【第36週 ホッとひと休み】「自力の武器」を置き、キリストが完成させた「安息」に抱かれる週末

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【第36週 ホッとひと休み】「自力の武器」を置き、キリストが完成させた「安息」に抱かれる週末

第36週の聖書通読、本当にお疲れ様でした。
今週は、第一サムエル記を通して「過酷な現実の中で、自分の権利を手放し神様に委ねる葛藤」を、そしてピレモンへの手紙とヘブル人への手紙を通して「キリストが成し遂げてくださった完全な身代わりと、永遠の安息」について深く学んできました。
週末の今日は、いつもより少しだけ深呼吸をして、温かいコーヒーや紅茶を淹れてみませんか。そして、一週間ピンと張り詰めていた心の緊張を解きほぐし、私たちをどこまでも愛してくださるイエス・キリストの恵みの中に、ゆったりと心を休ませましょう。

アドラムの洞窟と、全額支払われた「負債」

今週の旧約聖書で、私たちは「アドラムの洞窟」に逃げ込んだダビデの姿を見ました。そこに集まってきたのは、社会から弾き出され、自力では生きられない「悩みのある者、負債のある者たち」でした。ダビデは彼らを追い出すことなく、丸ごと受け入れました。
これはまさに、新約聖書の「ピレモンへの手紙」でパウロが逃亡奴隷オネシモのために「彼の負債はすべて私が支払う」と宣言した姿であり、そして何より、イエス・キリストご自身の姿です。
私たちは皆、神様に対して自分では絶対に返しきれない「罪の負債」を抱えていました。しかしキリストは、「この人の負債はすべて私の十字架の血潮で支払います」と宣言し、私たちを無条件で受け入れてくださいました。私たちは、立派な姿に着飾って神様の前に出る必要はありません。傷つき、負債を抱えたままのボロボロの姿でキリストという「洞窟」に逃げ込むとき、そこには絶対的な安全と赦しが用意されているのです。

握りしめたり、手放したりする「私たちの弱さ」

ダビデの逃亡生活は、私たちの日常の信仰生活そのものでした。
ある時は、自分を殺そうとするサウル王を前にして「裁きの木槌」や「報復の槍」を置き、「裁きは神様にお委ねします」と素晴らしい信仰(完全な明け渡し)を見せました。またある時は、アビガイルのとりなしによって、怒りの暴走列車を止めてもらいました。
しかし第27章では、ついに極限の疲労と恐れから神様を見失い、「もう駄目だ」と人間の知恵(敵国ペリシテ)へと逃げ込んでしまいます。
偉大なダビデでさえ、信仰が揺らぎ、自力に頼り、失敗してしまうのです。もし私たちの救いが「私たちがどれだけ立派に信仰を保ち続けられるか」にかかっているとしたら、私たちは一瞬たりとも休むことはできず、絶望するしかありません。
しかし、福音(良き知らせ)の素晴らしさは、私たちの信仰の完璧さに依存していないという点にあります。

すでに「座しておられる」大祭司の涙と安息

ヘブル人への手紙は、そんな不完全な私たちを根底から支える、圧倒的な希望を宣言してくれました。
神の御子であるイエス・キリストは、安全な天の王座から私たちを見下ろしていたのではありません。私たちと同じ「血と肉」をまとい、この悲しみと痛みに満ちた世界へ降りて来られました。そして、ご自身も「激しい叫びと涙」をもって祈られ、私たちの弱さ、孤独、恐れのすべてを骨の髄まで味わってくださったのです。
だからこそ、キリストは私たちの弱さに同情できない方ではありません。私たちが恐れから失敗してしまった時も、「なぜもっと信じないのか」と冷たく見下すのではなく、共に涙を流し、「私があなたの代わりに完全な従順を貫き、十字架で罪のきよめを成し遂げたから大丈夫だ」と抱きしめてくださる「あわれみ深い大祭司」なのです。
ヘブル人への手紙1章3節に、「御子は、罪のきよめを成し遂げ、高い所で大能者の右の座に着かれました」とありました。
キリストが王座に「座っておられる」こと。それは、あなたを救うための事業が、もう100%完全に完了しているという何よりの証拠です。
私たちのしたことは、ただ信じただけではありません。
聖書は、「救いは行いによらず、ただ信じる信仰による」と明確にしています。それでは、行い努力によらずただ信じる信仰によるとある、『信仰とはなんでしょうか?』
行いによらずただ信じる『信仰』とは・・・、
神様を神様と崇めず逆らい刃向かっていた罪、そして神様を神様とせず、自分自身を神として自分の主人としてきた恐ろしい罪(神様の栄光を奪っていた恐ろしい罪)を悔い改め、神様を本当のわたしの主人、主として心から信じて受け入れた『信仰』です。ですから、『信仰』によってすべてを受け入れたあなたはもう、付け足すべき努力や行いは1ミリも残っていません。

重い武器を置いて、恵みの御座へ

この週末、あなたが両手に固く握りしめているものを、そっと床に置いてみませんか。
「自分が正しいと証明したい」という正論の槍。
「あの人を許せない」という裁きの木槌。
そして「クリスチャンとしてもっと立派に生きなければ」という、自力の重い鎧。
それらをすべてキリストの十字架の前に置き、「主よ、私は自分の力で無駄なものを付け加えようとして疲れています。あなたの完全な救いと恵みだけが私の頼りです」と、ありのままの姿で「恵みの御座」に倒れ込んでください。
キリストが完成させてくださった救いは絶対に揺るぎません。あなたはすでに、信仰によってイエスキリストを主としてあなたは、完全に赦され、永遠に愛されている神の子供です。
「もう自力で戦わなくていいのだ。信仰によってのみ戦えばいいのだ。」という魂の深い安息をたっぷりと味わい、天のお父様の豊かな愛に包まれる、恵みと平安に満ちた週末となりますよう心からお祈りしています。ホッとひと休み、素晴らしい時をお過ごしください。

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