【聖書通読 第32週 5日目】神様の「逆転のシーソー」と、命を分け与える親の愛

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【聖書通読 第32週 5日目】神様の「逆転のシーソー」と、命を分け与える親の愛

聖書通読第32週の5日目です。今日は、人間の高ぶりを打ち砕き、へりくだる者を引き上げる神様の主権(旧約)と、打算や見返りを捨てて「親の愛」で他者に仕えたパウロの美しいリーダーシップ(新約)について味わいます。

【旧約聖書】第一サムエル記 2章 —— 肩書きのメッキと、逆転のシーソー

第一サムエル記2章は、涙の祈りを通して息子サムエルを与えられた母ハンナの、喜びに満ちた賛美から始まります。彼女は祈りの中で、神様がどのような方であるかを力強く歌い上げました。
「主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くされる。主は弱い者をちりから起こし、貧しい者をあくたから引き上げ、貴族たちとともに座に着かせ……」(第一サムエル 2:7-8 / 新改訳2017)
ここで、公園にある「シーソー」を思い浮かべてみてください。
人間は自分の力やプライドで、なんとかシーソーの「高い方」へ上ろうと必死にもがきます。しかし神様は、自分の弱さを認めて一番低い地面(ちり)に座り込む人の側に、ご自身の「圧倒的な恵みの重み」をドスンと乗せてくださいます。すると、一番低かったはずの人が、神様の愛の重さによって一気に一番高いところへと引き上げられるのです。これが神様の「逆転のシーソー(恵みの法則)」です。
このハンナの純粋な信仰とは対照的に、この章には祭司エリの二人の息子(ホフニとピネハス)の堕落した姿が描かれています。彼らはイスラエル最高の宗教的エリートという「肩書き」を持ち、立派な祭司の服を着ていました。しかし、彼らの心には神への恐れが微塵もなく、人々が神様に捧げたお肉を横取りし、欲望のままに生きていました。
彼らは外側だけは立派に金箔が貼られていますが、中身はシロアリに食い荒らされた「空っぽの柱」のようなものでした。神様は、人間が着飾る肩書きや宗教的なパフォーマンスには一切騙されません。外側がどれほど貧しく弱く見えても、ハンナのように心の底から神様を信頼してひれ伏す「本物の信仰」だけを喜ばれ、高く引き上げてくださるのです。

【新約聖書】第一テサロニケ人への手紙 2章 —— セールスマンの笑顔と、母親の涙

外側の権力や利益を求めたエリの息子たちとは正反対に、第一テサロニケ人への手紙2章には、徹底的に「与えること」に喜びを見出したパウロの姿が描かれています。
パウロは、テサロニケの教会でどのように人々と接したかを振り返り、こう語りました。
「私たちは……あなたがたの間で、自分の子どもを育てる母親のように、優しく振る舞いました。……神の福音だけでなく、私たちのいのちまでも喜んで与えたいと思うほどでした。」(1テサロニケ 2:7-8)
ここで、「優秀なセールスマン」と「親」の違いを考えてみましょう。
セールスマンは、お客さんに対して最高の笑顔を見せ、優しい言葉をかけ、手厚いサービスをします。しかし、その最終的な目的は「商品を買ってもらい、自分の利益(成績)を上げること」です。お客さんが商品を買わないと分かれば、その笑顔は消えてしまうかもしれません。
しかし「親」は違います。親は、夜泣きする赤ちゃんのために自分の睡眠を削り、時間もお金もすべて犠牲にしますが、赤ちゃんから「代金」や「見返り」を請求することはありません。親の目的は自分の利益ではなく、ただ「この子が健やかに育つこと」それ自体が最高の喜びだからです。
パウロは、「私はあなたがたから称賛を得ようとしたり、へつらいの言葉(セールスマンの笑顔)を使ったりはしなかった」と断言します。彼は、宗教的な指導者という立場を利用して人々を支配するのではなく、文字通り「自分の命をすり減らす親の愛」をもって、人々に福音と彼自身の人生を分け与えました。
本当の霊的リーダーシップとは、人を動かして自分の思い通りにすることではなく、相手の成長のために自分を喜んで差し出す「自己犠牲の愛」の中にあるのです。

今日の神様からの奨め —— 見返りのない愛で、誰かの心に種を蒔く

私たちは現代の競争社会の中で生きていると、無意識のうちに「人にどう思われるか(評価)」「これをしたら自分に何のメリットがあるか(損得)」という、セールスマンのような基準で人間関係を築いてしまいそうになります。あるいは、自分が正しいと主張するために、シーソーの「高い方」に必死に上ろうとして、心をすり減らしてしまうことがあります。
しかし今日、神様はあなたにこう語りかけておられます。
「人からの評価という肩書き(メッキ)を脱ぎ捨てて、今日出会う人に、見返りを求めない『親のような純粋な愛』で仕えてごらん。あなたのその隠れたへりくだりを、わたしが必ず引き上げよう。」
今日、あなたの周りにいる家族や友人、あるいは助けを必要としている人に対して、損得勘定抜きの「小さな親切」を一つだけ実践してみてください。見返りのない祈り、ただ話を聞いてあげる時間、あるいは励ましの言葉。
あなたが自分の利益を手放して、低いところで愛の種を蒔く時、神様は「逆転のシーソー」を動かし、あなたの心に天の最高の喜びと平安を高く、豊かに引き上げてくださいます。
打算のない純粋な愛が、あなたを通して美しく流れ出る一日となりますようにお祈りしています。

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