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【聖書通読 第28週 週間予定表】
第28週の聖書通読予定表を作成いたしました。今週は、ヨシュアの力強い遺言と契約の更新を経て、イスラエルの士師(リーダー)たちの時代である「士師記」へと入っていきます。新約の第二コリント人への手紙では、献金の恵みや、霊的戦い、そして「私の恵みはあなたに十分である」というパウロの弱さの中で完全になる神の力の奥義に触れていきます。
1日目:恵みの記憶と、悔い改めがもたらす清々しい喜び
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通読箇所: ヨシュア記 23章 / 第二コリント 7章
【旧約】ヨシュア記 23章
年老いたヨシュアがイスラエルの指導者たちを呼び寄せ、最後の勧告を行います。彼は、神がこれまでイスラエルのために戦ってくださった数々の恵みを思い起こさせ、これからも主を愛し、御言葉に固く結びつくよう力強く励まします。また、周囲の異邦人との妥協や偶像礼拝がもたらす破滅について厳しく警告し、どんな時も信仰の純粋さを保ち続けることの重要性を説き明かしています。
【新約】第二コリント 7章
パウロは、以前送った厳しい「涙の手紙」によってコリントの信者たちが悲しんだことを、今では心から喜んでいます。なぜなら、その悲しみが「神の御心に添った悲しみ」であり、彼らを真の悔い改めと関係の回復へと導いたからです。世の悲しみは絶望をもたらしますが、神の御心に添う悲しみは救いと清々しさを生み出します。彼らの態度が変化し、互いの信頼が回復したことへの深い慰めが語られます。
2日目:主に仕える決断と、喜んで捧げる豊かな恵み
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通読箇所: ヨシュア記 24章 / 第二コリント 8章
【旧約】ヨシュア記 24章
ヨシュアはシケムに全イスラエルを集め、アブラハムの召命から約束の地に至るまでの、神の真実な救いの歴史を語ります。そして「あなたがたが仕える者を、今日選べ。私と私の家は主に仕える」と力強く宣言しました。民も「私たちも主に仕えます」と応答し、ここで神との契約が美しく更新されます。ヨシュアは110歳で生涯を閉じますが、その揺るぎない信仰の決断は現代の私たちにも強く迫ってきます。
【新約】第二コリント 8章
パウロは、エルサレムの貧しい聖徒たちのための献金について語ります。彼はマケドニアの諸教会を例に挙げ、彼らが極度の貧しみと苦難の中にありながら、あふれる喜びをもって進んで捧げた姿を称賛します。イエス様が富んでおられたのに、私たちのために貧しくなられたこと。そのキリストの恵み(身代わり)を思い起こし、義務ではなく、自発的な愛と喜びをもって与えることの尊さが教えられます。
3日目:妥協の始まりと、喜んで与える者を愛される神
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通読箇所: 士師記 1章 / 第二コリント 9章
【旧約】士師記 1章
ヨシュアの死後、いよいよ士師記の時代が幕を開けます。最初はユダ族が先頭に立ってカナン人と戦い勝利を収めますが、次第に各部族は敵を完全に追い払うことをやめ、妥協して彼らを強制労働に就かせるようになります。神の命令に対するこの「不完全な従順」と人間的な打算が、後のイスラエルに偶像礼拝と苦難のサイクルをもたらす火種となってしまった歴史の転換点が描かれています。
【新約】第二コリント
献金についての勧めが続きます。「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります」。パウロは、捧げ物は無理をして、または強いられてするのではなく、各自が心に決めたとおりにするべきだと語ります。なぜなら、「神は喜んで与える人を愛してくださる」からです。私たちが愛をもって手放すとき、神はすべての恵みをあふれるばかりに与え、あらゆる良いわざを満たしてくださいます。
4日目:世代の断絶による涙と、神の武具による霊的戦い
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通読箇所: 士師記 2章 / 第二コリント 10章
【旧約】士師記 2章
主の使いが現れ、異邦人と妥協したイスラエルを厳しく責めます。民は声をあげて泣き(ボキム)、いけにえを捧げました。ヨシュアの世代が死に絶えると、「主を知らず、主がイスラエルのためにされたみわざも知らない別の世代」が起こり、偶像礼拝に陥ります。【罪→敵の圧迫→苦悩の叫び→士師(救出者)の登場→平和→再び罪】という、士師記全体を貫く悲しいサイクルがここで明確に提示されます。
【新約】第二コリント 10章
パウロは、自らの使徒としての権威を疑う教会内の反対者たちに対して弁明を始めます。私たちが歩む霊的戦いの武器は、人間の知恵や肉の力ではなく、強固な要塞(神の知識に逆らう高慢や嘘)を打ち破る「神の力」です。パウロは、あらゆる思いをとりこにしてキリストに従わせると宣言します。人間的な基準で自分を誇るのではなく、「誇る者は主を誇れ」という真のリーダーシップの姿が示されます。
5日目:繰り返される罪と救出、そして偽りに立ち向かう真実な愛
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通読箇所: 士師記 3章 / 第二コリント 11章
【旧約】士師記 3章
最初の士師たちの活躍が描かれます。イスラエルが罪を犯すと、神は敵の王を通して彼らを訓練されますが、彼らが叫び求めると、オトニエル、エフド、シャムガルといった士師を立てて救い出されました。特に、左利きの士師エフドが、モアブの肥満体の王エグロンを密室で暗殺し、見事に民を解放するエピソードは非常に劇的です。神は人間の弱さや意外な人物を用いて、ご自身の救いのみわざを成し遂げられます。
【新約】第二コリント 11章
パウロはコリント教会への「神の熱心(愛の嫉妬)」を露わにし、彼らが「別のイエス、違う福音」を説く偽使徒たちに簡単に騙されていることを嘆きます。パウロはあえて愚か者を装い、自分がキリストの真の僕であることを証明するために、鞭打ち、投獄、難船、飢え渇きといった自らの凄まじい「苦難のリスト」を誇ります。それは自己顕示のためではなく、彼らを真の福音に引き戻すための血の滲むような愛の叫びです。
6日目:立ち上がる信仰の勇者と、弱さの中で完全にされる神の力
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通読箇所: 士師記 4章 / 第二コリント 12章
【旧約】士師記 4章
女性の士師であり預言者であるデボラが登場します。彼女はバラクに敵の将軍シセラと戦うよう命じますが、バラクは「あなたが一緒に行かないなら行かない」とためらいます。その結果、敵の将軍を討ち取る手柄は、天幕に逃げ込んできたシセラをテントの釘で打ち倒した異邦人の女性ヤエルに与えられました。神の主権は人間の勇気の有無に関わらず、信仰をもって立ち上がる者(女性たち)を通して力強く勝利を収めます。
【新約】第二コリント 12章(約200文字)
パウロは第三の天に引き上げられるという圧倒的な霊的体験を語ります。しかし、彼が高ぶらないように、肉体に「サタンの使い(とげ)」が与えられました。彼がそれを取り去るよう三度主に願うと、主は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れる」と答えられました。パウロは自分の弱さを大いに喜び誇ります。私たちが弱い時にこそ、キリストの力が私たちの内に最も力強く留まるからです。

