【ホッと一休み】聖書通読7日目 『命がけで届けられた一冊・・・「みことばは生きている」』
【ホッと一休み】命がけで届けられた一冊――「みことばは生きている」
聖書通読の7日目は「ホッと一休み」の日です。
神様の恵みで聖書を読めた人も、途中で止まってしまった人も、今日は肩の力を抜いて、「聖書がどれほど尊い贈り物か」を味わう日にしましょう。
私たちは、スマホで聖書を開ける時代に生きています。
けれど、歴史の中には「聖書を自分の言葉で読む」ことが命がけだった時代がありました。
ここで一つ、宣教師のエピソードを紹介します。
太平洋の小さな島々に福音を届けた宣教師たちの中に、ある宣教師夫妻がいました。島の言葉には、聖書を訳すための文字も十分に整っていません。病気もあります。食べ物も限られます。仲間も少ない。孤独です。それでも彼らは、夜になると小さな灯りの下で辞書もない言語と格闘しながら、一語一語、聖書を訳し続けました。
島の人たちは最初、彼らを警戒しました。
「なぜここまでしてこんな場所まで来たのか?」
「何の得があるのか?」
理解できなかったからです。
でも、時間がたつにつれて、宣教師たちの生活が語り始めました。
病人が出れば、祈り、手当てをし、寄り添いました。
争いがあれば、報復ではなく和解を教えました。
怖れの強い夜には、「神はあなたを愛している。神はあなたを見捨てない。」と何度も語りました。
ある日、その宣教師は重い病に倒れました。
島を離れれば助かる可能性もありました。けれど彼は言ったそうです。
「ここで、みことばを最後まで渡してから帰りたい」
その言葉は決意というより愛の告白でした。
その宣教師は自分の国に帰らず島に残りました。
島の人たちはかえって治療することを懇願しました。
聖書の神についての話しをこれからもっと真剣に聞くから帰って治療するよう願いました。
結局、島民たちの願いが強く、宣教師は自国で治療し全快して帰ってきました。
そのとき島民全員が彼を迎え、聖書の神の話しを聞かせてくれと頼んだのです。
そしてついに、島の言葉で初めて福音書の一部が読めるようになった日が来ます。
集会の場で、島の人が震える声で読み始めます。
「神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された…」
読んでいる人も、聞いている人も、涙が止まらなかったと言います。
なぜでしょうか。
それは、彼らが初めて「神が自分たちの言葉で語ってくださる」ことを体験したからです。
みことばが、遠い国の宗教ではなく、自分の心に届く「神の声」になったのです。
ここで、私たちが思い出したいことがあります。
聖書は「ただの本」ではありません。
神が、罪と弱さを抱えた私たちを救うために、長い歴史の中で語り続けてこられた「いのちの言葉」です。
そして、その中心はいつもイエス・キリストです。
宣教師たちが命を削って訳したのは、立派な道徳の本ではありません。
「罪が赦される道がある」
「神はあなたを愛している」
「十字架で、救いは成し遂げられた」
「復活によって、死は終わりではなくなった」
この福音を届けるためです。
私たちの信仰が弱る時、通読が途切れる時、心が乾く時、思い出したいのはこれです。
神は、あなたに語ることをやめておられない。
神は、あなたを見捨てておられない。
神は、あなたが再びみことばを開くその瞬間を、喜びながら待っておられる。
だから、今日の「一休み」は、ただ休む日ではありません。
「主よ、私はもう一度あなたの声を聞きたいです」と心を向け直す日です。
数章読めなくても構いません。
うまく理解できなくても構いません。
短い一節でもいいのです。
もし今日、あなたが疲れているなら、こう祈ってみてください。
「主よ、私の心をあなたの愛で満たして、生かしてください。あなたの言葉で支えてください。」
みことばは、弱った者を責めるためではなく、生かすために与えられています。
命を懸けて聖書を訳した人たちがいました。
その熱心さを誇るためではありません。
ただ一つ、神の愛がそれほど本気だということを覚えるためです。
今日、あなたの手元に聖書がある。
それは当たり前ではなく、恵みです。
そして、その恵みはあなたを通して、また誰かへ流れていきます。
あなたの「ホッと一休み」が、明日からの一歩を軽くし、
みことばへの渇きを新しくし、渇きを癒して下さることを感謝します。
主の愛をもっともっと深く味わう時間になりますように。

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