【ちょっと一休み 】 神様のみ腕の中で、「静かにして、わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇 46篇10節 )

この記事の目次

ちょっと一休み ―― 神様のみ腕の中で、そのまま眠るように

「静かにして、わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇 46篇10節 / 新改訳聖書)

はじめに:走り続けるあなたへ、神様からの招待状

月曜日から金曜日まで、毎日の仕事や生活の重荷を背負い、さらには神様の御言葉に熱心に耳を傾けようと、一生懸命に走り続けたあなたへ。今日、聖書通読のスケジュールにはこう書かれています。

「ちょっと一休み」

この言葉は、単なるスケジュールの空白ではありません。これは、あなたをこよなく愛しておられる神様が、あなたのために特別に用意された「聖なる休息」への招待状です。

私たちは気を張っていると、「もっと頑張らなければ神様に喜ばれないのではないか」「聖書を読まない日は、霊的に後ろ退りしているのではないか」と、休むことにさえ罪悪感を抱いてしまうことがあります。しかし、聖書を書かれた神様は、私たちのそんな緊張をそっと緩め、「もういいから、一度荷物を下ろして、わたしの横で横になって休みなさい」と言ってくださる方なのです。今日は、張り詰めた心を包み込むような、あるひとつの感動的な物語をお届けします。

1. 嵐の中の避難所:ある宣教師の忘れられない夜

今から100年以上前、激動のアジアの地で、人々のために命を捧げて福音を伝えていた一人の宣教師がいました。彼の宣教活動は困難の連続で、周囲からの迫害、病気、そして「自分がもっと頑張らなければ、この地の人々は救われない」という強烈な責任感に、昼も夜も追われていました。

ある激しい暴風雨の夜、彼は心身ともに限界を迎えていました。心の中には不安が渦巻き、明日からの働きを考えると、恐怖で一歩も動けなくなるような状態でした。彼は暗い部屋の中で膝をつき、必死に祈ろうとしました。

「神様、私にはもう力がありません。どうすればこの働きを続けられるでしょうか。私を強くしてください。もっと働かせてください」

泣きながら必死に神様に叫び、自分の信仰を振り絞ろうとしていたその時、ふと、窓の外の激しい雨音の向こうから、ひとつの確かな「御声」が彼の心に響いてきたのです。

「我が子よ。わたしはあなたに、嵐を止めろとも、一人で世界を救えとも言っていない。ただ、わたしを信頼しなさい。そして、今夜はゆっくり眠りなさい。」

その瞬間、彼はハッと気づかされました。自分が守ろうとしていた神様の働きは、本当は「神様ご自身が握っておられるもの」であり、自分はただ、その大きな手のひらの上に乗せられている小さな存在にすぎないのだ、と。

彼は自分の力で事を進めようとすることをやめ、ただ信仰によって神様にすべてをゆだねて、神様の腕の中に飛び込むようにベッドに横たわりました。その夜、彼は数年ぶりと言えるほどの、深く穏やかな眠りに就いたのです。翌朝、目が覚めたとき、外の嵐は去り、美しい朝日が彼を照らしていました。彼の心は、自分の努力から来る力ではなく、神様から与えられた本物の安息によって、完全に満たされていたのです。

2. 「何もしない」という最高の信仰

聖書の中で、イエス様は私たちに向かって、驚くほど優しい言葉をかけてくださっています。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書 11章28節 / 新改訳聖書)

イエス様はここで、「わたしのもとに来て、もっと働きなさい」と言っているのではありませんただ「休ませてあげます」と約束されているのです。

私たちはしばしば、自分の「行うこと(Doing)」によって、神様や周りの人から認められようとします。聖書をこれだけ読んだから、これだけ良いことをしたから、これだけ成果を上げたから……。しかし、神様が何よりも愛しておられるのは、あなたの行動ではなく、あなたという「存在(Being)」そのものです。

幼い子供が、外で泥だらけになって遊び疲れ、家に帰ってきて母親の胸の中で泥だらけのまま眠ってしまうとき、その子は母親のために何か役に立つことをしているでしょうか。何もしていません。ただ、100パーセントの安心感のなかで、母親に身を委ねて眠っているだけです。しかし母親は、その愛しい寝顔を見つめながら、心からの愛しさを覚えます。

今日の「ちょっと一休み」は、まさに母親に全幅の信頼をよせて母親の腕に安らぐその子供のようになる日です。神様の前で、立派なクリスチャン、立派な大人、立派な専門職である必要はありません。すべての肩書きの鎧を脱ぎ捨てて、「神様、今日は何もしません。ただ、あなたに愛されている子供として、ここにいます」と、その腕に寄りかかって良いのです。この「何もしないで神様に委ねる」ということこそが、実は最も深い、最高の信仰の姿なのです。

3. 今日、あなたの心を緩めるために

神様が6日間で天地を創造されたあと、7日目に「安息(休み)」を設けられたのは、神様が疲れたからではありません。人間にとって「休むこと」が、神様の恵みを味わうために絶対に不可欠な時間だからです。

今日一日は、聖書の文字を追うことも、明日の計画を立てることも、誰かのために気をもむことも、すべて一時停止にしてみましょう。

  • 温かいお茶を淹れて、窓の外の景色をぼんやりと眺めてみる。

  • 神様が造られた美しい自然に触れ、心地よい風の音に耳を澄ませてみる。

  • 「ここまでよく頑張ってきたね」と、自分自身の身体と心を優しく労ってあげる。

あなたがそうして心を緩めている間も、あなたの人生のすべての問題、明日からのスケジュール、そしてあなたが大切に思っている人々の命は、あなたではなく、眠ることもまどろむこともない全能の神様が、しっかりと握り、守り続けてくださっています。だから、あなたが今日一日お休みし、安心して、あなたのハンドルを神様に渡してください。

おわりに:神様の愛の海に、ぷかぷかと浮かんで

かつて高名な牧師が、安息(休み)についてこのような美しい言葉を残しました。

「海で泳ぐとき、一生懸命に手足をバタバタさせているうちは、疲れて沈んでしまいそうになる。しかし、力を完全に抜いて水に身を委ねたとき、身体は自然とぷかぷかと水面に浮かび上がり、運ばれていく。神様の恵みも同じである」

今日の「ちょっと一休み」の時間は、あなたが手足の力を抜き、神様の圧倒的な愛の海にぷかぷかと身を委ねる時間です。

深く息を吸って、神様の慈しみを受け取り、深く息を吐いて、溜め込んでいた緊張をすべて手放してください。神様は今、あなたを優しいまなざしで見つめ、「愛する我が子よ、本当によく頑張っているね。今日はただ、わたしのそばで安心して休みなさい」と、その大きな御手であなたを包み込んでくださっています。

どうぞ、心ゆくまで魂を休め、新しく豊かな静けさに満たされる、祝福された一日をお過ごしください。

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