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目に見えなくても、あなたは一人じゃない。「いつも共に」という究極の約束
こんにちは。いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。
ふとした瞬間に、言いようのない不安に襲われたり、「結局、自分は一人なんだな」と孤独を感じたりすることはありませんか? 周りに人がいても、家族がいても、心の中にぽっかりと穴が開いたような感覚。それは、私たちが一生懸命に生きているからこそ、ふとした拍子に忍び寄ってくる感情かもしれません。
でも、安心してください。聖書の中には、そんな私たちの震える心を根底から支えてくれる、究極の約束が記されています。
「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイの福音書 28章20節)
この御言葉は、イエス様が天に帰られる直前、弟子たち、そして後に続く私たちに残してくださった「また迎えに来る時までの約束の言葉」のような、重みと愛に満ちた約束です。
なぜ私たちは「一人ぼっち」だと感じてしまうのか
目に見えるものだけに心を奪われるとき
私たちはどうしても、目に見える状況や環境で物事を判断してしまいがちです。 仕事がうまくいかない、人間関係に亀裂が入った、あるいは大切な人との別れを経験した……。そんな目に見える「変化」が起きると、私たちの心は「霊的な孤独感」に支配されてしまいます。
「神様はどこに行ってしまったの?」「私の祈りは届いていないの?」 目に見える助けがないように思える時、私たちは神様との繋がりさえも見失ってしまうことがあります。でも、実はこれこそが、私たちの「目」が一時的に曇ってしまっている状態なのです。
イエス様が遺された「世の終わりまで」という時間の意味
イエス様が仰った「世の終わりまで」という言葉には、とてつもないスケールの愛が込められています。 それは、「あなたが良い状態の時だけ」でも、「あなたが頑張っている間だけ」でもありません。あなたがこの世での歩みを終えるその瞬間まで、いえ、この世界の歴史が幕を閉じるその時まで、ずっと変わらずに有効な「永遠の契約」なのです。
一時的な感情や状況に左右されない、神様の側からの強い決意。それがこの約束の本質なのです。
目に見えなくても、そこにおられる「究極の同行者」
「いつも」の中に含まれる、あなたのすべての瞬間
「いつも(Always)」という言葉を、少し掘り下げて考えてみましょう。 この「いつも」の中には、どのような瞬間が含まれているでしょうか。
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喜びにあふれ、賛美が止まらない時
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忙しさに追われ、神様を思い出す余裕もない時
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罪を犯し、自分を責めて顔を上げられない時
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深い悲しみの中にいて、ただ涙しか出てこない時
イエス様は、これらすべての瞬間に「いるよ」と仰っています。私たちが神様の方を向いている時だけではなく、私たちが神様に背を向けている時でさえ、イエス様は一歩も引かずにそこにいてくださるのです。
あなたの「隣」という特等席にいてくださる主
多くの人は、神様を「天の高いところから見守っている厳しい裁判官」のようにイメージしがちです。 でも、聖書が教えるありのままのイエス様は違います。イエス様は、あなたの「隣」を歩む同行者です。
前を歩いて「ついて来い」と命令するのではなく、後ろから「早く歩け」と急かすのでもありません。あなたの歩幅に合わせて、あなたの吐息を感じるほど近くで、一歩一歩を共に踏みしめてくださる方。 その「隣」という特等席こそが、主が選ばれたわたしの場所なのです。
日々の生活でイエス様の「臨在」を感じる3つのコツ
目に見えない主の存在を、どうすれば日々の暮らしの中でリアルに感じられるようになるでしょうか。3つの小さなコツをご紹介します。
1. 「今、ここにいてくださる」と声に出して認める
信仰とは、目に見えないものを「ある」と認める力です。 不安が襲ってきた時、あえて声に出して言ってみてください。 「主よ、目には見えませんが、あなたが今、私の隣にいてくださることを信じて認めます。感謝します」と。
この告白は、主の心に届くだけでなく、自分自身の耳を通して、凍りついた心を溶かす力になります。声に出すことで、心の目が少しずつ開き始めるのを感じるはずです。
2. 聖書を「自分への手紙」として開き、対話する
聖書は単なる古い記録ではありません。今、隣におられるイエス様があなたに語りかけている「生きた言葉」です。 「今日はどの言葉で私を励ましてくれますか?」と問いかけながらページを開いてみてください。ふと目に留まった一行に、主の呼吸を感じることがあります。それは、文字が「声」に変わる瞬間です。
3. 平安という名の「心のバロメーター」を意識する
主が共にいてくださるしるしは、多くの場合、劇的な奇跡ではなく「静かな安心感(平安)」として現れます。 周りは相変わらず騒がしく、問題も解決していないのに、なぜか心の一部に「大丈夫だ」という静かな領域がある。その小さな平安こそが、主があなたの隣におられる確かな証拠です。その小さな火を大切に見守ってください。
結び:究極の約束が、あなたの「今日」を自由にする
不安を抱えたままでも、一歩を踏み出せる理由
不安を完全になくしてから歩き出そうとしなくて大丈夫です。 不安を抱えたまま、震える足のまま歩き出せばいいのです。なぜなら、あなたが踏み出すその場所には、すでにイエス様の足跡があるからです。 「あなたは一人じゃない。わたしが一緒にいる」 この約束を握りしめる時、私たちは自分の弱さを超えて、勇気を持って今日を生きることができます。
あなたは決して一人ではない。これからも、永遠に
世の中の流れは速く、人々の心も移ろいやすいものです。 でも、イエス様の「いつも共にいる」という約束だけは、ダイヤモンドよりも硬く、太陽よりも明るくあなたを照らし続けます。
もし、また孤独を感じる夜が来たら、この御言葉を思い出してください。
「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイの福音書 28章20節)
あなたは決して一人ではありません。目に見えなくても、主の温かな御手は今、あなたの肩に置かれています。
その大きな愛と平安が、今日も今日も明日も、あなたの心を豊かに満たしてくださいますように。心からお祈りしています。
