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【聖書通読 第22週1日目】命の尊厳と、すべての人を覆う無代価の恵み
【旧約】申命記 21章 解説
申命記21章は、古代社会の常識をはるかに超えた、神の深い憐れみと「命の尊厳」「人権の保護」が具体的に示されている驚くべき章です。
まず、犯人不明の殺人に対する規定です。野原で死体が発見された場合、一番近い町の長老たちが雌牛をほふり、手を洗って贖いの祈りを捧げました。これは「誰が殺したか分からないから仕方がない」と放置するのではなく、共同体全体がひとりの命が失われたことに重い責任を負い、神の地が血で汚れるのを防ぐための厳粛な儀式でした。
また、戦争の捕虜となった女性を妻にする場合の規定も非常に人道的です。彼女を戦利品の物のように扱うことを禁じ、髪をそり、衣服を変え、実の父母のために一ヶ月間十分に喪に服す期間が与えられました。もし後に彼女を好まなくなった場合でも、奴隷としてお金で売ることは固く禁じられ、自由の身にしなければなりませんでした。
さらに、二人の妻がいる家庭で、愛していない方の妻の息子であっても、長子としての正当な権利(二倍の分け前)を奪ってはならないという公平さの維持や、親に激しく逆らい続ける放蕩息子の処罰に関する規定も記されています。これは一見厳しすぎるように見えますが、親が感情のままに子供を傷つけることを防ぎ、必ず町の長老の公的な裁判を通さなければならないという、法的な歯止めでした。
最後に、死刑にした者の死体を木につるしたまま夜を越してはならないという規定は、罪人であってもその尊厳を最低限守るためのものです。後に、イエス・キリストが私たちの身代わりとして「木につるされた者(のろわれた者)」となってくださったという新約聖書の十字架の恵み(ガラテヤ3:13)へとつながる、極めて重要な律法です。
【新約】ローマ人への手紙 3章 解説
ローマ人への手紙3章は、聖書全体の中でも「人間の罪の現実」と「キリストによる救い」の核心が最も論理的かつ感動的に語られている、非常に重要な章です。
前半でパウロは、神の言葉(旧約聖書)を託されたユダヤ人であっても、律法を持たない異邦人であっても、神の前では全く同じであることを証明します。旧約聖書の言葉を引用し、「義人はいない。ひとりもいない。悟る人はいない。神を求める人はいない」と、人間の徹底的な罪深さを宣言します。私たちがどれほど立派な行いをしようと、宗教的な知識を持っていようと、律法の行いによって神の前に「あなたは正しい(義である)」と認められる人は、人類の歴史上ただの一人もいないのです。律法は、人を救うためのものではなく、自分の罪の深さをはっきりと自覚させるための鏡だからです。
しかし後半の21節から、この暗闇を打ち破る素晴らしい「福音の光」が差し込みます。律法とは全く別の形で、神の正しさ(神の義)が示されました。それが「イエス・キリストを信じる信仰による義」です。
「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに(無料で)義と認められるからです」(3:23-24/新改訳)。
神様は、私たちの罪をうやむやにして見逃すのではありません。キリストが十字架の血によって、私たちが支払うべき罪の代価をすべて身代わりに支払ってくださったのです。これにより、神ご自身の完全な正義が貫かれると同時に、ただイエスを信じるだけの不完全な私たちを「正しい者」として無罪放免にするという、驚くべき愛の計画が完成しました。人間の行いを誇る余地は完全に排除され、ただ圧倒的な恵みだけがここにあるのです。
