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神様は「あなたの名」を知っておられる:民数記1章/ルカ19章
聖書を読み進める中で、一見すると「人数の統計」と「個人のエピソード」という、全く別物に見える章が出会うことがあります。それが今回の民数記1章とルカ19章です。
しかし、この二つを深く見つめると、共通している大切な流れがあります。
それは、「神様は一人ひとりをはっきり見ておられ、その人をご自身の目的のために招き、応答を求めておられる」ということです。
今日はこの2章を、静かに自分自身に当てはめることが出来るように見ていきましょう。
1. 民数記1章:数えられることは「愛されている」証し
民数記1章は、イスラエルの民のうち、戦いに出ることのできる20歳以上の男子が数えられる場面です。
ただ人数を調べているだけのように見えますが、ここには神様の深い愛の意味があります。
神様は、ただ「たくさんの人がいるな」と眺めておられるのではありません。一人ひとりを部族ごとに、家族ごとに、「名前のある存在」として数えておられます。
これは、学校の先生がクラス全体を「40人」という数字で見るのではなく、一人ずつ名前を呼んで「あなたも大切な存在ですよ」と確認しているようなものです。
あるいは、羊の体調を一匹ずつ把握している羊飼いの姿に似ています。
神様にとって、ご自分の民は「ただの集団」ではありません。
神様は群衆の中に埋もれたあなたではなく、名を呼ばれるあなたを見ておられます。
また、この数え上げは「整えられた共同体」を作るためでもありました。
オーケストラが指揮者のもとで楽器ごとの役割を果たして初めて美しい音楽になるように、神様の民も、神様の目的のために秩序と役割を与えられていきます。「自分なんていてもいなくても同じ」と思う時があるかもしれません。
けれど神様は、あなたにしか担えない祈り、あなたにしか届けられない優しさ、あなたにしか通れない使命の道を用意しておられます。
聖書で神様が数えるとき、そこには「責任」と「守り」が伴います。
神様は「あなたはわたしのものだ」と言って数えられます。
それは、災害時の避難所での点呼のように、「全員が無事か」「誰が助けを必要としているか」を確認するためです。
神様はあなたを放置せず、見失わず、決して忘れません。
2. ルカ19章:ザアカイの物語――失われた者を捜す恵み
この「名を呼ぶ神様」の姿が、新約聖書で具体的に現れたのがザアカイとの出会いです。
取税人の頭であり金持ちだったザアカイは、同胞から忌み嫌われていました。人々の目には、彼は「ろくでもない罪人」だったかも分かりません。
けれど主イエスは、木の上に隠れていた彼を見上げ、こう言われました。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」(ルカ19:5)。
主は、ザアカイが悔い改めてから声をかけたのではありません。
まず主の方から近づかれました。これが恵みです。
恵みとは、「良い人になったから愛されること」ではなく、「まだ汚れているのに、それでも主が先に来てくださること」です。
部屋が散らかっていて人を呼べないと思っているときに、信頼できる人が「そのままでいいから行くよ」と言って来てくださるような温かさが、ここにあります。
主に出会ったザアカイは、即座に生き方を変えました。
財産を分かち合い、不正を正すと宣言したのです。
ここに「本物の回心」があります。悔い改めとは、心の中で反省するだけでなく、人生の「向き」を自分から神様に変えることです。
もし反対方向の電車に乗っていると気づいたなら、ただ反省するだけでなく、降りて乗り換えるはずです。
ザアカイは人生の向きを変えました。自分を主としていた者が神様を主人に変えたのです。
主イエスは、まさにこのように「失われた者」を捜して救うために来られたのです。
3. 預けられた恵みと、神様の「訪れ」
ルカ19章には
「ミナのたとえ」も登場します。主は私たちに、命、時間、賜物、祈りの特権といった「ミナ」を預けておられます。
主は私たちに完璧さを求めているのではありません。
ただ、受け取った恵みに対して「無関心」でいてほしくないのです。
恵みを受けたのなら、それに応答して歩んでほしい……
それが主のお心です。
また、章の後半では、主イエスがエルサレムを見て泣かれる場面があります。それはエルサレムが、「神が訪れてくださった時を見分けなかった」からです。救い主が目の前に来ているのに、それに気づかない。それはなんと悲しいことでしょうか。
主は今も、御言葉や祈り、あるいは日常のふとした出来事を通して、私たちの人生に訪れてくださいます。
けれど私たちは忙しさや思い込みの中で、その訪れを見逃してしまうことがあります。
民数記1章で一人ひとりの名を数えられた神様は、
ルカ19章でもザアカイの名を呼んで招かれました。
そして今、あなたに対しても同じように、名を呼んで招いておられます。
神様はあなたをはっきり知っておられます。
そして、その招きに具体的に応答してほしいと願っておられます。
今日は静かに立ち止まり、「主よ、あなたが今わたしに語っておられることを見逃さないようにさせてください」と祈りつつ、その導きと守りの中を歩んでいきましょう。

