少し前に、部屋を片付けていたら、
中学校の時の卒業アルバムを見つけて、いろいろと思い出にひたってしまいました。
結局、片付けるよりアルバムを見ている時間のほうが長くて、余計に散らかってしまっただけでした。
でも、ちょっといい話しを思い出しました。
それは、中学2年のときのことでした。
クラスにすごくはずかしがりやで、あまり誰ともしゃべらない子がいました。
みんなの前で発表しなければならない時でも、
しやべれなくて黙って下をむいているしかできない子でした。
今思うと、いろいろと障害を持っている子だったのかもしれません。
その子の後ろの席がわたしだったのですが、
授業中に体を少し左右に揺らすようにしながらなにか我慢しているようでした。
おなかでも痛いのかなと思っていたら、その子の下の床から液体が流れてきました。
とっさに我慢していたおしっこを漏らしてしまったんだと思いました。
でも、どうすることもできません。
でも、このことがみんなにわかればその子は、どんなに恥ずかしいだろうと思うと、
どうしよう、なんとかできないかとひっしで考えましたが、
どうすることもできませんでした。
すると、おもらしした子の横に座っていた男の子が、
急に自分の水筒を持って立ったと思った瞬間に、
水筒のお茶をその子の股間のズボンに
かけてから水筒を床に落として床にもお茶をこぼしました。
そして、
「あっ~ごめん」と大きな声で言いました。
授業中の先生がすぐに来て、
水筒のお茶をこぼした子を怒り飛ばして、ここをすぐに雑巾で拭くように命じました。
そして、バケツと雑巾を持ってきて拭きだしました。
何もできなかった私は、
お茶をこぼしたその子の機転に感動して、
おしっこと知っていましたが、雑巾で床を拭く処理を手伝いました。
その後、お茶をこぼした子が、
責任を取らされておもらしした子を着替えさせるために保健室まで同行しました。
ほとんどだれともしゃべれなかった子が、
一緒に保健室に行く前に、
助けてくれた子に「ありがとう。ありがとう。」
と小声でしたがはっきりと2度言うのがわたしに聞こえました。
わたしは、そのとき、
誰かを助けたり励ましたり優しくするということが、
どんなに素晴らしいことかということを教えられました。
わたしも、そのようなことができる人になりたいと強く思ったのを思い出しました。
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あなたがおしっこをもらしたとして、
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やがて裁かれなければならないのです。
しかし、あなたのために、
罪なき神の一人子であるイエスキリストが
あなたの裁かれるべき罪の刑罰を身代わりに十字架で受け身代わりに死んでくださったという実話です。
あなたを愛してあなたを救うために
ご自身の栄光を捨てて、多くの人々から悪口雑言を浴びせられ、
イエスキリストは十字架で尊きいのちまですててくださったのです。
それらは全てあなたを愛するがゆえなのです。
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