【聖書通読 第29週:ホッとひと休み】背中の荷物を降ろして、天のお父さんの御胸で眠る日

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【聖書通読 第29週:ホッとひと休み】背中の荷物を降ろして、天のお父さんの御胸で眠る日

今週も一週間、本当にお疲れ様でした。 士師記では、人間の弱さや失敗、そして神様のあわれみの深さに触れ、ガラテヤ書では「私たちはルールの奴隷ではなく、愛された子どもである」という絶対的な恵みの宣言を味わってきました。
日々、気がつかないうちに自分自身の心にも、目に見えない疲労や重圧が少しずつ溜まっていくものです。 今日は、すべての「頑張り」を一旦お休みして、ただ天のお父様の温かい御胸(みむね)に寄りかかり、ホッと一息つくための時間を持ちましょう。

列車の中で荷物を背負い続ける私たち

ある田舎の駅から、一人のおばあさんが大きな荷物を背負って列車に乗り込んできました。 列車が走り出しても、おばあさんは座席に座ったまま、その重い荷物を背負い続け、汗をかきながら必死に前かがみになって耐えています。 見かねた車掌さんが近づいて、優しく声をかけました。 「おばあちゃん、もう列車に乗ったんだから、その重い荷物は床に降ろしていいんですよ。あなたも荷物も、この列車が全部一緒に運んでくれますからね。」
私たちは、人生という旅において、イエス様という「恵みの列車」にすでに乗せていただいています。それなのに、日常に戻るとつい、明日への不安、複雑な問題の解決策、そして誰かのために背負った重荷を、自分自身の小さな背中に背負い続けてしまうことがないでしょうか。 「私がなんとかしなければ」「もっとうまく導かなければ」と、座席に座りながらも汗を流して荷物を背負い続けている私たちに、神様は今日、優しく語りかけておられます。
「もう列車に乗っているのだから、その荷物をわたしの足元に降ろして、ゆっくりと背もたれに身を委ねなさい」と。

嵐の日の小さな傘

こんな可愛らしくも、心温まるエピソードがあります。 ある雨の強い日、父親と幼い娘が道を歩いていました。娘は「私がお父さんを濡らさないようにする!」と、自分の小さな両手で大きな傘を一生懸命に持ち、背伸びをして父親の頭上に掲げていました。 しかし、風が吹き、雨は強くなり、娘の腕は限界を迎えてプルプルと震え始めました。傘は傾き、結局二人とも雨に濡れてしまいました。 その時、父親は優しく微笑んでしゃがみ込み、娘をヒョイと片腕で抱き上げました。そして、もう片方の手でしっかりと傘を持ち直したのです。 父親の温かい胸に抱かれた娘は、すっかり安心し、雨音を聞きながら、父親の力強い鼓動に耳を当ててスヤスヤと眠ってしまいました。
日々、誰かのために「私が傘を持ってあげなければ」と奮闘するその優しさと責任感は、本当に尊く美しいものです。しかし、時に激しい雨風の中で、あなたの腕が疲れ果て、心細くなってしまう日もあるでしょう。 そんな時、天のお父様は、震えるあなたの手からそっと傘を受け取り、あなたごとその大きな腕で抱き上げてくださいます。

「何もしない」という最高の礼拝

ガラテヤ書でパウロが熱く語ったのは、「あなたはもう、ルールの顔色をうかがう奴隷ではない。無条件に愛されている子どもなのだ」ということでした。
奴隷は、主人の前で休むことを許されません。常に働き、価値を証明しなければ見捨てられてしまうからです。 しかし、親の胸に抱かれた子どもはどうでしょうか。子どもは、親の胸の中で「何か役に立つこと」をしているわけではありません。ただ、体中の力を抜いて、親の体温を感じながら安らかに眠っているだけです。親にとって、自分の胸でスヤスヤと安心して眠る子どもの姿を見ることは、何ものにも代えがたい最高の喜びなのです。
私たちが神様の前で「ホッとひと休み」することは、決してサボることでも、信仰が弱いことでもありません。「神様、私にはできません。あなたにお委ねします」と全身の力を抜くことは、神様の愛と完全な力を信頼しているからこそできる、「最高の礼拝」なのです。
今週の終わりに、少しだけ目を閉じてみてください。 あなたが今週抱えたプレッシャーも、うまく言葉にできなかった後悔も、誰かのために流した見えない涙も、すべて天のお父様がご存知です。 今はただ、重い荷物を床に降ろし、神様の温かい御胸に顔をうずめて深呼吸をしてください。「よく頑張ったね、もう休んでいいよ」という優しく力強い御声と、あなたを包み込む神様の愛の鼓動が、静かに聞こえてくるはずです。
この週末、あなたの心と体に、天からあふれる豊かな安らぎと回復のシャワーがたっぷりと注がれますように。

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