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【聖書通読 第26週 4日目】85歳の青年の「衰えない信仰」と、他者を建て上げる「愛の五つの言葉」
ヨシュア記からは、85歳になっても神様の約束を固く信じ、最も困難な山地を求めるカレブの熱き信仰に触れます。第一コリントからは、霊的な賜物は自己満足のためではなく、他者を励まし、教会という共同体を建て上げるために用いるという「愛と秩序」の原則を学ぶ一日です。
【旧約】ヨシュア記 14章 の解説
ヨシュア記14章の主役は、85歳の老将カレブです。彼は45年前、モーセと共に約束の地を偵察に行った12人の斥候(偵察隊)の一人でした。他の10人が「敵は巨人だ、絶対に勝てない」と絶望する中、カレブとヨシュアだけが「神様が共におられるなら必ず勝てる」と信仰の言葉を語りました。その時、神様から「あなたが足を踏み入れた地をあなたに与える」という確かな約束の言葉をもらっていたのです。
45年という長い月日が流れ、荒野の厳しい旅の中で同世代の多くの人が倒れていきました。しかし、85歳になったカレブはヨシュアの前に進み出て、目を輝かせてこう言います。「私の力は45年前と少しも変わっていません。さあ、神様が約束してくださったあの山地(ヘブロン)を私にください!」。
驚くべきことに、彼が求めたその山地は、一番手強い巨人族(アナク人)が住む、最も攻略が困難な要塞でした。
人は年齢を重ねると、できるだけ楽な道、安全で守られた場所を選びたくなります。しかしカレブの心は、85歳にして「信仰の青年」のままでした。なぜなら彼の目は、自分の衰えゆく肉体や敵の大きさではなく、ただ「絶対に嘘をつかない神様の約束の言葉」だけを真っ直ぐに見つめ続けていたからです。
神様の言葉を心の栄養としている人は、年齢や環境に関わらず、いつまでも内側から若々しい情熱を燃やし続けることができます。困難を避けるのではなく、「神様が共におられるなら、この山も越えられる」と果敢に挑むカレブの姿は、私たちの信仰を熱く揺さぶります。
【新約】第一コリント 14章 の解説
第一コリント14章でパウロは、教会の中で用いられる「御霊の賜物(神様から与えられた特別な能力)」について、非常に実践的なルールを教えます。
当時のコリント教会では、誰も聞いたことのない不思議な言葉で祈る「異言(いげん)」の賜物を持つ人々が、「私の方が霊的に優れているのだ」と誇り、礼拝が混乱していました。パウロは「異言」自体を否定はしませんが、教会の中でより求めるべきなのは「預言(神様から預かった神様の言葉を人々に分かりやすく語り、励ますこと)」であると断言します。
ある名医が、重い病気に不安を抱える患者の前に立ちました。もしその医師が、最先端の医学用語や流暢なラテン語(異言)だけでペラペラと病状を語ったらどうでしょう。どんなに素晴らしい知識であっても、患者には意味が分からず、不安は全く消えません。しかし、医師が患者の目を見て、小学生でも分かる優しい言葉(預言)で「大丈夫ですよ、必ず良くなります」と語りかけるなら、患者の心は深く慰められ、生きる希望が湧き上がります。
パウロが言いたかったのはまさにこれです。「私が異言で一万の言葉を語るより、他の人を教えるために、自分の知性を用いて五つの言葉※を語るほうを願います」。
教会でのすべての言葉や行動の目的は、自分の能力をひけらかすことでも、自己満足に浸ることでもありません。「他者を励まし、慰め、信仰を建て上げる(成長させる)」ことでなければならないのです。相手への「愛」と「配慮」が伴わないパフォーマンスは、ただの騒音にすぎないとパウロは教えています。
今日の神様からの奨め
今日、あなたが何歳であっても、またどんなに厳しい状況に置かれていたとしても、カレブのように「神様が共におられるなら大丈夫」という若々しい信仰の炎を燃やし続けてください。神様の約束には、賞味期限も年齢制限もありません。
また今日、あなたが誰かに語りかける言葉が、自分の正しさや知識をひけらかす「理解されない一万の言葉」ではなく、相手の心を温め、生きる勇気を与える「愛にあふれた五つの言葉※」となりますように。あなたのその優しく分かりやすい言葉を通して、今日出会う誰かの心が美しく建て上げられる、素晴らしい一日となりますように。
【※五つの言葉とは?】
これはパウロがメッセージの要点を強調するために用いた比喩(数字の対比)です。第一コリント14章19節の言葉を詳しく見てみましょう。
「しかし、教会では、異言で一万の言葉を語るよりは、他の人を教えるために、私の知性を用いて五つの言葉を語るほうを願います。」(新改訳)
パウロはここで、極端な2つの数字を並べて対比させています。
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「一万の言葉」 当時のギリシャ語で「一万(ミリアド)」は日常的に使われる最大の数字であり、「数え切れないほど莫大な数」を表します。つまり、誰も理解できない不思議な言葉(異言)で、延々と長文のスピーチをし続ける状態を指しています。
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「五つの言葉」 「五」は、当時の文化で「ごくわずかな数、ほんの少し」を意味する慣用句としてよく使われていました。日本語の「二、三の言葉を交わす」や「一言二言」というニュアンスに似ています。
パウロが伝えたかった本当の意味
パウロがここで伝えたかったのは、「言葉の数やパフォーマンスの派手さよりも、相手の心に届く愛の配慮が重要である」ということです。
誰も理解できない言葉で「1万語」の素晴らしい自己満足の祈りやスピーチをするくらいなら、相手がしっかりと理解でき、慰められ、励まされるような「ほんの数語(五つの言葉)」を語るほうが、教会や他者にとって何倍も価値があると説いているのです。
例えば、傷ついている人に対してかける言葉は、神学的に難しい長時間の説教である必要はありません。
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「神様はあなたを愛しています」
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「あなたのために祈っています」
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「主が共にいます、大丈夫です」
このような、本当にシンプルで短い言葉であっても、相手の心に届き、相手を建て上げる(励ます)ことができるなら、それがまさに最高の「五つの言葉」となります。自分の能力を見せつける「一万語」ではなく、相手を生かすための愛がこもった「数語」を選ぶ美しさが、この箇所には込められています。
【時間の余裕のある方以下を、ご覧ください。】4つの言葉


