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揺らぐ世界で、揺るがない主の言葉に立つ ―― あなたの『真実』を神様は喜ばれる
【聖書通読第12週6日目】民数記3章の解説と神様が望んでおられること
民数記3章では、レビ族が神様に特別にささげられた部族として取り分けられ、それぞれの務めが細かく定められていきます。イスラエルの全部族の中で、レビ族は幕屋に関わる奉仕を担うようにされました。また、アロンの子らは祭司として仕え、他のレビ人たちはその働きを支える役割を与えられました。ここで大切なのは、神様がご自分の民の中に役割の違いを与えておられることです。
人はつい、「目立つ働きのほうが大事だ」と思いやすいものです。しかし民数記3章を見ると、神様はそう見ておられません。祭司も大切ですが、その働きを支える者たちもまた大切です。幕屋の部品を運ぶ人、守る人、それぞれの場所に立つ人がいてこそ、神様の家の働きは成り立ちました。たとえるなら、時計は針だけでは動きません。表から見えない小さな歯車がきちんと動いているからこそ、正しい時を刻みます。神様の働きも同じで、表に見える奉仕も、見えにくい奉仕も、どちらも尊いのです。
またこの章では、レビ人がイスラエルの長子の代わりとして神様にささげられています。ここには、「あなたがたは自分のものではなく、神様のものだ」という意味が込められています。私たちの命も時間も力も、もともと神様から与えられたものです。ですから自分勝手に使うのではなく、「主よ、どう用いてくださいか」と尋ねながら生きることが大切です。
神様が望んでおられること
神様が望んでおられるのは、私たちが与えられた場所で忠実に仕えることです。人と比べて大きい小さいを決めるのではなく、神様から託された務めを大切にすることです。そして、自分は神様のものであることを覚え、日々の生活そのものを主にささげて歩むことです。神様は、目立つかどうかよりも、真実に仕える心を喜ばれます。
【聖書通読第12週6日目】ルカ21章の解説と神様が望んでおられること
ルカ21章では、やもめの献金、終わりの日についての教え、そして「目を覚ましていなさい」という主イエスの勧めが語られます。最初に出てくるやもめは、ほんのわずかな献金をささげました。しかしイエス様は、それを誰よりも多くささげたと言われました。なぜなら、金額の大きさではなく、その人がどんな心でささげたかをご覧になったからです。豊かな人たちはあり余る中から出しましたが、このやもめは生活費のすべてを主にゆだねたのです。これは、神様が外側の量よりも、心の真実さを見ておられることを教えています。
その後、イエス様は神殿が壊されること、戦争や地震、迫害、混乱が起こることを語られます。読むと少しこわく感じるかもしれません。しかし主が伝えたかったのは、ただ恐れなさいということではありません。むしろ、どんな時代になっても神様のご計画は揺るがず、信じる者は主にあって立ち続けるように、という励ましです。嵐の中でも灯台が立っているように、世の中が揺れても主の言葉は揺れないのです。
そして章の終わりでイエス様は、「あなたがたの心が放縦や深酒やこの世の思い煩いで鈍くならないように気をつけなさい」と語られます。心が鈍くなるとは、神様への思いがぼんやりしてしまうことです。たとえば、窓ガラスが曇ると外が見えにくくなります。同じように、心が思い煩いやこの世のことばかりでいっぱいになると、神様の語りかけが見えにくくなってしまいます。
神様が望んでおられること
神様が望んでおられるのは、私たちが真実な心で主を信頼し、目を覚まして歩むことです。見せかけではなく、やもめのように心から主にささげること。世の中が不安定でも、恐れに支配されず主の言葉に立つこと。そして日々の忙しさの中でも、祈りつつ主を見上げることです。神様は、眠ってしまった心ではなく、主を待ち望む心を喜ばれます。

