくのです。
今日の神様からの奨め
今日、もしあなたが自分の「弱さ」や消えない「痛み」を恥じ、何とかして隠そうと思い悩んでいるなら、パウロのように「この弱さがあるからこそ、キリストの力が私に留まってくださるのだ」と、視点を変えて喜んでみてください。
また、誰かを助けたいと思いながら「自分には専門的な力がない」とためらっているなら、今あなたの手にある「不器用でも温かい愛」を勇気を出して差し出しましょう。あなたの弱さやありのままの姿を通して、神様の完全な力と慰めがあふれ流れる、素晴らしい恵みの一日となりますように。
時間がある時に、お読みください。『弱い時にこそ強い』


