
この記事の目次
がんばるあなたへ贈る、聖書の「お休み」の処方箋
1. 聖書通読の旅、ここまでよく歩んできましたね
まずは、ここまで聖書を読み進めてこられたご自身を、たくさん褒めてあげてください。
「毎日欠かさず読めている!」という方もいれば、「途中で何日か遅れてしまって、慌てて追いついた」「正直、カタカナの名前ばかりで内容が難しくて、目が滑ってしまった」という方もいらっしゃるかもしれません。
でも、どんなペースであれ、今あなたがこの「第19週」のメッセージに目を留めてくださっていること自体が、素晴らしい奇跡です。神様は、あなたが完璧に読めたかどうかという『成績』を見ているのではありません。あなたの心が、少しでも神様の方を向こうとしている、その『プロセス(歩み)』を、誰よりも喜び、愛おしく思ってくださっています。
旅には、美しい景色を眺めながら颯爽と歩ける日もあれば、足が重くて一歩も進みたくないような雨の日もあります。だからこそ、今週は一度荷物を下ろして、お気に入りの温かい飲み物でも片手に、このメッセージをのんびりとお読みください。
2. 神様が一番最初に「聖(きよ)」いとしたのは、活動ではなく「休み」だった
私たちはどうしても、「何か成果を出しているとき」や「一生懸命働いているとき」に自分の価値を感じがちです。現代社会は「もっと速く、もっと効率的に、もっとたくさんの成果を」と私たちを急がせます。その空気は、私たちの信仰生活や聖書通読にまで忍び込んできて、「今日も御言葉を読めなかった、自分はダメなクリスチャンだ」「もっと熱心に祈らなきゃ神様に喜ばれない」という、目に見えないプレッシャーを生み出すことがあります。
しかし、聖書の最初のページ(創世記)を開くと、驚くべき事実に出会います。
神様は6日間かけて宇宙や地球、そして人間を造られました。そして7日目に「天地万物は完成した」として、全てのわざを終えて休まれました。そして、その7日目を祝福し、聖なるもの(特別なもの)と定められたのです。
「神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。」(創世記 2章3節)
ここで注目したいのは、神様が最初につくった人間のスケジュールです。人間が誕生したのは「第6日目」の終わりでした。ということは、人間にとっての「人生の第1日目」は、何かをがんばって働く日ではなく、「神様と一緒に、何もしないで休む日(第7日目)」だったのです。
私たちは、「がんばって働いたから、そのご褒美として休む」と考えがちです。しかし聖書が教えるリズムは逆です。「まず神様の愛の中でたっぷりと休み、満たされたから、その喜びから出発して歩み出す」。これが、神様がデザインされた本来の人間の生き方なのです。
ですから、「最近疲れていて聖書が読めない」というときは、罪悪感を持つ必要はありません。むしろ「あぁ、今私は神様がデザインしてくださった『お休み』のタイミングにいるんだな」と受け止めてみてください。
3. イエス様が誘ってくださる「究極のオアシス」
新約聖書の中で、イエス・キリストは、日々の生活や律法(ルール)の重荷に疲れ果てていた人々に向かって、これ以上ないほど優しい言葉をかけておられます。
「すべて疲れた人、重荷を背負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書 11章28節)
この「休ませてあげます」という言葉は、ギリシャ語の元の意味をたどると「新鮮な空気を吸わせる」「エネルギーを回復させる」といったニュアンスが含まれているそうです。
イエス様は私たちに、「もっとがんばったら休ませてあげる」とは言われません。「疲れ果てた、そのまんまの姿で、今すぐわたしのところに来なさい」と両手を広げて待ってくださっています。
聖書通読も同じです。もし「読まなければならない義務」になって息苦しくなっているなら、一度聖書を閉じて、ただイエス様の前に座ってみましょう。そして、「イエス様、今週はなんだか疲れました」と、そのままの気持ちを呟いてみてください。
イエス様があなたに求めているのは、完璧な読書記録ではありません。あなたという存在そのものと、親しいおしゃべりをすること、ただ一緒に時間を過ごすことなのです。神様の前に出ることは、緊張する面接室に行くことではなく、一番安心できるリラックスできるリビングにいるようなものです。思いっきりリラックスして、霊的な新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んでください。
4. 荒野のエリヤに神様が最初にあたえたもの
旧約聖書に、エリヤという偉大な預言者が登場します。彼は神様のために命がけで戦い、大勝利を収めた素晴らしいリーダーでした。しかし、その直後、敵の王妃から命を狙われると、極度のプレッシャーと疲れから心がポキッと折れてしまいます。
彼は荒野へ逃げ込み、一本のえにしだの木の下に座り込んで、「神様、もう十分です。私の命を取ってください」と、精神的に参った状態になって絶望してしまいました。
このとき、神様はエリヤをどのように扱われたでしょうか。 「お前は偉大な預言者なのに、なぜそんなに信仰が薄いのか!」と叱責されたでしょうか。あるいは「早く起きて、次の任務に行きなさい」と急かされたでしょうか。
いいえ、神様は何も言わずに、ただ御使いを遣わして、疲れて眠るエリヤにそっと触れられました。そして、彼のために「炭火で焼いたパンと、水の入った瓶」を用意してくださったのです。
「起きて食べなさい。」エリヤが見ると、なんと、彼の頭のところに、炭火で焼いたパン菓子と、水の入った瓶があった。彼はそれを食べ、そして飲み、また横になった。(列王記第一 19章5〜6節)
神様が燃え尽き症候群になったエリヤに最初にあたえたのは、熱い説教ではなく、「温かい食事」と「ぐっすり眠る時間」でした。エリヤが食べてまた寝てしまうと、神様はもう一度「起きて食べなさい。旅はまだ遠いのだから」と、優しく寄り添われました。
神様は、私たちの体と心の限界を誰よりもよく知っておられます。あなたが疲れているとき、神様があなたに一番させたいことは、聖書をたくさん読ませることではなく、温かいものを食べて、布団に入ってゆっくり眠ることかもしれません。あなたの肉体が癒やされることもまた、神様にとって大切な聖なるプロセスなのです。
5. 心をゆるめて、第20週へ向かうために
聖書通読の第19週目を終えようとしている今、一度肩の力をストンと抜いてみましょう。
御言葉を読むことは、神様からのラブレターを読むようなものです。ラブレターは、毎日決められた分量をノルマのように義務感で読むものではありませんよね。相手の愛を感じ、その言葉にホッと心を温めるためのものです。
もし今週、予定通りに読めなかった箇所があっても、「まぁ、いっか!神様の恵みは明日も新しいんだから」と笑顔でスルーしてしまいましょう。遅れた分を取り戻そうとギスギスするより、今日の一行、今日の一節を「あぁ、美味しいな、ありがたいな」と味わう方が、何倍もあなたの魂の栄養になります。
「神に静静と寄り添う。私の救いは神から来る。」(詩篇 62篇1節 / 私訳)
「ただ神に向かって、私のたましいは沈黙して寄り添う。この方から 私の救いが来る。」(詩篇 62篇1節 / 別の私訳)
何もしなくても、ただそこにいるだけで、あなたは神様に無条件で愛されています。この圧倒的な安心感の中に身を浸すことこそが、最大の「ホッと一休み」です。
心も体もたっぷりとエネルギーをチャージして、また来週から、イエス様と手をつないでマイペースに聖書通読の旅を再開していきましょう。あなたの日々の上に、神様の豊かな癒やしと、あふれるほどの平安がありますように。お祈りしています。

