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聖書が教える神様が望んでおられる『礼拝』とは何か?
礼拝とは「神様から受け取るもの」ではなく、「神様にささげるもの」です。
礼拝に行く理由を尋ねると、
「素晴らしいメッセージを聞くためです」
「元気をもらうためです」
「励まされるためです」
「祝福を受けるためです」
という答えを聞くことがあります。
もちろん、神様は礼拝を通して私たちを励まし、御言葉によって教え、慰めてくださいます。
しかし聖書が教える礼拝の本質は、それだけではありません。
むしろ礼拝とは、
「神様から何かを受け取るために行く場所」
ではなく、
「すでに神様から与えられた恵みに対して、感謝と賛美を神様にささげる場」
なのです。
礼拝の主人公は私たちではありません。
「神様」です。
礼拝の中心は「私たちの必要」ではありません。
「神様の栄光」です。
礼拝は神に栄光を帰すためにあるのです。
詩篇29篇2節にはこうあります。
「主の御名の栄光を主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。」
(新改訳)
礼拝とは、神様に栄光を帰する行為です。
神様は私たちから何かを奪おうとしておられるのではありません。
むしろ、私たちに永遠のいのちを与え、罪を赦し、神の子としてくださったお方です。
信仰によってすでに与えられた「恵み」に対して、
「ありがとうございます」
と応答するのが礼拝です。
礼拝は福音への応答である
私たちは罪人でした。
神様から離れ、自分勝手に生きていました。
しかし神様はそのような私たちを愛し、
御子イエス・キリストを十字架に遣わしてくださいました。
ヨハネ3章16節には、
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」
(新改訳)
とあります。
さらにエペソ2章8節には、
「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。」
(新改訳)
とあります。
私たちは救いを勝ち取ったのではありません。
受けました。
永遠のいのちは努力の結果ではありません。
恵みによって与えられた贈り物です。
だから礼拝とは、
受け取るに値しないわたしのために恵みによりただ信じる信仰によって与えてくださった「救い」と「永遠のいのちと祝福」を感謝し、賛美を捧げるという福音への応答なのです。
礼拝は感謝をささげる場である。
詩篇100篇4節には、
「感謝しつつ主の門に、賛美しつつその大庭に入れ。」
(新改訳)
とあります。
ここには、
「祝福を受けるために入れ」
とは書かれていません。
「感謝しつつ入りなさい」
と書かれています。
礼拝に来る時、
私たちは空の手で何かを受け取る為に来るのではありません。
神様から受け取った恵みを数えながら感謝と喜びを捧げるために来るのです。
救われたこと。
罪が赦されたこと。
今日も生かされていること。
神様が共にいてくださること。
これらを思い起こしながら感謝と賛美をささげるために礼拝に集うのです。
礼拝は「ささげること」である
ローマ12章1節にはこうあります。
「あなたがたのからだを、神に喜ばれる聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」
(新改訳)
礼拝とは単なる集会ではありません。
私たち自身を神様におささげすることです。
時間をささげる。
心をささげる。
賛美をささげる。
祈りをささげる。
人生をささげる。
それが礼拝です。
まるで愛する人に花束を贈るように、
私たちは感謝の心を神様にささげるのです。
天国の礼拝も「受け取るため」ではない
黙示録4章11節には天国の礼拝が描かれています。
「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方です。」
(新改訳)
天の御使いたちは、
「もっと祝福してください」
とは言っていません。
「あなたは栄光を受けるにふさわしいお方です」
と賛美しています。
天国の礼拝は神中心です。
地上の礼拝も同じです。
礼拝で祝されるとはどういうことか
私たちはよく、
「今日の礼拝は祝されました」
と言います。
もちろんそれは感謝なことです。
しかし本当の意味で祝された礼拝とは、
「自分が何を受け取ったか」
ではなく、
「神様にどれだけわたしの感謝と賛美をささげることができたか」
ではないでしょうか。
神様の偉大さを見上げ、
神様の愛を思い、
神様に栄光を帰した時、
結果として私たちも祝福されるのです。
おわりに
礼拝とは、
神様から何かをもらうための場所ではありません。
礼拝とは、
すでに与えられた救いと恵みと永遠のいのちを喜び、
感謝し、
賛美し、
神様に栄光を帰するためのものです。
十字架によって救われた者として、
神様の愛に応答するために集うのです。
だから私たちは礼拝のたびにこう告白したいと思います。
「主よ、あなたは私を救ってくださいました。
永遠のいのちを与えてくださいました。
今日も生かしてくださいました。
ですから私は感謝と賛美をあなたにおささげします。
あなたこそ栄光を受けるにふさわしいお方です。」
これこそが、聖書が教える礼拝の中心なのです。
