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【聖書通読 第27週 6日目】誤解を解き明かす「愛の対話」と、何も持たなくてもすべてを持つ「恵みの時」
ヨシュア記からは、早合点による誤解から起こる分裂の危機を、直接対話することで乗り越えた美しい和解の姿を学びます。第二コリントからは、苦難の中でも喜びにあふれ、今という「恵みの時」を全力で生きるパウロの気迫と、この世の価値観に妥協しない聖潔への招きを心に刻む一日です。
【旧約】ヨシュア記 22章 の解説
ヨシュア記22章は、非常にスリリングでありながら、人間関係における「誤解」と「和解」の重要な教訓を教えてくれる章です。
ヨルダン川の東側に領地を持っていたルベン、ガド、マナセの半部族は、長年の従軍義務を終え、ようやく自分たちの故郷へ帰る途中に、川のほとりに「巨大な祭壇」を築きました。これを聞いた西側の部族は激怒します。なぜなら、神様が定めた場所以外で勝手に祭壇を築くことは、神への恐ろしい反逆(偶像礼拝)を意味していたからです。西側の部族は「彼らを討ち滅ぼそう」と、今にも同胞同士で内戦を起こす勢いでした。
しかし、武力を行使する前に、彼らは代表団を送り、直接「なぜこんな事をしたのか」と真意を問いただしました。すると東側の部族は涙ながらに説明します。「これは反逆のための祭壇ではありません。将来、川の西側に住むあなたたちの子孫が、東側に住む私たちの子孫に向かって『お前たちは神様と関係ない』と切り捨てる日を恐れたからです。この祭壇は、私たちが同じ神を信じているという『証拠(記念碑)』なのです」と。これを聞いて西側の部族の怒りは消え、安堵して神をほめたたえました。
私たちも、他人の行動の「表面」だけを見て、「あの人は冷たい」「私を無視している」と勝手に決めつけ、心の中で「戦争の準備」をしてしまうことがないでしょうか。ある人がいつも無愛想に見えたのは、実は深い悲しみや体調不良を抱え、必死に耐えていたからだった、ということがあります。早合点して相手を裁く前に、直接顔を合わせ、愛をもって真意を確かめ合う「対話」の勇気を持つとき、私たちの共同体は悲しい分裂から守られるのです。
【新約】第二コリント 6章 の解説
第二コリント6章で、パウロは「神の恵みを無駄に受けないようにしてください。……見よ、今は恵みの時、今は救いの日です」と熱く訴えかけます。
そしてパウロは、自分がキリストの働き人として、どれほど極限の苦難を歩んできたかを語り始めます。鞭打たれ、投獄され、暴動に巻き込まれ、眠れず、飢え渇く日々。しかし、その過酷なリストの後に続くのは、人間の常識を完全に覆す、圧倒的な勝利と喜びの逆説(パラドックス)です。 「悲しんでいるようで、常に喜んでおり、貧しいようで、多くの人を富ませ、何も持たないようで、すべてのものを持っています。」
ある宣教師が、異国の貧しい村で奉仕をしていました。彼自身も病に倒れ、持っていたわずかな財産も底をつき、ボロボロの小屋で寝起きしていました。同情して訪ねてきた知人が「君はすべてを失ってしまって可哀想に」と声をかけると、宣教師は満面の笑みでこう答えました。「とんでもない!私は今日、苦しんでいた一人の村人に、キリストの永遠の命と希望を手渡すことができたんだ。あふれるばかりの神様の愛と恵みを手渡すことができる私は世界で一番の金持ちだよ」。
これこそが、キリストにある者の特権です。この世の通帳の残高が少なくても、人から華やかに称賛されなくても、私たちの中には宇宙を創造された神様の永遠のいのちという「最高の宝」が満ちあふれています。だからこそパウロは、「不信者と、つり合わないくびきを共にしてはいけません」と語ります。世間の価値観や不信仰という「重いわらじ」をもう一度履き直す必要はありません。あなたはすでに、キリストの十字架によって「すべてのものを持つ者」とされているからです。
今日の神様からの奨め
今日、もし誰かの言葉や行動に対して「どうしてあんなことをするのだろう」と心が波立つなら、勝手に裁く前に、ヨシュアたちのように「愛と思いやりを持って」直接相手の心に耳を傾けてみてください。きっとそこに、誤解の霧が晴れる恵みが待っています。
また、今日という一日は、神様があなたにプレゼントしてくださった「恵みの時」です。「私には何もない」と自分の手の中を見てつぶやく代わりに、天を見上げて「私はキリストにあって、すでにすべてのものを持っている!」と喜びを宣言して歩み出す、輝かしい一日となりますように。
