
「クリスチャンは自分で頑張って聖化(キリストに似た者とされること)するのではなく、聖霊なる神様が内側から変えてくださる」という聖書の核心にある素晴らしい真理に立つことは、本当に素晴らしい恵みですね。信仰生活の中で「自分の努力の限界」を知り、神様の御業に身を委ねる喜びに気づくなら、それはすでに聖霊による大きな成長の証となります。
そして大切なことは、「神様が変えてくださる中で、自分自身は具体的にどのように信仰を働かせ、どう生きればよいのか」という点について、神の約束と私たちの応答という視点から解説し、お勧めをお伝えします。
この記事の目次
聖化(キリストに似た者とされること)とは何か?
聖化とは、私たちが自分自身の道徳的な努力によって立派な人間になることではなく、「内側に住んでおられる聖霊が、私たちをキリストの性質(愛、喜び、平安など)へと作り変えていくプロセス」です。
神様の確かな約束:完成させてくださる方
聖書には、次のような力強い神様の約束があります。
「あなたがたの中で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。」(ピリピ 1:6)
聖化の「主導権」と「責任」は神様にあります。神様があなたをキリストに似た者へと変えるというプロジェクトを始められ、そして必ず完成させてくださるという約束が、私たちの信仰の土台です。
「自力での努力」と「恵みへの応答」の違い
自分で頑張る(肉の努力)とは、「神様に喜ばれるために、自分の力で罪を避け、良いことをしようと歯を食いしばること」です。これはすぐに疲れ果ててしまいます。 一方、恵みへの応答とは、「すでに神様に愛され、受け入れられていることに安息し、その愛に押し出されて自然と神様に従いたくなること」です。エンジン(動力)は聖霊であり、私たちはその力を受け取る立場にあります。
わたしはどのようにすればいいのか?(具体的な信仰の働かせ方)
では、神様が100%働いてくださるなら、私たちは何もせず寝ていればよいのでしょうか。そうではありません。聖書は私たちにも「信仰を働かせること」を求めています。それはヨットの帆を張ることに似ています。風(聖霊)を吹かせるのは神様ですが、帆を張り、風をいっぱいに受ける準備をするのが私たちの役割です。
1. ぶどうの木に「とどまる」こと(関係性の重視)
イエス様は「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と語られました(ヨハネ 15:5)。枝は、「実を結ぼう」と力むのではなく、ただ幹にしっかりと繋がっていること(とどまること)で自然と実を結びます。 具体的な信仰の働かせ方の第一は、キリストとの親密な関係を保つことです。日々の祈りや聖書を読む時間は、「立派なクリスチャンになるためのノルマ」ではなく、「キリストの愛という日光を浴びて、栄養を吸い上げるための時間」として大切にしてください。
2. 聖霊の促しに「はい」と答える(小さな従順)
私たちの日常には、聖霊の静かな促しがあります。例えば、誰かに対してイライラした時、「今、怒りに任せて言葉を放つのではなく、一呼吸置きなさい」という心のブレーキを感じることがあるでしょう。 その時、「神様、私には愛する力がありませんが、あなたが私の内側で愛してください。あなたの促しに従います」と選び取ること。これが信仰を働かせるということです。感情は伴わなくても、意志で「はい」と応答する小さな従順の積み重ねが、聖霊の働く道筋を作ります。
3. 弱さや失敗を隠さず、神様に明け渡す
私たちは失敗しますし、罪を犯してしまうこともあります。その時、「もうダメだ」と自分を責めたり、神様から隠れたりするのではなく、そのままの泥だらけの姿で神様の前に出ていくことが信仰です。 「神様、私はまた失敗しました。これが私の現実です。どうか、こんな私をきよめ、新しくしてください」と明け渡すとき、その弱さの真っただ中で、神様の恵みが最も力強く働きます。
励ましと日々の歩みへのお勧め
聖化の歩みにおいて、最後にあなたへのお勧めと励ましの言葉をおくります。
自分の成長を測ろうとしないこと
私たちはつい、「昨日より今日、私は少しはマシになっただろうか」と、自分の心の状態を温度計で測るようにチェックしてしまいがちです。しかし、自分自身を見つめていると、見えてくるのは自分の罪深さや足りなさばかりで、落ち込んでしまいます。 お勧めしたいのは、「自分自身を見るのではなく、ただイエス・キリストから目を離さないこと」です。鏡のように主の栄光を見上げているうちに、いつの間にか主と同じかたちに姿を変えられていく(第2コリント 3:18)のです。
「受動的な能動性」を生きる
信仰生活は、「受動的(神様がしてくださる)」でありながら「能動的(私が選び取る)」という不思議なバランスの上に成り立っています。「神様が私を変えてくださる」という100%の受動的な信頼を持ちながら、同時に「だからこそ、今日、私は御言葉に聞き、祈り、目の前の人を愛することを選ぶ」という100%の能動的な一歩を踏み出してください。
あなたが日々、キリストに似た者と変えられていくことを「願う者であり続けたい」と望んでおられる、その願いそのものが、すでに聖霊があなたの内に豊かに働いておられる何よりの証拠です。焦る必要はありません。神様はあなたという作品を慈しみながら、今日も少しずつ、しかし確実に、最も美しいキリストの似姿へと彫り進めておられます。その確かな御手の中で、どうか深く安息しながら、喜びをもって日々の歩みを進めていかれますように心からお祈りしております。
