【聖書通読第13週3日目】主の恵みの祝福と、復活の希望に生きる(民数記6章/ルカ24章)

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【聖書通読第13週3日目】民数記6章/ルカ24章

主の祝福と、復活の希望に生きる

民数記6章には、ナジル人の誓願についての教えと、とても有名な祝福の祈りが記されています。 そしてルカ24章には、イエス様の復活と、絶望していた弟子たちが希望へと変えられていく姿が描かれています。
この二つの章を一緒に読むと、 神様はご自分の民を祝福したいと願っておられ、さらに絶望の中にいる者を復活の希望によって立ち上がらせてくださるお方だ ということがよくわかります。

民数記6章の解説

神様に自分をささげる歩み

民数記6章の前半には、ナジル人の誓願が出てきます。 ナジル人とは、一定の期間、自分を特別に神様へささげて歩む人のことです。 酒を断つこと、髪を切らないこと、死体に近づかないことなど、いくつかの決まりがありました。
これを読むと少し難しく感じるかもしれませんが、大切なのは、 「自分の生活を神様のために取り分ける」 という心です。
たとえるなら、大事な行事の日に特別な服を着るようなものです。 いつもと同じでもよいのに、あえて「今日は特別だ」と示すために、服装も心も整えます。 ナジル人の誓願もそれに少し似ています。 「私は神様のために生きたい」 「この期間、特別に主を見上げて歩みたい」 という思いが形になっているのです。
私たちは今、ナジル人と同じ決まりを守る必要はありません。 けれども、この箇所から、 神様は私たちが心をこめてご自身に向いて歩むことを喜ばれる ということを学べます。

神様は祝福したいと願っておられるお方

民数記6章の後半には、あの有名な祝福の祈りがあります。
「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。 主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれるように。 主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられるように。」
本当に美しい言葉です。
ここで心に留めたいのは、神様はただ命令するだけのお方ではない、ということです。 「あれをしなさい」「これを守りなさい」と言うだけではなく、 ご自分の民を守り、恵み、平安を与えたいと願っておられる のです。
まるで、子どもを送り出す親が 「気をつけてね。守られるように。平安でいられるように」 と願うような、あたたかい思いがここにあります。
神様の祝福とは、単に物が増えることだけではありません。 主の守りの中にいること。 主の恵みの光を受けること。 心に平安が与えられること。 それこそが本当の祝福です

ルカ24章の解説

復活は悲しみを希望に変える

ルカ24章は、イエス様の復活から始まります。 女たちは墓に行きましたが、イエス様のからだはそこにありませんでした。 弟子たちはすぐには信じられず、戸惑い、悲しみ、混乱していました。
弟子たちにとって、十字架は大きな絶望でした。 「この方こそ救い主だ」と期待していたのに、その主が死なれたからです。 望みは消えたように見えました。
けれども、神様のご計画はそこで終わっていませんでした。 イエス様はよみがえられたのです。
これは、もう終わりだと思ったその場所から、本当の朝が始まった ということです。
復活は、ただイエス様が生き返ったという出来事ではありません。 復活は、 絶望は最後の言葉ではない という神様の宣言です。

エマオ途上で心が燃やされた弟子たち

ルカ24章で特に印象深いのは、エマオへ向かう二人の弟子の場面です。 彼らはがっかりし、うなだれながら歩いていました。 ところが復活のイエス様が近づいておられるのに、彼らはそれがわかりませんでした。
主は彼らの話を聞き、聖書からご自分について説明されました。 その後、パンを裂かれた時、彼らの目が開かれ、イエス様だとわかりました。
そして彼らは言います。 「道々お話しになっている間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」
ここが本当に慰め深いところです。 私たちも人生で、エマオへの道のような時を通ります。 失望して、 重たくなって、 「もうだめだ」と思いながら歩く時があります。
けれど、その時も主は近くにおられます。 私たちが気づいていなくても、語りかけ、導き、心をあたためてくださるのです。

神様が望まれていること

主の祝福を受け取り、復活の主に希望を置くこと

この二つの章を通して、神様が望んでおられることははっきりしています。
それは、 主の祝福を疑わずに受け取り、復活の主に希望を置いて生きること です。
私たちは時々、 「神様は本当に私を祝福してくださるのだろうか」 「神様は私を忘れておられるのではないか」 と思ってしまいます。
けれど民数記6章は、 神様が守り、恵み、平安を与えたいと願っておられることを示しています。
また私たちは、 失敗や悲しみの中で、 「もう終わりだ」 と思ってしまうことがあります。
けれどルカ24章は、 復活の主がおられるなら、絶望で終わらないことを教えています。
ですから神様は今日、 「わたしの祝福を受け取りなさい。 復活の主を見上げなさい。 落ち込みにとどまらず、もう一度立ち上がりなさい」 と語っておられるのです。

まとめ

民数記6章は、神様に自分をささげる歩みと、神様が民を祝福したいと願っておられることを教えています。 ルカ24章は、復活の主が絶望を希望に変え、冷えた心を再び燃やしてくださることを教えています。
今日、私たちも覚えたいのです。
主はあなたを祝福し、守りたいと願っておられます。
主は生きておられます。 だから、あなたの人生も絶望で終わりません。
悲しみの朝を、希望の朝へと変えてくださる復活の主を見上げながら、 今日も歩んでいきたいと思います。

 

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