「たら」「れば」を言っても仕方がないとよく言います。
〜していれば とか
〜であれば とか つぶやいてしまうことがよくあります。
後悔の言葉を言っても、
「後悔先に立たず・・・」です。
一度やってしまったことは後で後悔しても取り返しがつかないということ。
事が終わったあとで悔やんでも仕方がないという意味。
後悔しない様に十分に自分を尽すようにという戒めです。
今朝早く、
重いスーツケースを持った息子を駅まで車で送るときのことです。
急いでいたので、息子が後ろの座席に乗って
自動のスライド式のドアを閉めはじめてすぐに車を動かしました。
すると、大きな音が聞こえました。
右は電信柱、左はフェンスがある細い道なので、
サイドミラーがぶつかったのかと思いました。
でもそれにしては音が大きすぎました。
後ろの座席の息子の悲鳴のような声が聞こえて、ことの大変さに気がつきました。
左サイドのドアが吹っ飛んでいたのです。
自動のドアが閉まりきる前に発進して、
いつもの車の幅よりも相当広くなっている外側に出っ張っているドアが、
フエンスのブロックに当たって反対側に引っ張られるように電気系統の配
線も全てぶっち切り飛んで行ったのです。
左後ろのスライドドアのレールが変形したからか、
後部ライトの近くが変形して亀裂が入っていました。
それで、左後部のタイヤがパンクするくらいでした。
落ち着いているように装っていましたが、
そんな左ドアが取れている車で、
なお息子を駅まで送ろうとして息子に制止されたということは、
相当パニックっていたようです。
その時に、私は、こう思いました。
いつもは軽自動車で送っていたのですが、
今日はチャイルドシートが取り付けてあって乗りにくそうだったので、
8人乗りの大きな車で送くろうとしたのです。
いつもは、8人乗りにチャイルドシートは取り付けているのですが、
昨日、6人で遠出する用事があって、軽自動車にチャイルドシートを移動させていました。
昨日帰ってきたときに、チャイルドシートを移動させようと思いました。
でも、今日じゃなくても明日でもいいかと思ってしまったのです。
昨日帰ってきたあの時に、じゃまくさがらずに移動させておけば、
今日はいつも通りに軽自動車で送ることができたのです。
そうすれば、軽自動車だったら道幅に余裕があるので、
ドアが吹っ飛ぶようなことはなかったはずです。
ああしていたら・・・・・
こうにしていなければ・・・・
本当に後悔先に立たずです。
でも、人をひいたというな人身事故ではないのです。
相手の車や家を破壊したというのでもありません。
乗っていた私や息子が大変なことになったというのでもありません。
ですから、本当に取り返しがつかないことではありません。
(ただ、数十万円出費がかさむということだけです。本当はこれも大変なことなのですが・・・)
でも、
どんなことをしても、
どんなにお金があっても、
どんなに地位や名声があっても取り返しのつかないことがあります。
今も、永遠の後悔をしている一人の人がいます。
それは、聖書に出てくる金持ちです。
神様を無視し逆らい刃向かって、自分の罪をどうすることもできずに
神様の前で自分自身の罪を裁かれ、永遠の火の燃える地獄で苦しんでいます。
永遠の苦しみは、もちろん火と硫黄の燃える怖ろしさでもあるのですが、
神様の愛が注がれていたのにその愛を受け入れなかった後悔の苦しみです。
イエスキリストが救い主として
人間の裁かれる罪の刑罰の身代わりとして十字架で死んでくださり、
三日目に死の力を打ち破りよみがえられたという事実が明確に示されているのに
その愛なる救いを受け入れなかったという永遠の後悔です。
金持ちは、
神様があの時に・・・
こんな時に・・・
自分にいろいろなことを通して神様の愛を示してくださっていたのに
どうして自分は無視してしまったのだろうという後悔の連続です。
この後悔は、ほんとうに後悔先に 立たずなのです。
この後悔は、永遠の後悔になるのです。
金持ちは、今、あなたにこんな苦しみは場所に絶対に来ないようにと願っています。
神様の言葉である聖書があります。
イエスキリストの十字架と復活という事実があります。
本当の私は、今日、
車の事故で1日中落ち込んでいました。
こうしていればとか、こうしていなければとか、
考えないようにしようと思いながら考えていました。
でも、そのおかげで、感謝なことに久しぶりにこのブログを書 くことができました。
そして、もう一度、確信して感謝します。
後悔とは、
したことの後悔、
しなかったことの後悔があります。
私は、永遠の後悔をするものではなく、
永遠のいのちを得て神様の愛を永遠に味わい喜び満足するものであることを感謝します。
神は、実に、
そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)
今日は、私と家内の結婚記念日でした。
私は、今日の事故のことで家内の感謝の言葉をまだ言っていないので、
この場で言います。
「私と35年という長い年月、
神様と共にイエスキリストの兵士として
歩んでくれて感謝しています。
病気やいろいろな困難の中にあって
いつも励まし、時には優しく時には厳しく側にいてくれてありがとう。
こころから愛しています。」