【聖書通読第14週 5日目】恐れに支配されるのではなく、主の光の中を歩(民数記14章とヨハネ8章)

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【聖書通読第14週 5日目】恐れに支配されるのではなく、主の光の中を歩(民数記14章とヨハネ8章)

民数記14章 / ヨハネ8章

恐れに支配されるのではなく、主の光の中を歩む

民数記14章とヨハネ8章には、どちらにも「人の恐れ」と「神様のあわれみ」が強く表れています。
民数記14章では、イスラエルの民が神様の約束よりも恐れを大きく見て、不信仰に陥りました。
一方ヨハネ8章では、罪の中にいる人に対して、イエス様があわれみをもって向き合い、さらに「わたしは世の光です」と宣言されます。
この二つの章を通して見えてくるのは、恐れも罪も人を暗く閉ざしますが、神様はその中でなおあわれみを示し、光の中へ招いてくださるということです。

民数記14章の解説

不信仰は、神様の約束よりも恐れを大きくしてしまう

民数記13章で、10人の斥候は「カナンの地にはとても入れない」と言いました。
その言葉を聞いた民は恐れに支配され、民数記14章では泣き叫び、「エジプトに帰ろう」とまで言い出します。
彼らは、神様がこれまでどのように導いてくださったかを忘れてしまいました。
エジプトから救い出してくださったこと。
紅海を渡らせてくださったこと。
荒野でマナを与えてくださったこと。
雲の柱、火の柱で導いてくださったこと。
そのすべてを見てきたのに目の前の恐れが大きくなった時、神様の真実が見えなくなってしまったのです。
ここに私たちの姿も映ります。
神様の恵みを何度も受けていながら、いざ困難が来ると、 「もうだめだ」 「主は本当に助けてくださるのだろうか」 と不安に飲み込まれてしまうことがあります。
不信仰とは、ただ「信じない」というだけではありません。
神様の約束よりも、自分の恐れを信じてしまうことでもあります。
けれどこの章で忘れてはならないのは、モーセのとりなしです。
民が神様に逆らった時、モーセは彼らのために祈りました。
すると神様は、そのとりなしを聞き、ただちに滅ぼすことをなさいませんでした。
ここに、神様のあわれみ深さが表れています。 神様は罪を軽く扱われませんけれど、あわれみをもって忍耐してくださるお方です。

ヨハネ8章の解説

イエス様は罪人を責めて終わるのではなく、光の中へ招かれる

ヨハネ8章の初めには、姦淫の現場で捕らえられた女性が連れて来られる場面があります。
人々はこの女性を裁こうとし、イエス様を試そうとしました。
でもイエス様は、すぐには言葉を発せず、地面に何かを書かれました。 そしてこう言われます。
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
この一言によって、人々は一人また一人と去って行きました。 最後に残ったのは、イエス様とその女性だけです。
そこでイエス様は、
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」 と言われました。
ここには大切なバランスがあります。 イエス様は、罪を罪でないとは言われませんでした。 「今からは決して罪を犯してはなりません」と言われたからです。 けれど同時に、その女性を滅ぼすためではなく、赦しと新しい歩みへ導くために向き合われました
そのあとイエス様はこう言われます。
「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」
罪も恐れも、人を暗闇の中に閉じ込めます。
でもイエス様は、その暗闇の中に光として来てくださるお方です。
主の光は、ただ私たちを照らして罪を明らかにするだけでなく、その暗闇から外へ連れ出す光でもあります。

神様が喜ばれること

恐れの声ではなく、主の約束に耳を傾けること

神様が喜ばれるのは、私たちが恐れの声よりも神様の約束を信じることです
問題がなくなるから信じるのではありません。 問題があっても、「主は真実なお方だ」と認めることを神様は喜ばれます
また神様が喜ばれるのは、私たちが自分の罪を隠し続けるのではなく、主の前に出ることです。
イエス様は、罪人を責めて終わるためではなく、救うために来られました。
だからこそ、正直に主の光の中へ出ることを神様は喜ばれます。

神様が望んでおられること

不信仰から立ち返り、主の光の中を歩むこと

神様が望んでおられるのは、私たちが恐れに支配されるのでなく、神様の真実を信じることです。
民数記14章の民のように恐れに流されるのではなく、ヨシュアとカレブのように、主の約束に立つことを神様は望んでおられます。
また神様が望んでおられるのは、私たちがイエス様の光の中を歩むことです。
暗闇にとどまり続けるのではなく、罪を主のもとへ持って行き、赦しを受け、新しく生きること。
それが神様の喜ばれる道です。

まとめ

民数記14章は、恐れが神様の約束を見えなくさせることを教えています。
ヨハネ8章は、罪と暗闇の中にいる人にも、イエス様があわれみをもって近づき、光の中へ招いてくださることを教えています。
今日、私たちは覚えたいのです。
恐れは大きく見えても、主の約束は変わりません。
罪が深くても、主の光はなお届きます。
だから、恐れに負けず主を信じたいのです。 そして暗闇の中にとどまらず世の光であるイエス様のもとに出て行きたいのです。
主は、あわれみ深く、赦しを与え、光の中を歩ませてくださるお方です。

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