クリスチャンの喜びと、クリスチャンでないかたの喜び
あなたにとって「喜び」とは何でしょうか。
そして、あなたは今「喜んでいますか」。
こう聞かれると、少しドキッとするかもしれません。
「そんな余裕ないです。」「正直、喜びより不安のほうが大きいです。」
そう答えたくなる状況の中を、私たちは生きています。
病気や老い、家族の問題、仕事のプレッシャー、将来への不安。
まるで、波が次から次へと押し寄せてくる海のようです。
一つ越えたと思ったら、また次の波がやってくる。
それが私たちの現実です。
あなたの「喜び」とは何ですか?
多くの人にとって「喜び」とは、以下のようなものかもしれません。
・十分なお金があること。
・健康で長生きできること。
・家族や友人に囲まれていること。
・仕事がうまくいき、評価されること。
・好きな趣味や旅行を楽しめること。
どれも、とても大切です。
聖書の神様は、これらを「悪いもの」とは決して言われません。
むしろ、私たちに与えてくださる「良い賜物」です。
ただ、ここで一つだけ、大事な問いかけをしたいのです。
その喜びは、いつまで続きますか。
たとえるなら、砂浜に作る砂のお城のようです。
一生懸命に作っているときは本当に楽しい。
まわりの人から「すごいね」と言われると、誇らしい気持ちにもなります。
けれども、潮が満ちてくると、どんなに立派なお城でも、波が来ればあっという間に崩れてしまいます。
お金も、健康も、地位も、名声も、人間関係も、同じところがあります。
病気一つで、健康の喜びは揺らぎます。
事故や災害で、財産は一瞬で失われることもあります。
人間関係も、誤解や裏切りで壊れてしまうことがあります。
そして最後には、だれ一人として「死」を避けて通ることはできません。
だからこそ、クリスチャンでない方にも、静かにお聞きしたいのです。
あなたが今、心の支えにしている喜びは、
死を越えて、永遠まで続く喜びでしょうか。
もし、「正直、自信がない」と感じるなら、
それはとても正直な、そして大切な気づきです。
クリスチャンに与えられている「朽ちない喜び」
聖書は、もう一つの喜びについて語っています。
それは「状況に左右されない喜び」「死によっても奪われない喜び」です。
詩篇16篇11節には、こんな意味のことばがあります。
「あなた(主)は、私にいのちの道を知らせてくださる。
御前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右の手には、とこしえの喜びがある。」
ここで語られている喜びは、「主ご自身のもとにある喜び」です。
お金や成功があるからではなく、イエスキリストというお方との関係から湧き出してくる喜びです。
イエスキリストは、十字架で私たちの罪を背負って死に、三日目によみがえられました。
そのイエスキリストを信じる人には、
⑴罪が赦されているという喜び。
⑵神の子どもとされている喜び。
⑶死んでも終わりではなく、永遠の天国に迎え入れられる希望の喜び。
⑷どんな時でも「主がともにおられる」という安心がもたらす喜び。
が与えられます。
黙示録21章3〜4節には、将来神様が備えておられる世界が描かれています。
そこには、死も、涙も、苦しみも、悲しみも、叫びも、痛みもない世界があります。
神ご自身が人とともに住み、すべての涙をぬぐい取ってくださる、と約束されています。
クリスチャンの喜びは、人生の向かっている「行き先」が変えられたという喜びです。
今ここでは嵐の中を歩いていても、「最後は必ず安全な港に着く」と分かっている船のようなものです。
波は高くても、行き先が分かっている船と、行き先が分からない船とでは、乗っている人の心は全く違います。
天国ではもう味わえない、地上でしか味わえない五つの喜び
ここからは、特にクリスチャンに向けてお話ししたい部分です。
天国は完全な喜びの場所です。
しかし、天国が完全だからこそ、「今の地上でしか味わえない喜び」もあるのです。
① 天国では伝道できないが、地上では福音を証しできる喜び
天国には、すでに救われた人しかいません。
そこでは、伝道も証しも必要ありません。
けれども、この地上には、まだイエスキリストを知らない愛する家族、友人、同僚がたくさんいます。
小さな証しでも、祈りつつ語る一言でも、主は用いてくださいます。
あとから誰かが、
「あなたがあのとき語ってくれた一言が、ずっと心に残っていたんです」
と言ってくれるかもしれません。
これは、地上でしか味わえない、尊い喜びです。
② 見えない中で信仰を働かせて歩む喜び
ローマ5章3〜5節には、「患難さえも喜ぶ」と書かれています。
患難は忍耐を生み、忍耐は練られた品性を、練られた品性は希望を生む、と続きます。
天国では、もう「患難」はありません。
信仰の戦いも終わっています。天国では、信仰を働かせる必要はないのです。
しかし今、この地上では、「まだ見えないけれど、主を信頼して一歩踏み出す」という信仰による特別な喜びがあります。
祈って、主に信頼して、信仰を働かせて一歩を踏み出すのです。
その一つ一つが、天で語られる証しとなります。
③ イエスキリストに似た者へと成長していく喜び
