苦境の中でダビデが失わなかったもの ―逆境の中でも消えなかった「信仰の光」―

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苦境の中でダビデが失わなかったもの

―逆境の中でも消えなかった「信仰の光」―

はじめに

人生には、「もうだめだ」と思ってしまうような時があります。
  • 祈っても状況が変わらない
  • 不安で夜眠れない
  • 先が見えない
  • 周囲に理解されない
  • 敵に囲まれているように感じる
そんな時、人は希望を失いやすくなります。
しかし聖書を見ると、ダビデもまさにそのような状況を経験していました。
敵に追われ、命を狙われ、孤独と恐れの中を歩んでいたのです。
それでも彼は、絶望しませんでした
なぜでしょうか
それは、ダビデが「あるもの」を失わなかったからです。
今日は、詩篇27篇を通して、
★「逆境の中でも消えない信仰の光」★
についてご一緒に学びたいと思います。

詩篇 27篇

ダビデによる
1 主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。
2 悪を行う者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。
3 たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。
4 私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
5 それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。
6 今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。私は、その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、歌うたい、主に、ほめ歌を歌おう。
7 聞いてください。主よ。私の呼ぶこの声を。私をあわれみ、私に答えてください。
8 あなたに代わって、私の心は申します。「わたしの顔を、慕い求めよ」と。主よ。あなたの御顔を私は慕い求めます。
9 どうか、御顔を私に隠さないでください。あなたのしもべを、怒って、押しのけないでください。あなたは私の助けです。私を見放さないでください。見捨てないでください。私の救いの神。
10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。
11 主よ。あなたの道を私に教えてください。私を待ち伏せている者どもがおりますから、私を平らな小道に導いてください。
12 私を、私の仇の意のままに、させないでください。偽りの証人どもが私に立ち向かい、暴言を吐いているのです。
13 ああ、私に、生ける者の地で主のいつくしみを見ることが信じられなかったなら—
14 待ち望め、主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め、主を。

ダビデは「恐れない人」ではなかった

詩篇27篇1節でダビデはこう語ります。
「主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちの砦。だれを私は怖がろう。」(詩篇27篇1節・新改訳)
この御言葉を見ると、ダビデはまるで「全く恐れなかった人」のように感じるかもしれません。
しかし実際は違います。
ダビデも不安になりました。
恐れました。
苦しみました。
だからこそ、彼は「主は私の光」と告白したのです。

暗闇の中でこそ「光」は必要になる

昼間、太陽が輝いている時には、懐中電灯のありがたさはあまり分かりません。
しかし停電して真っ暗になった瞬間、小さな光でもどれほど安心するでしょうか。
ダビデにとって神様は、その「暗闇の中の光」でした。
敵に囲まれても、未来が見えなくても、神が共におられることが、彼の希望だったのです。

ダビデが失わなかったもの

詩篇27篇13節。
ここにダビデの信仰の核心があります。
「私は信じます。命あるものの地で主のいつくしみを見ることを。」(詩篇27篇13節・新改訳)
ここでダビデは、
「私は感じます」
とは言っていません。
「私は信じます」
と言っています。

感情ではなく「信仰」を握った

私たちは苦しくなると、
  • 「神様はもう助けてくださらないのでは」
  • 「私は見捨てられたのでは」
と感じることがあります。
しかし感情は、天気のように変わります。
晴れの日もあれば、嵐の日もあります。
でも神様は変わりません。
だからダビデは、
➡感情ではなく、神の約束を握ったのです。

ある少女の証し

第二次世界大戦中、ナチスの迫害の中で生きたあるクリスチャン少女がいました。
彼女は収容所のような苦しい環境の中で、毎日恐怖と不安の中を生きていました。
しかし彼女はこう言ったそうです。
「暗闇が深ければ深いほど、小さな光はもっと輝いて見える。」
周囲には絶望しかありませんでした。
けれど彼女は、神様への信仰を失いませんでした。
実は、信仰とは、
➡「問題が消えること」ではなく、
➡「暗闇の中でも光を見失わないこと」
なのです。

神を待つことは簡単ではない

ダビデは最後にこう語ります。
「主を待ち望め。雄々しくあれ。心を強くせよ。主を待ち望め。」(詩篇27篇14節・新改訳)
「待つ」ということは、とても難しいことです。
私たちは、
  • 今すぐ答えが欲しい
  • すぐに状況が変わってほしい
  • 早く楽になりたい
と思います。
まるで、旅行中の子どもが、
「まだ着かないの?」
と何度も聞くようなものです。
しかし親は、ちゃんと目的地を知っています。
子どもには見えなくても、確実に近づいているのです。
同じように、神様も私たちの人生の「目的地」を知っておられます。

神の沈黙は「不在」ではない

祈っても何も変わらない時、
私たちは「神様は沈黙している」と感じます。
しかし、
➡神の沈黙は、神の不在ではありません。
種を植えた直後、地面の上には何も見えません。
でも土の下では、根が伸びています。
目に見えないところで命は育っているのです。
私たちの人生も同じです。
見えなくても、変わっていないように見えても
神は静かに働いておられます。

ダビデは「神ご自身」を求めた

詩篇27篇4節でダビデはこう言います。
「一つのことを私は主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り主の家に住むことを。」
普通なら、
  • 敵を倒してください
  • 問題を消してください
  • 苦しみをなくしてください
と願いそうです。
しかしダビデが最も求めたのは、
➡「神ご自身」でした。

本当の信仰とは何か

本当の信仰とは、
「問題がなくなること」
ではありません。
➡問題の中でも神を見上げ続けることです。

十字架のイエス様も「待たれた」

イエス様もまた、十字架への道を歩まれました。
すぐに救いを完成させることもできたはずです。
しかし主は、
苦しみを通り、忍耐し、父なる神を信頼されました。
だから私たちも、
待つ時間の中で、苦しみの中で、
主を見上げることができるのです。

あなたへの励まし

もし今、
  • 苦しい
  • 不安
  • 先が見えない
  • 神様が遠く感じる
そんな状況の中にいるなら、
どうか思い出してください。
ダビデも同じでした。
しかし彼は、
「私は信じます」
と言いました。

おわりに

信仰とは、
「不安がなくなること」ではありません。
➡不安の中でも神を信じることです。
暗闇の中でも、涙の中でも、答えが見えない中でも、
神はあなたを見捨てておられません。
だから今日も、
詩篇27篇14節の御言葉を握りましょう。
「主を待ち望め。雄々しくあれ。心を強くせよ。主を待ち望め。」
神は、必ず最善の時に働かれます。
そしていつの日か、あなたも振り返ってこう言うでしょう。
「あの苦しみの中でも、神は確かに共にいてくださった」と。

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