【聖書通読  第16週週間  予定表 】週間テーマ「見上げて生きる信仰」民数記21章~26章/ヨハネ16章~21章

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第16週の中心テーマ

第16週の中心テーマは「見上げて生きる信仰」です。
民数記21章の青銅の蛇は、絶望の中で神が備えた救いを“見上げる”ことによって生きる道が開かれることを示します。
続く民数記22〜24章では、人の悪意や策略があっても神の祝福は止められず、神の計画が人の手を超えて進むことが明らかになります。
そして25章では、罪が共同体を壊す現実と、神がきよさを回復して守ろうとされる思いが示されます。
新約のヨハネ16〜21章では、十字架の前夜の約束、十字架の成就、復活の確証、失敗した者の回復と再任命が描かれます。神が望まれるのは、状況や自分の弱さに目を奪われるのではなく、十字架と復活の主を見上げ、悔い改めて立ち返り、再び使命へ歩み出すことです。

第16週1日目(民数記21章/ヨハネ16章)

民数記21章は、荒野で民が不平を言い、火の蛇に苦しむ中で、青銅の蛇を見上げる者が生きる場面が出ます。神は裁きだけで終わらせず、「見上げて生きよ」という救いの道を備えられます。
ヨハネ16章は、主が十字架を前に、聖霊(助け主)を約束し、悲しみが喜びに変わると語られます。
神様が望まれることは、状況に飲まれて不平へ落ちるより、救いの備えを見上げることです。孤独や不安の中でも、聖霊が共におられる約束に立つよう招かれています。

第16週2日目(民数記22章/ヨハネ17章)

民数記22章は、バラムがモアブ王に雇われ、神の民を呪おうとするが、主が道を塞ぎ、ろばを通してまで止める場面です。人の策略や圧力があっても、神はご自分の民を守るために介入されます。
ヨハネ17章は、主イエスの大祭司の祈りです。弟子たちの守り、聖め、そして一致を祈られます。
神様が望まれることは、見えないところで守っておられる神に信頼することです。また、主の祈りに支えられている者として、聖さと一致を大切にするよう願っておられます。

第16週3日目(民数記23章/ヨハネ18章)

民数記23章では、バラムが呪いではなく祝福を語らされます。「神は人のように変わらない」という宣言が響き、神の約束は人の思惑で折れないことが示されます。
ヨハネ18章は、逮捕から尋問へ。主は逃げずに十字架へ向かい、ペテロは恐れでつまずきます。主の堅さと人の弱さが対照的です。
神様が望まれることは、私たちの不安定さより、神の真実に立つことです。恐れで言葉が揺れる時も、主のまなざしに立ち返り、悔い改めて戻るよう招かれています。

第16週4日目(民数記24章/ヨハネ19章)

民数記24章は、バラムがさらに祝福を語り、未来の希望を指し示す言葉が出ます。敵対する力があっても、神の計画は止まりません。
ヨハネ19章は、十字架と死です。人の不正や痛みの中で、主は「成し遂げられた」と宣言されます。救いは感情ではなく、主の完了した御業に根拠があります。
神様が望まれることは、闇が深い時ほど、十字架の「成し遂げられた」に立つことです。罪責感や絶望の中でも、救いは既に備えられたと信じるように招かれています。

第16週5日目(民数記25章/ヨハネ20章)

民数記25章は、偶像礼拝と不道徳により民が崩れ、厳しい裁きが起こります。同時に、神はきよさを回復し、共同体を守ろうとされます。
ヨハネ20章は、空の墓と復活です。泣くマグダラのマリアに主が名を呼び、疑う弟子に主が現れ、信仰へ導かれます。
神様が望まれることは、罪を軽く扱わず、きよさへ立ち返ることです。同時に、弱い信仰の私たちを復活の主が訪ね、名を呼び、確信へ導く恵みを受け取るよう願っておられます。

第16週6日目(民数記26章/ヨハネ21章)

民数記26章は、荒野の終盤での人口調査です。倒れた世代の後に、新しい世代が数えられ、神が約束の地へ民を導き続けることが示されます。
ヨハネ21章は、復活の主が弟子たちに食事を備え、失敗したペテロを回復し、「わたしの羊を飼いなさい」と再び使命へ立たせる章です。
神様が望まれることは、過去の失敗で終わらず、主の導きの中で新しく歩むことです。主は供給し、回復し、再び任せてくださる方だと信じるよう招かれています。

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