【聖書通読 第23週4日目】いのちを選ぶ決断と、からだを生きた供え物とする礼拝

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【聖書通読 第23週4日目】いのちを選ぶ決断と、からだを生きた供え物とする礼拝

御言葉はすぐ近くにあります。神のあわれみに応答し、私たちの日常のからだと生活そのものを、神に喜ばれる生きた供え物として捧げる実践の歩みを学びます。

【旧約】申命記 30章

申命記30章は、将来イスラエルの民が罪を犯して遠い異国の地に追放されたとしても、そこで心を尽くして神に立ち返るなら、神は再びあわれみ、地の果てからでも集めてくださるという「絶対的な回復の約束」から始まります。

「これは、ルカの福音書に記された『放蕩息子のたとえ』そのものです。親に反発して遠くへ家出をした息子が、『お父さんのところに帰ろう』と立ち返ったとき、父親はまだ遠く離れていたにもかかわらず走り寄り、涙ながらに彼を抱きしめました。これはまさに、そのような神様の尽きない愛の宣言なのです。」

そしてモーセは、神様の命令に従って生きることは、決して特殊な才能や超人的な努力が必要な「難しいこと」ではないと語ります。

「まことに、私が今日あなたに命じるこの命令は、あなたにとって難しすぎるものではなく、遠く及ばないものでもない。それは天にあるのではない。……それは海の彼方にあるのでもない。……まことに、みことばはあなたのすぐ近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。」(申命記 30:11-14)

私たちは人生の答えや真理を探すとき、必死でいのり神様との交わりを深め求めなければならないと考えがちです。しかし神様は、「わたしのみことばは、すでにあなたの手元の聖書にあり、あなたの口、あなたの心にある」と言われます。

最後に神様は、民の前に「いのちと幸い」「死とわざわい」を提示し、こう呼びかけます。

「私は、あなたの前にいのちと死、祝福のろいを置いた。あなたは、いのちを選びなさい。」(申命記 30:19)

神様は私たちをロボットのようには扱いません。神様の愛に真実にこたえる私の愛を求めておられます。「わたしはあなたを愛している。だからあなたも、自らの意志でわたしに従い、いのちを選ぶ決断をしてほしい」と、力強く愛の招きをしておられるのです。

【新約】ローマ人への手紙 12章

ローマ人への手紙は、1章から11章まで「私たちは自分の行いではなく、ただキリストの十字架のあわれみによって救われた」という壮大な恵みの教理を語ってきました。この12章からは、その圧倒的な恵みを受けた私たちが、「では、日常をどう生きるべきか」という実践的な歩みへと移ります。

「こういうわけで、兄弟たち。神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖なる、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ 12:1)

旧約聖書の時代、人々は羊や牛を殺して「死んだ供え物」として祭壇に捧げていました。しかしパウロは、あなたの「からだ」を「生きた供え物」として捧げなさいと命じます。

これは、日曜日だけ教会に行って礼拝することではありません。月曜日から土曜日までの日常の中で、自分と神様との真実な交わりを通して神様がわたしに望んでおられることを行うのです。つまり、あなたの「時間」や「生活そのもの」を神様を喜ばせるために使うことこそが、神に喜ばれる最高の礼拝なのだというのです。

ある人が莫大な全財産のお金を支払って奴隷を買い取りました。しかし奴隷としてではなく奴隷という立場から解放された自由な者として生きるようにしてくださった方に対して、「ありがとうございます!真実な本当の主人を見つけました、奴隷としてではなく、自由な者としてあなたのそばで、ずっとこれから私の時間も能力も、あなたの喜ぶことのために使わせてください。あなたに喜んで仕えます。」と自発的に申し出るのと同じです。

さらに、

「この世と調子を合わせてはいけません」(12:2)

と続きます。カメレオンのように周囲の価値観(自己中心やお金への執着など)に染まるのではなく、船が海に浮かんでいても決して中に水を入れないように、心を新しくして神様の御心を見分ける歩みができるように神様に祈りましょう。

後半では「愛には偽りがあってはならない」と語られ、自分を迫害する者を祝福し、悪に悪で報いるのではなく、

「善をもって悪に打ち勝ちなさい」(12:21)

という、愛の実践が具体的に教えられています。

今日の薦め

「いのちを選ぶ」こと、そして「からだを生きた供え物とする」こと。これは特別な日の大きな決断ではなく、今日という日常の中の「小さな選択」の積み重ねです。

今日、誰かから嫌な言葉をかけられたとき、言い返して「悪で報いる(死を選ぶ)」のではなく、ぐっとこらえて「善をもって接する(いのちを選ぶ)」こと。あるいは、忙しい中で少しだけ自分の時間を割いて誰かのために祈り、温かい励ましの言葉を一つ送ること。

そのような、あなたのからだ(手足や言葉)を使ったささやかな愛の行動こそが、神様が何よりも喜んで受け取ってくださる「生きた供え物(礼拝)」なのです。

御言葉は遠くの空や海の向こうにあるのではありません。今、あなたのすぐ近く、あなたの心の中にあります。その身近な御言葉を握りしめ、今日も自らの意志で「いのち」と「愛の道」を選ぶ決断を、一歩ずつ重ねていきましょう。

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