わたしのすべてはイエスさまのもの   〜ちいさな私から溢れる、大いなる献身の思い〜
わたしのすべてはイエスさまのもの
〜ちいさな私から溢れる、大いなる献身の思い〜

1,ちいさい わたしの 手は イエスさまの よろこぶ仕事を するためにある ※ わたしの すべてはイエスさまのもの 十字架で死なれたイエスさまのもの
2,ちいさい わたしのくちびるで 主の とうといお名前 ほめ歌います
3,ちいさい わたしの 目は神さまの みことば 毎日 読むためにある
4,ちいさい わたしの ふたつの 足は 神さまの道を 歩くためです
この賛美は、子ども向けの賛美ですが、大切なメッセージを伝えています。 神様が私たちをご自身のものとして創造されましたが、自分勝手な罪のために、人は神様から離れてしまいました。 しかし、イエス様が十字架で尊い命の代価を払って、私たちをあがなってくださいました。 だから、私たちの人生の目的は神様のために感謝して生きることだと聖書に書いています。 ともに歌詞を味わい賛美しましょう。

この記事の目次

賛美「ちいさい わたしの…」に学ぶ献身

1. 導入

皆さん。
今日の賛美は、子ども向けの短い歌です。けれども、実は大人の私たちの心をまっすぐ刺す「深い告白」が入っています。
歌詞はとても小さな言葉です。
「ちいさい わたしの手」
「ちいさい わたしのくちびる」
「ちいさい わたしの目」
「ちいさい わたしの足」
でも、その“ちいさい”という言葉の中に、神様が喜ばれる大切な真理があります。
それは、立派な人が神にささげる話ではなく、弱く小さな私が、主の恵みによって主のものとされ、主にお返しする話です。
そして中心には、この宣言があります。
「わたしの すべては イエスさまのもの
十字架で死なれた イエスさまのもの」
今日はこの賛美を味わいながら、
「献身とは何か」
そして、「献身が生まれる場所はどこか」を、みことばとともに見つめたいのです。

2. 展開

(1)献身の出発点は「義務」ではなく「贖いの恵み」

まず大切なことは、献身は「頑張って神様のために生きよう」という義務から始まるのではない、ということです
この賛美は、最初にこう言います。
「わたしの すべては イエスさまのもの」
つまり、献身の出発点は、私の決意ではなく、主の十字架の恵みです
私たちは、神様のものとして造られました。けれども罪によって、神様から離れてしまった。
しかしイエス様が、尊い命の代価を払って、私たちを買い戻してくださいました。
だから私たちは、救いに感動して、自分を主にお返しするのです。
献身とは、「自分の人生を主に渡す」というより、すでに主のものとされた人生を“主にお返しすること”です。
ここを外すと、献身はすぐ重荷になります。
「献身しなければならない」
「もっとできない自分はだめだ」
そうなります。
けれども福音は違います。
主が先に与えてくださった。主が先に救ってくださった。
だから私は、喜びと感謝で応答する。
この順番が大切です

(2)「ちいさい手」― 主が喜ばれることをする

賛美は言います。
「ちいさい わたしの手は
イエスさまの よろこぶ仕事を するためにある」
私たちの手は、日常で一番よく動きます。
しかし同時に、罪も出やすい。
握りしめる手、奪う手、自分のためだけに使う手。
けれども主は、私たちの手を清め、用いてくださいます。
「主が喜ばれる仕事」とは、特別な大業ではありません。
  • 家族にやさしくする
  • 人を助ける
  • 疲れている人に声をかける
  • 小さな奉仕をする
  • 誰にも見られないところで誠実に働く
この“見えないところの手の働き”を、主はよろこばれます。
献身とは、日常の手の使い方が、主のために変わっていくことです。

(3)「ちいさいくちびる」― 主をほめたたえ、人を生かす

次に賛美は言います。
「ちいさい わたしのくちびるで
主の とうといお名前 ほめ歌います」
口は、小さいのに人生を大きく左右します。
言葉が人を生かし、言葉が人を殺すこともあります。
私たちは、つい不平や愚痴、さばきの言葉を口にしてしまう。
そのとき、心は荒れていきます。
しかし献身とは、口を主にお返しすることです
  • 主をほめたたえる
  • 感謝を告白する
  • 赦しの言葉を語る
  • 人を立て上げる言葉を選ぶ
  • 主の御名を尊ぶ
私たちは完全にはできません。
でも、主の十字架の恵みに触れると、言葉が少しずつ変えられます。
「主よ、私の口を守ってください。
主をほめたたえる口にしてください。」
この祈りこそ、献身の祈りです。

(4)「ちいさい目」― みことばを見つめ、心を養う

賛美は言います。
「ちいさい わたしの目は
神さまの みことば 毎日 読むためにある」
目は、心に入る入口です
見続けるものが、心の方向を決めます
今の時代、私たちの目はとても疲れています。
情報、誘惑、比較、怒り、恐れ、刺激。
それらを見続けると、心は弱っていきます。
だからこそ賛美は「毎日みことば」と歌います。
みことばは、魂の食物です。
心の呼吸です。
荒れた心を整える、神様の光です。
献身とは、時間がある時だけ聖書を読むことではなく、
人生の中心にみことばを置くことです。

(5)「ちいさい足」― 神の道を歩む決心

最後に賛美は言います。
「ちいさい わたしのふたつの足は
神さまの道を 歩くためです」
足は「どこへ向かうか」を示します。
信仰は、頭の中だけではありません。歩みです。
主の道を歩むとは、
派手なことではなく、日々の選択の積み重ねです。
  • 誘惑から離れる
  • 悪い道に足を踏み入れない
  • 正しい方へ戻る
  • 悩みの中でも主の方へ向き直る
私たちの足は小さい。
でも主は、その小さな一歩を喜ばれます。
主は、歩む者に道を備えてくださいます。

(6)献身の結論:「全身を主にささげる」こと

この賛美は、手、口、目、足を通して、こう告白しているのです。
「わたしの全身、わたしの生活、わたしの人生は、主のものです」
これは、ローマ12章1節の世界です。
「あなたがたのからだを、神に喜ばれる聖い生きた供え物として献げなさい」
献身は、感情が高ぶる時だけの誓いではありません。
十字架の恵みによって、今日も主に生かされているから、
今日も主にお返しする。
その繰り返しが、献身の生活です。

3. 祈り

主なる神様。
今日、子どもの賛美の短い言葉の中に、私たちの信仰の中心を見ました。
私たちは、あなたのものとして造られました。
しかし罪のために、あなたから離れてしまいました。
それでも主よ、あなたは私たちを見捨てず、
御子イエス・キリストを十字架につけ、尊い代価で私たちを贖ってくださいました。
主よ、告白します。
わたしのすべてはイエスさまのものです。
十字架で死なれたイエスさまのものです。
どうか主よ、私たちの手をあなたのために用いてください。
人を愛し、助け、仕える手にしてください。
私たちの口を守ってください。
主をほめたたえ、人を生かす言葉を語る口にしてください。
私たちの目をきよめてください。
みことばを毎日見つめ、心が養われるようにしてください。
私たちの足を導いてください。
あなたの道を歩み、迷ったときにはすぐ戻れる者にしてください。
主よ、献身が重荷にならないように、
いつも十字架の恵みを思い起こさせてください。
救われた喜びと感謝から、あなたにお返しする歩みをさせてください。
今日も、私たちの人生をあなたの御手におゆだねします。
主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。
アーメン。

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