【聖書通読 第31週 5日目】†人間の浅知恵が生み出す「掛け違えたボタン」†嵐の真っ只中で眠る小鳥の「平安」

この記事の目次

【聖書通読 第31週 5日目】士師記21章†人間の浅知恵が生み出す「掛け違えたボタン」&ピリピ4章嵐の真っ只中で眠る小鳥の「平安」

【旧約聖書】士師記 21章 —— 人間の浅知恵が生み出す「掛け違えたボタン」

士師記の最終章である21章は、人間の「浅知恵」が物事をどれほど悲惨にこじらせてしまうかを、生々しく描いています。
イスラエルは激しい内戦の末、同胞であるベニヤミン部族をわずか600人を残してほぼ全滅させてしまいました。彼らは後になって「イスラエルから一つの部族が消えてしまう」と激しく後悔し、泣いて悲しみます。しかし、「自分の娘を彼らの妻には決して与えない」と軽はずみな誓いを立ててしまっていたため、正常な方法で部族を存続させることができませんでした。
そこで彼らがひねり出した解決策は、「戦いに参加しなかった町を皆殺しにして若い娘を奪い取る」、さらに「祭りで踊っている娘たちを待ち伏せして誘拐させる」という、神様のみこころとは完全にかけ離れた、道徳も何もない強引なものでした。
これは、「シャツのボタンを最初から掛け違えているのに、やり直さずに生地を無理やり引っ張って取り繕う」ようなものです。素直に神様の前にひれ伏して悔い改める(ボタンを外す)ことをせず、人間の浅知恵で問題を解決しようとすると、事態はさらに複雑に、より残酷になっていきます。 士師記は最後に、「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」という重い言葉で幕を閉じます。神様を王としない人生の結末が、ここに描かれています。

【新約聖書】ピリピ人への手紙 4章 —— 嵐の真っ只中で眠る小鳥の「平安」

自分の力でもがき苦しむ旧約の姿から一転して、ピリピ人への手紙4章には、神様にすべてを委ねた者の「絶対的な平安」が語られます。パウロは獄中にありながら、「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」と力強く宣言します。
ここで、「真の平安」とは何かを教える、ある有名な絵画のエピソードをご紹介しましょう。
昔、ある王様が「真の平安」を見事に描いた絵画に賞を与えると発表しました。多くの画家が、風ひとつない穏やかな湖や、のどかな牧場の風景を描いて持ち込みました。しかし、王様が選んだ優勝作品は、荒れ狂う嵐と雷、そして激しく流れ落ちる滝が描かれた、一見すると恐ろしい絵でした。
なぜこの絵が選ばれたのでしょうか。実は、その絵をよく見ると、滝の裏側にある岩の裂け目に小さな鳥の巣があり、一羽の母鳥が嵐の轟音にもまったく動じず、翼の下に雛を抱きかかえて安らかに眠っていたのです。
真の平安とは、「人生から問題や嵐がなくなること」ではありません。「嵐の真っ只中にあっても、絶対に安全な岩の裂け目(神様の御手の中)に守られているという確信」のことです。
パウロは、この絵の小鳥のように、死の危険が迫る牢獄の嵐の中で、キリストという岩の裂け目にすっぽりと隠れ、人知をはるかに超えた平安の中で安らいでいたのです。

今日の神様からの奨め —— 握りしめた問題を祈りに変え、すべてを委ねる

私たちは生きていく中で、士師記のイスラエルのように「自分ではどうにもならない問題」や「人間関係のこじれ」に直面することがあります。そんな時、私たちは焦り、なんとか自分の知恵と力で事態を収拾しようと、ボタンを無理やり掛け違えたまま走り続けてしまいがちです。
しかし、今日、神様はあなたにこう優しく語りかけておられます。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6-7 / 新改訳2017)
クリスチャンとしての誠実な歩みの中で、「自分がどうにかしなければ」という焦りや不安(思い煩い)が押し寄せてきたら、それは「自分の力で解決しようとする手を止め、神様にバトンを渡す合図」です。
今日、あなたの心にある気がかりなこと、自分の力ではどうにもならない問題を、そのまま神様に打ち明けてみてください。そして、「神様が最善をしてくださる」ことを信じて、先に「感謝」を捧げてみましょう。
あなたが祈りを通して荷物を下ろす時、滝の裏側で眠る小鳥のような「神の平安」が、あなたの心と思いを優しく、そして力強く守ってくださいます。「私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる」という静かな確信と共に、今日も安らかに歩み出していきましょう。

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