
この記事の目次
④【わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です】枯れゆく枝から、永遠のいのちが流れる「ぶどうの木」へ
私たちは毎日、一生懸命に生きています。仕事や家庭、人間関係の中で「もっと頑張らなければ」「自分を磨かなければ」と努力を重ねています。しかし、ふとした瞬間に、どんなに頑張っても心が満たされず、原因のわからない「虚しさ」や「心の渇き」を感じることはないでしょうか。
今日、まだ聖書の神様をご存知ないあなたへ、人生の本当の安心と、永遠のいのちに繋がるための一つのメッセージをお届けします。
1. 「花瓶の切り花」と「命の源」
聖書の中で、イエス・キリストは人間の命とご自身の関係を、次のような分かりやすい言葉で例えられました。
「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネの福音書 15章5節 / 新改訳2017)
お花屋さんで買ってきた美しい「切り花」を想像してみてください。
綺麗な花瓶に生けられた切り花は、数日間は鮮やかな色を保ち、美しく咲き誇っています。しかし、その花がこれから成長して、新しい実を結ぶことは絶対にありません。なぜなら、根っこ(命の源)から「切り離されて」しまっているからです。花瓶の水をどんなに取り替えても、やがて必ず枯れてしまいます。
実は、神様を知らずに生きている私たちの状態は、この「切り花」と同じです。
若さ、お金、成功、あるいは人間の愛情という「花瓶の水」を一生懸命に吸い上げて、なんとか自分を美しく保とうとしています。しかし、命の源である神様から切り離されているため、常に「いつか枯れてしまう(失ってしまう)」という見えない恐怖と虚しさを抱えているのです。
2. なぜ私たちは「切り離されて」しまったのか
では、なぜ私たちは命の源から切り離されてしまったのでしょうか。
聖書は、その原因を「罪」と呼んでいます。ここでいう罪とは、単なる犯罪のことだけではありません。本来、私たちに命を与え、愛してくださっている創造主(神様)に背を向け、「神様なんて必要ない。私の人生は私のものだ」と、自分勝手に生きようとする心のあり方のことです。
この「神様を無視する心(罪)」が、ハサミのように、私たちと神様との関係をバッサリと切り離してしまいました。根から切り離された枝が枯れていくように、神様から切り離された人間の魂は、やがて霊的な「死」を迎え、永遠の滅びへと向かっていく運命に陥ってしまったのです。
3. 【エピソード】傷を合わせて命を注ぐ「接ぎ木」の奇跡
切り離されて死を待つばかりの枯れ枝は、どうすれば再び命を取り戻せるのでしょうか。ここで、果樹園で行われる「接ぎ木(つぎき)」という、ある奇跡のような作業のエピソードをご紹介します。
ある農園に、根を失い、葉も落ちて、今にも枯れ死にそうな一本の古い枝がありました。普通の農夫なら、迷わず拾い上げて火に投げ込んで燃やしてしまうでしょう。しかし、その農園の心優しい主人は違いました。彼はその枯れ枝を拾い上げると、なんと農園の中で最も太く、命に満ちあふれた「立派な生きた木」のところへ行きました。主人は鋭い刃物を取り出し、その立派な生きた木の幹に、深く痛々しい「傷」を刻み込みました。木からは、血のように樹液が溢れ出します。そして主人は、先ほどの死にかけている枯れ枝の断面を、生きた木の「傷口」にピタリと合わせ、包帯でしっかりと縛り付けました。するとどうでしょう。生きた木の傷口から溢れ出る豊かな樹液(命)が、枯れ枝の真っ暗な内側へと流れ込み始めたのです。やがて枯れ枝は奇跡的に息を吹き返し、生きた木の一部として完全に一体化し、次の季節には見事な実をたくさん結びました。
枯れ枝が生き返った理由はただ一つ。「自分を救うために傷ついてくれた生きた木に、繋ぎ直されたから」です。
4. 十字架と復活:あなたを繋ぎ直すための「神様の痛み」
この「接ぎ木」の物語は、イエス・キリストがあなたのためにしてくださったことを、見事に表しています。
神様は、罪によって切り離され、永遠の滅び(地獄)へと向かって枯れていく私たちを、決して見捨てることができませんでした。そこで神様は、ご自身のひとり子であるイエス・キリストを、命あふれる「ぶどうの木」としてこの世界に送られました。
キリストが十字架に架けられ、手足に釘を打たれ、槍でわき腹を刺されたこと。それはまさに、枯れ果てたあなたを再び命に繋ぐために、神様ご自身がその身に引き受けた「深い傷」だったのです。
イエス・キリストは、あなたが過去に犯したすべての罪、自己中心な心、清算できない人生の負債をすべて背負い、あなたの身代わりとなって十字架で血(樹液)を流して死んでくださいました。
しかし、物語はここで終わりません。
キリストは死後三日目に、死の力を打ち破って「復活」されました。キリストが今も生きておられるからこそ、私たちはこの方に繋がる時、決して枯れることのない「永遠のいのち」を受け取ることができるのです。
5. あなたが「天国へ入る者」とされるために
では、枯れ枝である私たちが、この生きた「ぶどうの木」に繋ぎ直してもらうためには、どうすればいいのでしょうか。
立派な人間になるための修行も、お金もいりません。必要なのは、たった一つの素直な心だけです。
それは、「悔い改めて、イエス・キリストを自分の救い主として信じること」です。
悔い改めとは、「神様、私は今まであなたを無視し、自分勝手に生きる『切り花』でした。私の罪を赦してください」と、素直に自分の弱さと罪を認めて、方向転換をすることです。
信仰とは、「イエス様の十字架の傷は、私を繋ぎ直すためのものでした。キリストの十字架と復活によって、私の罪は赦されたと信じます。これからは、あなたに繋がって生きていきます」と心で受け入れることです。
あなたが心からこの信仰の決心をするその瞬間、驚くべきことが起こります。
キリストの十字架の血潮によって、あなたの過去・現在・未来のすべての罪は完全に赦され、真っ白に洗い清められます。そして、神様ご自身の命(聖霊様)があなたの内側に流れ込み、あなたは「神の子」として、死後も神様と共に永遠に生きる「天国(永遠のいのち)へのパスポート」を確実に手にするのです。
もう、自分の力だけで水を吸い上げようと必死に頑張る必要はありません。
「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。」
今日、あなたのために十字架で傷つき、両手を広げて待っておられるイエス・キリストのもとへ帰り、決して枯れることのない、絶対的な平安と希望の命に繋がる決心をしてみませんか。
