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【魂(SOUL)の音色を響かせて】『イエスキリストを愛する愛』という名の「内的欲求」から福音を響かせたい
久しぶりに開いたサックスのケース。過去の挫折と不器用な演奏の記憶から、神様を賛美したいという純粋な思いを振り返ります。ブログ執筆や日々の歩みが、いつの間にか「しなければならない」という義務になっていないでしょうか。人前で話すのが苦手な母親のエピソードや、「愛がなければ意味がない」と語る第一コリント13章の御言葉を通して、キリストへの愛から湧き上がる「内的欲求」の力強さと美しさをお伝えします。
久しぶりのサックスと、純粋な賛美への思い
眠っていたケースを開けて
今日、久しぶりにサックスのケースを開き、少し音を出してみました。自分でこんなことを言うのはおかしいかもしれませんが、長く吹いていなかったのに、とても気持ちのいい音色が響きました。その音を聞きながら、「またサックスの練習をして、神様を賛美したい」という思いが強く込み上げてきたのです。
私には、子供の頃のトラウマがあり、緊張のあまり音が乱れてしまうため、人前で歌うことができません。それでも、「神様を賛美したい」という思いはずっと心の中にありました。 そんなかなり昔のある日、ラジオから『リコーダーが少し吹けるならサックスは簡単ですよ。指の押さえ方も一緒です』『サックスは吹くのではなく、歌うことができます』という声が聞こえてきました。私はすべきことをなかなか実行に移せないのに、自分が「したい」と思ったことはすぐにしなければ我慢できない性格です。すぐに大きな楽器店へ向かいました。
憧れと葛藤、そして新しい挑戦
楽器店に並ぶサックスは20万、30万、40万と高価なものばかりで、「もし買ってやめてしまったらもったいない」と最初は諦めかけました。最初から「自分は続かない」と思ってしまう性格なのです。
それでも諦めきれず、近くの小さな楽器店でサックス教室に通い始めました。楽器も借りることができたからです。しかし、少し通って吹き始めると、ますます自分のサックスが欲しくてたまらなくなり、結局、先生の紹介で中ぐらいのランクのサックスを相当割引していただき、購入してしまいました。
リズム音痴の挫折と、喜びの賛美
決定的な欠点と、立ち止まった日々
そのまま続けていれば、きっと相当吹けるようになっていたと思います。しかし、私には決定的な欠点がありました。それは「リズムが取れない」ということです。 先生から「吹きながら足で拍子をとってください」と言われ、その通りにしたところ、足の筋肉を痛めてしまったほど不器用だったのです。情けないやら悔しいやら……。
もちろん、それでも練習を続けていれば何とかなったはずです。しかし、「しばらく休憩するだけ」と自分に言い訳をして、私はサックスから遠ざかってしまいました。
めちゃくちゃだけど、最高の演奏
それでも、過去に教会で2回だけ、サックスの演奏をしたことがあります。曲は『ダニーボーイ』と『アメージンググレイス』でした。 家内のピアノに合わせて吹いたのですが、実態は「好きなリズムでもいいからとにかく吹いてくれたら、それにピアノを合わせるから」と言ってもらっての演奏でした。
技術的にはめちゃくちゃな演奏でした。しかし終わった時、私は嬉しくてたまらなかったのです。それは「上手にできたから」ではなく、「神様を褒め称え、賛美できたこと」に心から感謝できたからです。それは「しなければならない」という義務ではなく、「神様を賛美したい」という純粋な思いが動機だったからです。
「しなければならない」から「どうしてもしたい」へ
難病の息子を思う母親のエピソード
その時の喜びを思い返したとき、「外的欲求」と「内的欲求」についての話を思い出しました。
あるお母さんがいました。彼女は人前で話をするのが大の苦手で、「人前で話すくらいなら死んだほうがましだ」と思うほど嫌がっていました。 しかしある時、彼女は何千人もの人の前で堂々とマイクを握り、必死で語り、多くの人に深い感動を与えたのです。
なぜ、そんなことができたのでしょうか。彼女には、難病で小さい時からずっと苦しんでいる息子さんがいました。しかし、難病であるにもかかわらず医療の保護を受けられず、多くの同じ難病の人が苦しんでいたのです。 彼女は「誰かに話をしてくださいと言われたから(外的欲求)」ではなく、「どうしても一人でも多くの人にこの現状を聞いてほしい、理解と医療の支援制度を訴えずにはいられない」という、内側から激しく湧き出す「内的欲求」に突き動かされていたのです。
ブログを書き続ける本当の理由
私自身、時々ブログの記事を更新するのが難しくて、なさけなくなることがあります。それはおそらく、「ブログを更新しなければならない」「記事を書かなければならない」という外的欲求(義務感)になっていた時なのでしょう。
しかし、私がブログを続けている本当の目的は違います。 「どうしても、一人でも多くの人にイエス・キリストの十字架と復活の福音を伝えたい」「どうしても、神様を褒め称えたい」。この強い内的欲求こそが私の原動力なのだと、改めて目的をはっきりと再認識しました。
キリストへの愛という「SOUL」を響かせる
「いい音」を出すために必要なもの
私が持っているサックスの教本に、こんな言葉が書かれています。
『「SOUL(魂)」があるだけで音は変わります。自分が出したい音が、自分の声です。「きれいな音」になるのはテクニックだとしても、「いい音」になるのは「SOUL」が必要です。』
ここでいう「SOUL」とは、魂であり、気持ちであり、強い内的欲求のことでしょう。 クリスチャンである私にとって、この「気持ち・強い内的欲求」とは何でしょうか。それは、イエス・キリストを愛する「愛」に他なりません。
この愛がなければ、どんなにすごいことをしても意味がないのです。反対に、キリストを愛する愛からすべてのことを行うなら、たとえ人からの賞賛(きれいな音)を得られなくても、神様からの賞賛(いい音)を受けることができます。
愛は決して絶えることがない
パウロは第一コリントの手紙で、このように語っています。
「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 愛は決して絶えることがありません。」 (第一コリント 13章1-8節)
技術がつたなくても、リズムが取れなくても、そして時に立ち止まってしまうことがあっても。キリストへの愛という「SOUL」を込めて奏でる人生の音色は、必ず神様の御心に届く「いい音」となります。 これからも、義務や外からの圧力ではなく、イエス様を愛する愛という「内的欲求」から、賛美と福音のメッセージを響かせていきたいと心から願っています。