私たちは皆、途中の存在です。
聖書は、クリスチャンの成長を「粘土をこねる陶器師」と「ろくろ」のたとえでよく表現できます。
ろくろの上の粘土は、押されたり、伸ばされたり、削られたりしながら、美しい器になっていきます。
同じように、私たちの人生にも、押されるような試練や、削られるような経験があります。
その中で、少しずつ、
・自分の弱さを知り、主に頼る心が育つ。
・人の痛みに寄り添える優しさが生まれる。
・自分よりも人を優先できる愛が育っていく。
こうして、「イエス様に似た者へと」形づくられていきます。
これは、完成された天国ではもう味わえない、「途中であるイエスキリストに似た者へと成長できる喜び」です。
④ イエスキリストへの愛を、犠牲を通して証しできる喜び
真実な愛は、「何も失わないとき」よりも、「何かを手放すとき」にこそ明らかになります。
親が子どものために、自分の時間やお金、趣味を犠牲にするとき。
そこには確かに痛みがありますが、同時に「それでもこの子のためなら」と願う深い喜びがあります。
同じように、私たちが主のために、
・時間をささげる。
・奉仕のために自分の都合を横に置く。
・神の国のために献金をささげる。
これらは一見クリスチャンでない人にとっては「損」であるかのように見えるかもしれません。
しかし、実は「イエス様を愛しています」と具体的に告白する機会なのです。
天国では、もう犠牲は必要ありません。
だからこそ、「犠牲を通して主を愛する喜び」は、今しか味わえない尊い恵みです。
⑤ イエスキリストのために戦うことができる喜び
マタイ5章11〜12節で、イエス様はこう語られました。
「わたしのために罵られ、迫害され、身に覚えのないことで悪口を言われるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。」
人からの誤解や冷たい視線は、決して楽なものではありません。
しかし、その中で、
「それでも私はイエス様を選びます。
それでも私は主に従って歩みたいです。」
と告白できること自体が、実は深い喜びです。
穏やかな港ではなく、嵐の海の上でこそ、船長の真価が問われるように、
嵐の中でなおイエス様に従うときにこそ、「主を愛している」ということが、はっきりと証し出来るチャンスなのです。
ヨハネ16章33節で、イエス様はこう言われました。
「あなたがたは世にあっては苦難があります。
しかし勇気を出しなさい。
わたしはすでに世に勝ちました。」
この御言葉は、戦いの中にある私たちへの、力強い励ましです。
クリスチャンでない方への招き:「永遠に続く喜び」を知ってほしい
ここまで読んでくださったクリスチャンでない方に、お伝えしたいことがあります。
あなたが今持っている喜びは、とても大切です。
家族、仕事、趣味、時間、お金。
それらはすべて、神様があなたに与えてくださった、尊いプレゼントです。
しかし、そのどれもが「いつかは手放さなければならないもの」です。
だからこそ、聖書は私たちに、もう一つの土台を示しています。
イエスキリストは、あなたを愛しておられます。
あなたの罪と弱さをご存じのうえで、十字架にかかり、あなたの罪の刑罰の身代わりに死んでくださいました。
そして三日目によみがえり、主であり神であることを明らかにし、今も生きておられます。
このお方を信頼するとき、あなたの人生には、
・罪が赦される喜び。
・神様に愛されているという確かな土台。
・死を越えた永遠のいのちの希望。
が与えられます。
あなたの喜びは、永遠に続く喜びですか?
もし、その問いに「そうだ」と言い切れないなら、
どうか、イエスキリストに心を向けてみてください。
静かな心で、
あなたの罪を覚えて下さい。
また、自分自身でどうすることもできない罪をイエスキリストが背負って身代わりに罰を受けて下さったことを覚えて下さい。
そして、死んで終わりではなく墓に葬られ三日目に死の力を打ち破り甦られた神であり救い主であることを信仰で受け入れて下さい。
ここから、すべてが始まります。
結び:どこに喜びの根を下ろして生きますか
ピリピ4章4節には、こう書かれています。
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」
ここで大事なのは、「主にあって」という言葉です。
状況がいつも良いからではなく、
主がともにいてくださるから、喜ぶことができます。
クリスチャンにとっても、悩みや落ち込みは現実です。
しかし、どんな状況でも変わらない土台があります。
・十字架と復活によって示された、神様の変わらない愛。
・やがて涙がすべてぬぐわれる、天の御国の希望。
・そして今この地上でしか味わえない、信仰の戦いと奉仕の喜び。
天国ではもうできないことが、今、あなたの目の前に置かれています。
福音を伝える喜び。
信仰を働かせる喜び。
主に似た者へと変えられていく喜び。
犠牲を通して愛する喜び。
主のために戦う喜び。
どうか、今日も、そしてこれからも、
イエスキリストに根を下ろした「朽ちない喜び」を、
共に味わいながら共に歩んでいきたいと願っています。