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【メッセージ】「いつも喜んでいなさい」——無理な命令を「絶対の保証」に変える神の恵み
聖書の中には、クリスチャンにとって最も有名でありながら、同時に最も実践が難しく感じる「3つの命令」があります。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
(第1テサロニケ 5章16〜18節)
また、パウロは暗い牢獄の中から、ピリピの教会の人々に向けてこう命じました。
「主にあっていつも喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」
(ピリピ人への手紙 4章4節)
私たちが健康で、仕事も家庭もうまくいっている時なら、この命令に従うのは簡単です。しかし、理不尽なトラブルに巻き込まれた時や、愛する人を失って悲しみのどん底にいる時に、「いつも喜べ、すべてに感謝せよ」と言われたらどうでしょうか。「神様、そんなの無理です。感情を無理やりコントロールして、偽善者のように作り笑いをしろと言うのですか?」と言いたくなるかもしれません。
しかし、神様は私たちに「無理な精神論」や「作り笑い」を要求しているわけではありません。この命令の裏側には、私たちの想像をはるかに超えた、神様の深い愛と絶対的な「保証」が隠されているのです。
1. 「感情」を絞り出すのではなく、「電源」につながり続けること
人間が感じる「楽しさ(Happiness)」は、英語のハプニング(Happening=出来事)と同じ語源を持っています。つまり、良い出来事が起きれば楽しくなり、悪い出来事が起きれば悲しくなるという、環境に左右される感情です。
しかし、聖書が命じている「喜び(Joy)」は、環境から生まれるものではなく、「神様との関係」から流れ込んでくるものです。
ここで、「コンセントにつながれたランプ」の例えをお話ししましょう。 もし、神様がランプ(あなた)に向かって「いつも光っていなさい」と命令したとします。ランプ自身には、電気(光)を作り出す力はありません。自分の力で一生懸命に光を絞り出そうとしても、すぐにエネルギー切れになってしまいます。 では、ランプが「いつも光っている」ための唯一の方法は何でしょうか?それは、「常にコンセント(電源)につながり続けていること」です。
神様が「いつも喜んでいなさい」と命じられた時、それは「自分の力で喜びという感情をひねり出しなさい」という意味ではありません。「喜びの源である、わたし(キリスト)にいつもつながっていなさい。そうすれば、わたしがあなたの内に喜びの光を流し続けるから」という、愛に満ちた招きなのです。パウロがピリピ書で「『主にあって』喜びなさい」と場所を指定しているのは、まさにコンセントの差し込み口がキリストであることを示しています。
2. 【エピソード】強制収容所の「ノミ」に隠された神の恵み
「すべてのことに感謝し、喜ぶ」ということが、神様の恵みによってどのように保証されているかを示す、ある有名な実話をご紹介します。
第二次世界大戦中、ユダヤ人をかくまった罪で、オランダ人のクリスチャン女性コーリー・テン・ブームと姉のベッツィは、ナチスの悪名高いラフェンスブリュック強制収容所に送られました。
彼女たちが押し込められた第28バラック(収容棟)は、悪臭が漂い、ベッドにはおびただしい数の「ノミ」がはびこる、まさに地獄のような場所でした。
ある日、姉のベッツィが聖書を開き、第1テサロニケ5章の「すべての事について、感謝しなさい」という言葉を読みました。そしてベッツィは祈り始めました。「神様、私たちが一緒にいられることを感謝します。そして神様、このノミの大群を感謝します……」
コーリーは怒って言いました。「ノミにまで感謝するなんて絶対無理よ!神様だって、このノミに感謝しろなんて言っていないわ!」
しかし、数週間が経った頃、奇跡のような事実が判明します。
その収容所では、看守の兵士たちが女性たちを日常的に虐待していましたが、なぜか彼女たちの第28バラックにだけは、看守が一切足を踏み入れなかったのです。看守が来ないため、彼女たちはバラックの中で自由に聖書を読み、賛美し、多くの女性たちに福音を伝えて希望を与えることができました。
なぜ、看守たちは第28バラックに入って来なかったのでしょうか。
後になって、看守たちが「あそこはノミだらけだから、絶対に中に入りたくない」と言っていたことが分かりました。
コーリーは心から悔い改め、涙を流してノミの存在を神様に感謝しました。彼女の目には「最悪の苦痛」としか見えなかったノミが、実は神様が彼女たちを守り、福音を伝える自由を確保するために配置した「恵みの防壁」だったのです。
3. 命令は、神様からの「保証書」である
コーリーのエピソードが教えてくれるのは、「神様は、無意味な苦しみは絶対にお許しにならない」という真理です。
私たちの目には「タペストリーの裏側」のように、人生がめちゃくちゃな糸の絡み合いにしか見えない時があります。しかし、神様は表側から完璧な愛の模様を織り上げておられます。
神様が「すべてのことについて感謝し、いつも喜んでいなさい」と命じることができるのは、「わたしがすべての出来事(良いことも、一見悪いように見えることも)を、最終的に必ずあなたの『益』に変えるからだ」という絶対的な保証(愛の裏付け)があるからです。
5世紀の偉大な神学者アウグスティヌスは、神様に向かってこう祈りました。
「主よ、あなたが命じることを、私にお与えください。そのうえで、あなたの望むことを何でもお命じください。」
「いつも喜んでいなさい」という命令は、私たちを苦しめる重荷ではなく、「わたしが、どんな暗闇の中でもあなたを支え、喜びのエネルギーを注ぎ続けるから、安心してわたしに寄りかかりなさい」という、神様からのサイン入りの保証書なのです。
悲しい時は、無理に笑う必要はありません。イエス様ご自身も、友人の死の悲しみを前にして涙を流されました(ヨハネ11:35)。涙を流しながらでも、ただキリストという電源にしっかりとプラグを差し込んでおくこと。「神様、今はつらくて喜べません。でも、あなたが共にいてくださるから、必ずこれを恵みに変えてくださると信じます」と祈ること。
その時、あなたの心の奥底から、環境に左右されない本物の「喜び」と「平安」が、静かに、そして力強く湧き上がってくるのを感じるはずです。

