
この記事の目次
神様のメッセージを届ける器として——『MIKOTOBA』(ブログ)の原点回帰
1. 「自分の力」という錯覚がもたらしたもの
成功を自分の手柄にしてしまった慢心
わたしたちは日々、一生懸命に生きています。特に、神様のために、誰かのためにという思いで活動しているとき、物事がスムーズに進み始めると、心の中に少しずつ「ある変化」が忍び寄ってきます。それは、「これは自分が頑張っているからだ」「自分の計画が素晴らしいからだ」という、そんなことぜんぜん思っていないという思いの中にある自負(無意識の自負)です。
私も最近、まさにそのような状態にありました。神様の導きを感じ、目に見える形ではっきりと結果が現れたとき、心から感謝しました。しかし、いつの間にかその「感謝」が「満足」へと変わり、さらに「自分の力への自信」へとすり替わっていったのです。
「神様のために」と言いながら、実は「自分の実績を増やしたい」という野心が、自分でも驚くほどのスピードで事を進めさせていました。しかし、その時、私の視線はもはや神様ではなく、「数字」や「結果」という目に見えるものだけを追っていたのです。
期待の10分の1という現実と直面して
ところが、ある瞬間に気づかされました。自分が「すごいことになっている」と思い込んでいた結果が、実は私の大きな勘違いだったのです。蓋を開けてみれば、期待していた結果の10分の1もありませんでした。
もし、最初から神様の働きとして純粋に喜べていたなら、その「10分の1」の結果に対しても「主がなしてくださった」と感謝できたはずです。しかし、自分の力で成し遂げたつもりになっていた私は、激しく落胆しました。
2~3日の間、力が抜け、何も手につかないほどの落ち込みを経験しました。ブログで聖書のメッセージを書き、神様の素晴らしさを伝えている立場でありながら、実際には「自分が出した結果」を見て一喜一憂し、その結果が小さければ自分自身を否定されたように感じていたのです。なんと情けなく、愚かな姿だったことでしょうか。
2. 弱さの中にこそ現れる神様の完全な力
「わたしの恵みはあなたに十分である」
そんな失意の中で、私は聖書の御言葉に立ち返らされました。
「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」(コリント人への手紙 第二 12章9節)
この御言葉は、使徒パウロが自分の肉体にある「刺(とげ)」を取り去ってほしいと三度も主に願ったとき、主が答えられた言葉です。主はパウロの弱さを取り去るのではなく、その「弱さの中にこそ、わたしの力が完全に現れる」と言われました。
私が一喜一憂していたのは、自分の強さ、自分の有能さを満足したかったからです。しかし、神様が求めておられるのは、私の完璧さではなく、私の「弱さ」を認めて神様に委ねる姿勢でした。力が抜けて何もできなくなったあの数日間、神様は私に「あなたの力ではなく、わたしの恵みを見なさい」と語りかけておられたのです。
過去のメッセージが教えてくれたこと
落ち込んだ私は、救いを求めるように自分のブログ『MIKOTOBA』を開きました。そして、最近の投稿から過去へさかのぼり、20記事ほどをじっくりと読み返しました。
そこには、驚くべき光景がありました。
かつての自分が書いたはずのメッセージが、今の私の心に真っ直ぐに突き刺さり、慰め、励ましてくれたのです。読み進めるうちに確信しました。「これらの記事は、一つも自分の知恵や力で書いたものではなかった」と。
どれほど時間をかけて推敲し、言葉を選んだとしても、そこに「命」を吹き込み、読み手の心を打つのは神様です。私はただ、その時に与えられた御言葉を必死に書き留める「器」に過ぎませんでした。過去の自分が書いたメッセージによって、今の自分が救われるという体験を通して、私は「私が書いているのではなく、神様が書かせてくださっている」という謙虚な事実にようやく引き戻されたのです。
3. 『MIKOTOBA』の原点回帰——一人のために、祈りとともに
数字ではなく、目の前の一人に届けたい
今回の出来事を通して、私は『MIKOTOBA』というブログの原点に立ち返ることができました。ブログを運営していると、どうしても読者の閲覧数や読者の反応といった「数字」が気になります。しかし、神様の目から見れば、1万人の読者も、たった一人の読者も、その魂の重さに変わりはありません。
「神様の栄光のために」という言葉を、二度と自分の実績を飾るための看板にしてはならないと強く思わされました。たとえ目に見える結果が10分の1であったとしても、あるいは100分の1であったとしても、もしそこに神様の御心が働いているならば、それは「完全な成功」なのです。
これからは、一人の人が御言葉に耳を傾け、その人生に光が差すことを唯一の願いとして、記事を綴っていきたいと思います。一人のために祈り、一人のために神様からのメッセージを分かち合う。それこそが、このブログの本来の姿でした。
弱い器として、再び歩み出す
私は、自分が優れた指導者でも、立派な人間でもないことを心底よく知っています。むしろ、すぐに高ぶり、すぐに落ち込み、目に見えるものに振り回されてしまう「弱い、愚かな、罪人の頭」です。
しかし、だからこそ、神様の力が必要なのです。私が空っぽで、弱く、無力であるとき、主の力はその隙間を完全に満たしてくださいます。私の書く文章に価値があるのではなく、私を通して語られる「主の御言葉」に価値があるのだということを、一刻も忘れたくありません。
これからも、この『MIKOTOBA』を読んでくださる皆さまお一人おひとりのために祈りながら、私自身を通して語ってくださる神様の生きたメッセージを届けていきたいと願っています。
最後に、皆さまにお願いがあります。
こんなにも弱く、すぐに道を見失いそうになる私のために、どうかお祈りください。私が常に神様を第一とし、自分自身の栄光ではなく、主の栄光だけを追い求める「謙遜な器」であり続けられるように。そして、このブログが皆さまにとって、神様の豊かな恵みに触れる憩いの場となりますように。
主の恵みが、皆さまとともに豊かにありますように。
