3週目 聖書通読地図【聖書通読は何ページ読んだかではなくどれだけ恵みの光を見つけたかが重要】

3週目 聖書通読地図

この記事の目次

月曜日(旧約:創世記27〜28章/新約:マタイ11章)

創世記27章

祝福をめぐり、ヤコブは恐れと焦りから“だます”道を選び、家族関係に大きな傷が残ります。聖書は信仰者の弱さを美化しません。だから私たちの現実に刺さります。ここで学ぶのは「祝福は奪い合いではなく、主が与える」という原点です。

創世記28章

逃避行のヤコブが荒野で眠る夜、主は梯子の幻と「わたしはあなたとともにいる」の約束を与えます。整った場所でなく、孤独と不安のただ中で主が会いに来られる。荒野が「神の家」へ変わる逆転の出会いが、通読の醍醐味です。

マタイ11章

主イエスは「疲れた人、重荷を負う人は来なさい」と招き、魂の休息を与えると言われます。信仰は気合いで走り続けることではなく、主のもとで荷を下ろし、歩き方を整えること。通読は、この“深呼吸の言葉”を日々受け取る旅です。

火曜日(旧約:創世記29〜30章/新約:マタイ12章)

創世記29章

ヤコブは愛するラケルのために働くのに、結婚で裏切られ、現実のねじれを味わいます。主は「見過ごされるレア」に目を留め、恵みを注がれます。人生が思い通りでない時こそ、主が取り残された心を見ておられる確かさが支えになります。

創世記30章

子どもをめぐる競争と焦りで家庭がさらに複雑になります。人は不安から“結果を作ろう”としがちですが、主は混乱の中でも約束を進められる方です。通読は、焦りの押し合いから信頼の呼吸へ心を戻してくれる訓練になります。

マタイ12章

主は安息日論争の中で「あわれみ」を中心に据え、形だけの正しさから人を解放されます。外側の評価より、命を生かす神の心へ。さらに「神のみこころを行う者」を家族と呼ばれ、信仰が“招かれる恵み”だと示します。

水曜日(旧約:創世記31〜32章/新約:マタイ13章)

創世記31章

ヤコブはラバンの家を去り、追われる緊張の中を進みます。けれど主は追う者にも語り、破局を止めて守られます。状況が荒れていても主の守りは働く。通読は、境界線を越える決断に主の伴走があることを思い出させます。

創世記32章

恐れの夜、ヤコブは神と格闘し、祝福を求めて離さず、新しい名「イスラエル」を受けます。自分で握って支配したい心がほどかれ、主により頼む者へ造り替えられる。傷を負っても、新しい歩みが始まる“転機”の章です。

マタイ13章

種は同じでも土によって実りが変わると主は語られます。通読は心を耕す時間であり、焦りや思い煩いの茨を整理する助けになります。からし種のように小さな始まりが大きく育つ希望も示され、1節の積み重ねが未来を変えます。

木曜日(旧約:創世記33〜34章/新約:マタイ14章)

創世記33章

ヤコブは恐れながらエサウに会いますが、予想外に抱きしめられ、涙の和解が起こります。過去の記憶が恐れを膨らませても、主は平和への一歩を用意できる方です。通読は「想像の恐れがほどける瞬間」を与えてくれます。

創世記34章

深い傷と怒り、復讐の連鎖が描かれる痛みの章です。聖書が闇を隠さないのは絶望させるためでなく、福音の必要をはっきりさせるため。痛みを軽視せず、怒りで暴走もしない知恵を学び、「主の前で立ち止まる」章です。

マタイ14章

五千人の給食で主は「持っているものを持って来なさい」と、足りなさを用いて満たされます。さらに嵐の中で「恐れるな」と近づき、沈みかけたペテロの手をつかまれます。信仰は沈まないことではなく、手を取られることを知ることです。

金曜日(旧約:創世記35〜36章/新約:マタイ15章)

創世記35章

「ベテルへ帰れ」と主はヤコブを原点へ招きます。偶像を捨て、身を整え、礼拝の場所へ戻るのは回復のため。忙しさで散らかった心を片づけ、約束を再確認する章です。別れの痛みも通りつつ、主の「共にいる」が芯になります。

創世記36章

エサウの系図が続く地味な章ですが、主が歴史の細部を積み上げて計画を進めておられる証拠です。目立つ出来事がない時期も無意味ではありません。通読は、派手な感動だけでなく、静かな確かさで信仰が育つことを教えてくれます。

マタイ15章

主は汚れの本質を外側でなく「心」に置かれ、言葉と内側を扱われます。取り繕うより、根っこの癒しへ。さらに異邦人の女性へのあわれみが示され、境界を越える恵みが明らかに。通読は、正直な心の叫びが主に届く希望を与えます。

土曜日(旧約:創世記37〜39章/新約:お休み)

創世記37章

ヨセフは夢を見た直後に売られ、人生が急降下します。「主の計画があるのに、なぜ?」と思う展開ですが、通読は“下り”が救いの伏線になることを教えます。谷を通って次の山へ向かうように、主は今日の下り坂を最終結論にされません。

創世記38章

混乱とねじれが露わになる章です。聖書がこうした現実を隠さないのは、救いが必要な理由を明確にするため。白い理想だけでなく闇があるから光が際立つ。通読者はここで「主よ、私の闇にも光を」と祈りつつ、福音の明るさを再発見します。

創世記39章

ヨセフは誠実でも誤解され、牢へ落ちます。それでも繰り返される鍵は「主がヨセフとともにおられた」。場所が変わっても主の臨在は圏外になりません。報われない時間が、後の大きな扉の鍵になることを示し、「閉じた場所でも主は働ける」と励まします。

日曜日(通読なし:休息と振り返り)

休息と振り返り

今日は採点日ではなく回復日です。今週刺さった“ひと言”を一つ選び、ゆっくり読み返して味わいましょう。通読は読破競争ではなく、光に出会う旅。読めた量より、出会えた主の確かさが宝です。深呼吸するように御言葉を受け取り、また月曜へ軽く歩き出しましょう。

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