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あなたは神様の計画にとって絶対に必要な1ピースです。教会で居場所がないように感じているあなたへ。
「自分には特別な才能もないし、教会にいてもいなくても同じではないか」。そんな風に自分をちっぽけに感じてしまうことはありませんか? 第一コリント12章の「からだ」と「オーケストラ」の例えを通して、あなたが神様にとってどれほどかけがえのない存在であり、教会にとって絶対に必要な「たった一つの音色」であるかをひも解きます。
1. 「私なんていなくても…」という心の痛みに寄り添う
才能あふれる人たちの影で
教会に行くと、人前で力強くメッセージを語る牧師、美しい声で賛美をリードする人、誰とでも明るく話して場を盛り上げる人など、目立つ才能(賜物)を持った人たちがたくさんいるように見えます。 そんな輝いている彼らと自分を比べたとき、「自分にはあんなふうにできることは何もない」「ただ座っているだけの自分は、教会にとって役に立たないお荷物なのではないか」と落ち込んでしまうことは、決して珍しいことではありません。むしろ、それは真面目に神様と向き合い、教会という共同体を愛そうとしているからこそ生まれる、繊細で尊い葛藤です。 しかし、今日、神様は御言葉を通してあなたに明確に語りかけておられます。 「あなたは、私のからだの大切な一部であり、あなたがいなければ、私のからだは決して完成しないのだ」と。
2. 目に見えない器官こそが、命を支えている
「内臓」のように教会を支える存在
パウロは、教会を「キリストのからだ」に例えました。手や足、目や耳など、私たちのからだには様々な器官があります。教会の中で人前に立つ人たちは、確かに「目」や「手」のように目立つ存在です。しかし、人間のからだにおいて本当に命の根幹を支え、全身に血液を送り出しているのは、外からは全く見えない「心臓」や「肝臓」といった内臓です。 もし、肝臓が「私は目みたいに美しい景色を見ることもできないし、手みたいに拍手喝采を浴びることもない。誰にも褒められない暗闇にいるだけの私なんて、いなくても同じだ」とひねくれて、働くのをやめてしまったらどうなるでしょうか。からだ全体に毒素が回り、命を落としてしまいます。 あなたがもし、「自分は裏方ですらない、ただ座っているだけだ」と感じているとしても、それは違います。あなたが毎週祈りながら席に座り、静かにうなずいてみことばを聞くその姿。誰かが苦しんでいる時に密かに祈るその心。それはまさに、外からは見えないけれど教会の霊的な命を支えている「内臓」の働きそのものです。「目」である人たちは、あなたのその見えない祈りと温かい存在に、どれほど励まされ、命を吹き込まれているか計り知れないのです。
3. たった一音の「チーン」が持つ絶対的な価値
オーケストラと、ある老婦人のエピソード
人生や教会の交わりを、壮大なオーケストラに例えてみましょう。バイオリンのように主旋律を奏でる人もいれば、後ろの隅っこで、一曲の間にたった一回だけ「チーン」と鳴らすトライアングルの担当者もいます。 ある教会に、自分には何の取り柄もないと嘆く老婦人がいました。彼女は耳も遠くなり、教会の奉仕(仕事)も引退し、「私はもう若い人たちの邪魔になるだけ。ただ礼拝の隅っこに座っているだけの、役に立たない人間です」といつもこぼしていました。 ところがある日、彼女が体調を崩して数週間教会を休んだときのことです。教会の雰囲気が、なぜかギスギスし始めました。若者たちの間でちょっとした意見の衝突が起き、役員会もピリピリとした空気に包まれました。その時、牧師がハッと気づいたのです。 「あのおばあちゃんが、礼拝の終わりにいつも教会の出口で、言葉もなくただニコッと微笑んでみんなの手を握ってくれていた。あの『ただの笑顔』が、実はこの教会のみんなの心を優しく繋ぐ、最も強力な接着剤だったんだ」と。 彼女自身は、「自分はただ座って、最後に挨拶しているだけだ(トライアングルを一回鳴らすだけだ)」と思っていました。しかし、教会の真の指揮者である神様は、その「優しい笑顔」というたった一音のために、彼女をそこに配置していたのです。彼女のその一音が欠けたとき、教会のオーケストラのハーモニーは途端に崩れてしまいました。
4. 「できないこと」すらも、神様がデザインした賜物
互いを必要とし合うための「空白」
パウロはこう語っています。「目は手に向かって『お前は必要ない』とは言えず、また、頭は足に向かって『お前は必要ない』とは言えません。」 あなたが「自分には才能がない、あれもできない、これもできない」と思っているその「できないこと(弱さ)」も、実は神様が意図的に残してくださった素晴らしい「空白」です。なぜなら、あなたが「できない」からこそ、他の「できる人」があなたを助けるために手や足を差し伸べる場所が生まれ、そこに「ありがとう」という愛の交わりが誕生するからです。 完璧で、一人で何でもできる人ばかりが集まったら、そこには「互いを必要とする愛」は生まれません。あなたの弱さや、自信のなさ、特別な才能がないと思い込んでいることさえも、キリストのからだ(教会)が一つに結び合わされるために、神様が用意された「愛のパズルの1ピース」なのです。
そして、身体の器官でどんなちいさな必要としていないように思える器官でもそれがなくなれば、働きをやめるなら身体全体に支障がでてくるのです。もし、自分に賜物が無いと思い込んで何もしないなら、神様はどんなに悲しまれることでしょう。なぜなら、神様があなたを生かしあなたを今現在の教会に置いておられるのには目的があるのです。たとえば自分が教会の礼拝に出席しても席に座ってだれともしゃべらずに帰るということで寂しさを覚えておれるのなら、他にもそのような教会員がいるはずです。そのひとに笑顔で挨拶して一言二言話しかけてみることから始めてみませんか。また、神様は必ず賜物を与えてくださっています。わからいだけです。今日から、「神様が与えてくださっている賜物がわたしにはわかりません。教えて下さい。そしてその賜物を用いることを助けて下さい。」と祈ってみませんか。あなたが祈りにおいて節に求めて祈るのなら、神様はそのことを明らかに必ずしてくださいます。
結び:あなたは神様が選んで置かれた「特等席」にいる
どうか、「自分なんかいてもいなくても同じだ」という嘘のサタンのささやきに騙されないでください。 神様は、あなたという存在を、キリストの十字架の命と引き換えにするほど深く愛し、そして「この教会には、どうしてもあなたが必要だ」と決意して、あなたを今のその場所に置いてくださいました。 あなたがただそこにいて、神様を見上げて座っているだけで、あなたはすでに教会の素晴らしい「一部」として、100点の働きをしています。誰かと比べて落ち込む必要はありません。大指揮者である神様を見つめ、あなたにしか出せない「祈りと存在」という温かい音色を、これからも安心して、堂々と響かせていってください。神様は、あなたのその姿を心から喜び、微笑んでおられます。
