【聖書通読 第26週 2日目】

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【聖書通読 第26週 2日目】神様の真実を刻む「恵みのリスト」と、パズルのピースのように美しい「御霊の賜物」

過去の勝利の記録から神様の絶対的な真実を思い起こし、感謝を捧げるヨシュア記。そして、「キリストのからだ」の例えから、私たち一人ひとりがかけがえのない役割(賜物)を持っていることを確認し、互いを尊び合う愛の交わりを学ぶ一日です。パズルのピースはどんな意味もないような端っこの1ピースでもそれがなければ完成しないのです。その1ピースは絶対の必要な1ピースなのです。

【旧約】ヨシュア記 12章 の解説

ヨシュア記12章は、モーセとヨシュアが打ち破ったカナンの王たちの名前がズラリと並ぶ「総集編」です。その数はなんと31人にも上ります。一見すると、ただの読みにくい名前の羅列であり、通読の際には退屈に感じて読み飛ばしてしまいたくなるかもしれません。

しかし、イスラエルの民にとって、これは単なる退屈なリストではありませんでした。それは神様が「必ずこの地を与える」という約束を、いかに完璧に果たしてくださったかを示す「恵みと勝利の証明書」だったのです。

あるおばあさんの遺品から、古びた一冊のノートが見つかりました。そこには「長男が病気から守られた」「夫の仕事が見つかった」「大きな借金を返済できた」と、長年にわたって神様に祈り、応えられた出来事が日付と共にぎっしりと書き込まれていました。残された家族は、そのノートの「恵みのリスト」を見て、彼女の人生にいかに神様が真実に関わってくださったかを悟り、涙を流して感謝しました。

ヨシュア記12章に記された31の王の名前も、一つひとつが「あの時、神様が絶望的な状況から救い出してくださった」という強烈なドラマの記憶です。私たちは、新しい困難(新しい敵)を前にすると、すぐに不安になり、これまで神様が助けてくださった過去の恵みをあっさりと忘れてしまいます。だからこそ、時々立ち止まって「過去の勝利の記録」を数え上げる時間が必要です。あなたの人生の「恵みのノート」を振り返るとき、今の困難も必ず神様が打ち破ってくださるという確かな勇気が湧き上がってくるはずです。

【新約】第一コリント 12章 の解説

第一コリント12章でパウロは、教会という共同体と、そこに集う一人ひとりの信者を「人間のからだ」に例えて語ります。

私たちのからだには、目、耳、手、足、さらには外からは見えない内臓など、様々な器官があります。目は「見る」ことはできても「歩く」ことはできませんし、手は「物をつかむ」ことはできても「聞く」ことはできません。しかし、「足のように歩けないから、私はからだの一部ではない」とひがむ手はありませんし、目が手に向かって「お前は必要ない」と切り捨てることも絶対にありません。すべての器官が、からだ全体を生かすために必要不可欠だからです。

オーケストラを想像してみてください。バイオリンのように主旋律を奏でて目立つ楽器もあれば、後ろの方で一曲に一回だけ「チーン」と鳴るトライアングルもあります。しかし、世界的な指揮者は「トライアングルは役に立たない」とは決して言いません。その一音がなければ、曲は完璧に完成しないからです。

私たち一人ひとりにも、神様から異なる「御霊の賜物(ギフト)」が与えられています。人前で語るのが得意な人、陰で黙々と片付けをするのが好きな人、ただ笑顔で寄り添うことができる人。他人と比べて「私には特別な才能がない」と落ち込む必要は全くありません。あなたは、神様の壮大なオーケストラの欠かせない楽器であり、キリストのからだの尊い一部なのです。誰かと比べるのではなく、自分に与えられたその「違い」を喜び、互いを必要とし合うとき、そこに美しい愛の一致が生まれます。

今日一日の神様からの奨め

今日は、あなたの人生の中で神様が助け、守ってくださった「恵みの記録」を、少しだけでも思い出してください。過去に真実を尽くしてくださった神様は、今のあなたをも必ず守り導かれます。

また、あなた自身が「自分なんて」と人と比べて卑下するのをやめ、神様から与えられた「あなただけへの素敵な賜物」に誇りを持ってください。あなたがそこに神様を褒めたたえて存在しているだけで、イエスキリストは喜んでくださいます。温かいキリストの愛を分かち合う素晴らしい一日となりますように。

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