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【聖書通読 第27週 1日目】自らで森を切り開く「開拓の汗」と、絶望の淵で出会う「すべての慰めの源である神」
ヨシュア記からは、与えられた現状に不満を漏らすのではなく、自ら汗を流して未来を切り開く信仰の姿勢を学びます。第二コリント人への手紙からは、極限の苦難の中でこそ体験できる神様の深い慰めと、その慰めが他者を生かす力に変わるという恵みの法則を味わう一日です。
【旧約】ヨシュア記 17章 の解説
ヨシュア記17章では、ヨセフの子孫(マナセとエフライムの部族)に対する土地の割り当てが行われます。彼らは数も多く力のある部族でしたが、自分たちに与えられた土地が「狭すぎる」とヨシュアに不満をぶつけました。「私たちは大いなる民なのに、なぜこれしかくれないのか」と。
それに対してヨシュアは、「あなたがたが大いなる民であり、土地が狭すぎるというのなら、自ら森に上って行き、そこを切り開いて自分の場所にせよ」と答えます。さらに彼らが「あそこには鉄の戦車を持った強い敵がいるから無理だ」と言い訳を重ねても、ヨシュアは「あなたたちなら彼らを追い払える」と彼らの潜在能力を可能性を信じて励ましました。
ある父親が、息子の独立の祝いに「完成した新居」ではなく「荒れ地と大工道具のセット」をプレゼントしました。息子は最初はがっかりしましたが、汗を流して自分自身の力で家を建てたとき、その家はどんな豪邸よりも価値のある最高の住処となりました。父親は、息子に「完成品」を与えるよりも、「自分で切り開く力と喜び」を経験させたかったのです。
私たちも時折、「神様、なぜ私にはこれだけのものしか与えられていないのですか」「あの人に比べて私の環境は厳しすぎます」と不満を漏らしてしまうことがあります。しかし神様は、時に私たちに「完成された快適な場所」ではなく、「切り開くべき森」を与えられます。それは意地悪ではなく、「あなたの中に働く神の力に依り頼べば、必ず切り開くことができる」という、絶大な信頼の証なのです。不満を言う口を閉じ、開拓のクワを握って一歩信仰で踏み出すとき、そこにはあなただけの豊かな祝福の地が広がっていきます。
【新約】第二コリント 1章 の解説
第二コリント人への手紙は、パウロが書いた手紙の中で最も個人的な感情や弱さが吐露されている手紙です。1章の冒頭から、パウロは神様を「あわれみ深い父、すべての慰めの神」と力強くほめたたえます。
パウロはアジア州で、自ら「生きる望みさえ失うほどに、耐えられないほどの激しい圧迫を受けた」と赤裸々に語っています。そして、その極限の苦難は「自分自身を頼みとせず、死者をよみがえらせてくださる神を頼みとするためであった」と振り返ります。
ある病院のガン病棟に、いつも笑顔で患者たちの手を握り、励まして回るボランティアの女性がいました。彼女の言葉には、医師のどんな説明よりも患者の心を深く癒やす不思議な力がありました。なぜなら、彼女自身もかつて同じ病気で余命宣告を受け、絶望のどん底から奇跡的に回復した経験を持っていたからです。彼女が暗闇の中で流した涙と苦しみは、今、同じ病室で怯える人々に寄り添うための「最強の慰めの武器」へと変わっていました。
神様の慰めは、ただ私たちが「よしよし」と甘やかされ、痛みを忘れ去るためだけのものではありません。私たちが深い悲しみや苦難の谷を通り、そこで神様の温かい慰めを体験したなら、私たちは「同じように苦しんでいる人を慰めることができる者」へと作り変えられます。あなたの過去の傷跡や、今流している涙は決して無駄にはなりません。それはやがて、誰かの暗闇を照らし、立ち上がらせるための「慰めの光」として、美しく用いられる日が必ず来るのです。
今日の神様からの奨め
今日、あなたが置かれている環境に対して「わたしが与えられている『土地』狭すぎる」「厳しすぎる」と感じているなら、そこは神様があなたに託した「切り開くべき森」です。神様はあなたならできる信仰で歩むことができると確信しておられます。言い訳を手放し、恐れずに信仰の汗を流してみましょう。
また、もし今あなたが深い苦しみの中にいるなら、「すべての慰めの神」である天の父なる神様に、その痛みをすべて明け渡してください。神様はあなたを慰め、やがてその経験を、誰かを助けるための尊い宝物へと変えてくださいます。神様の豊かな慰めと、前に進む勇気が与えられる一日となりますように。
