
この記事の目次
「『キリスト・イエスにあって』という避難所 ―― 感情を超えた安息」 (『すべてのこと』を益とされる、神様のパズルを信じて」)
16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケ第一の手紙5章)
「いつも喜んでいなさい」「すべてのことに感謝しなさい」という御言葉は、苦難の渦中にいる時、時に鋭い刃のように心を突き刺すことがあります。喜べない現実に直面しているのに「喜べ」と言われるのは、まるで溺れている人に「笑って泳ぎなさい」と言われているような、無理難題に聞こえてしまうものです。
自分自身を納得させられない時、どのようにこの御言葉を受け止めればよいのか。心理的・信仰的な視点から、3つのステップで紐解いてみましょう。
1. 「感情」と「意志」を切り離して考える
まず大切なのは、聖書が言う「喜ぶ」「感謝する」は、沸き起こる「感情」のことではないという点です。
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感情(Feelings): 自然に湧き出るもの。悲しい時に悲しみ、苦しい時に不平が出るのは、神様が人間に与えた自然な反応です。
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意志(Will): 感情がどうあれ、「神様が共におられるという事実に立つ」と決めること。
テサロニケの手紙にある「キリスト・イエスにあって」という言葉は、「あなたの感情が晴れるまで待ちなさい」という意味ではなく、「あなたの感情が土砂降りであっても、キリストという屋根の下に(避難所に)いなさい」という意味です。
納得できない時は、「今は喜べない、感謝もできない」という正直な感情をそのまま神様に差し出してください。それこそが、次のステップである「絶えず祈りなさい」の第一歩です。
2. 「なぜ」という叫びを「祈り」として認める
「絶えず祈りなさい」という御言葉を、「清らかな言葉で神をほめたたえ続けなさい」と誤解してはいけません。
聖書の詩篇を読んでみてください。そこには「いつまで放っておかれるのですか!」「敵に囲まれて死にそうです!」という、生々しい不平不満や絶望が溢れています。 「神様、納得できません!」「なぜ助けてくれないのですか!」という叫び自体が、実は立派な「祈り」ではないのかとわたしは考えます。
神様が求めておられるのは、取り繕った感謝の言葉ではなく、あなたの心の奥底にある「納得いかない思い」そのものです。不平を外(人や環境)にぶつけるのではなく、神様に向かって「ぶつける」こと。それが「絶えず祈る」ことの真実な姿ではないでしょうか。
3. 「すべてのことについて」の本当の意味
「すべてのことについて感謝しなさい」は、「すべての出来事(嵐そのもの)を喜べ」と言っているのではありません。
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× 嵐が起きたことを感謝する(これではただの無理強いです)
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○ 嵐の中でも、神様が私を離さず、最終的に「益」としてくださるという「約束」に対して感謝する
「神はすべてを益としてくださる(ローマ8:28)」という御言葉は、今すぐパズルが完成して綺麗な絵が見えるという意味ではありません。今はバラバラで、色が暗く、尖ったピース(苦難)しか見えなくても、最後には神様の手によって最高の絵が完成することを信じて、「未来の完成図」に対して前もって「ありがとう」と言うのが、キリスト・イエスにある感謝です。
納得できない時の受け止め方
どうしても自分を納得させられない時は、無理に納得しようとしなくて大丈夫です。以下のプロセスを辿ってみてください。
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「今は納得できません」と神様に白旗を上げる: 自分の力で解決しようとするのをやめ、その無力さを神様に伝えます。
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「事実」だけを確認する: 感情は「神は遠い」と言っていますが、御言葉は「わたしは世の終わりまで共にいる」と言っています。「感情」ではなく「御言葉という事実」に、魂の錨を下ろします。
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「キリストのゆえに」と一言添える: 「私には感謝できません。でも、私のために命を捨て、世に勝利されたキリストのゆえに、この状況も主の手の中にあることを認めます」と告白します。
あなたへの励まし
神様があなたに望んでおられるのは、ロボットのように「感謝します」と繰り返すことではありません。嵐の中で震えながらも、主の衣の裾を掴んで離さない、その格闘する姿こそが、神様の目には尊い信仰として受け取ってくださいます。
納得できない今の思いを、そのまま主の前に置いておきましょう。主はそれを責めることなく、静かに傍らに座ってくださいます。

