【聖書通読第13週4日目】  ささげる心を主は見ておられ、主の光は今も輝いている「民数記7章/ヨハネ1章」

【聖書通読第13週4日目】

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ささげる心を主は見ておられ、主の光は今も輝いている「民数記7章/ヨハネ1章」

民数記7章/ヨハネ1章

ささげる心を主は見ておられ、主の光は今も輝いている

民数記7章とヨハネ1章は、一見するとかなり違う章のように見えます。
一つは各部族のささげ物が延々と記されている章。
もう一つは「初めにことばがあった」と始まる、とても深い福音書の導入部分です。

けれど、この二つの章を一緒に読むと、はっきり見えてくることがあります。
それは、**神様は一人ひとりの真実な心を見ておられ、しかもその民の中にご自身の光を届けてくださるお方だ**ということです。

民数記7章の解説

神様は一つ一つのささげ物を軽く扱われない

民数記7章を読むと、各部族の長たちがささげ物を献げる場面が続きます。
しかも同じような内容が何度も繰り返されるので、読んでいて「また同じことが書いてある」と感じるかもしれません。

けれど、この繰り返しには大切な意味があります。

もし人間が書くなら、
「12部族とも同じ物を献げた」
と一言でまとめてしまいそうです。
でも神様は、そのようにはされませんでした。
一つの部族、一つのささげ物、一人ひとりの献げる心を、丁寧に記させておられるのです。

これはたとえるなら、学校の先生が生徒全員に同じ「よくできました」を配るのではなく、ひとりずつ名前を呼びながら、「あなたの歩みを見ていましたよ」と伝えるようなものです。
神様は、ご自分の民の献身を、まとめて雑に扱われるお方ではありません。

人から見ると同じに見えることがあります。
同じ奉仕。
同じ献金。
同じ働き。
けれど神様は、その背後にある心を見ておられます。

「誰にも気づかれなかった」
「これくらい意味がないのではないか」
と思うような小さな献身も、主の前では決して忘れられません。

真実な心は主の前で尊い

この章は、目立つことの大きさではなく、**主の前にささげる真実さ**が大切であることを教えています。

私たちはつい、
「もっと大きなことができたら」
「もっと目立つ奉仕ができたら」
と考えやすいです。

けれど神様が喜ばれるのは、派手さよりも真実です。
心を込めてささげる一歩。
忠実に続ける祈り。
人には見えないところでの従順。
それらを主はよく見ておられます。

ヨハネ1章の解説

「ことば」であるキリストが私たちのところに来てくださった

ヨハネ1章は、とても壮大な言葉で始まります。

「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」

ここで言われている「ことば」とは、イエス・キリストのことです。
つまりヨハネは、イエス様はただの立派な先生ではなく、初めから神であられたお方だと語っているのです。

しかもこのお方は、ただ天におられる遠い神ではありません。
14節では、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」とあります。

ここが本当に驚くべきことです。

神様は遠くから命じるだけのお方ではありません。
私たちの弱さも、涙も、痛みもわからないお方ではありません。
神様ご自身が、人となって私たちのところに来てくださったのです。
それがイエス・キリストです。

主の光は暗闇の中にも輝いている

ヨハネ1章では、イエス様は『』としても描かれています。

この世には暗闇があります。
罪の暗闇。
迷いの暗闇。
悲しみの暗闇。
先が見えない不安の暗闇。

私たちも人生の中で、
「どこへ進めばよいのかわからない」
「心が暗くなってしまう」
という時を通ります。

けれどヨハネは語ります。
その光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。

これは大きな希望です。
暗闇があるから光が消えるのではありません。
むしろ、暗闇の中でこそ光ははっきり見えます。

たとえるなら、真夜中の海で遠くに灯台の光が見えるようなものです。
周りが暗いからこそ、その光が命綱になります。
イエス様は、まさにそのような光として、今も輝いておられるのです。

神様が望んでおられること

真実な心で自分を主にささげ、キリストの光の中を歩むこと

この二つの章から、神様が望んでおられることははっきりしています。

まず一つ目は、「真実な心で自分を主にささげること」です。
大きなことができるかどうかではありません。
主の前に、まごころをもって立つこと。
今日の小さな従順を大切にすること。
それを神様は喜ばれます。

そして二つ目は、「キリストの光を受け入れて、その光の中を歩むこと」です。
暗闇の中で、自分の力だけで進もうとすると迷ってしまいます。
でも、ことばであるキリストを見上げる時、進むべき道が見えてきます。

不安があっても、
迷いがあっても、
主の光は消えません。
その光に照らされながら、一歩ずつ歩めばよいのです。

まとめ

民数記7章は、神様が一人ひとりのささげ物を丁寧に受け止めてくださることを教えています。
ヨハネ1章は、その神様がことばなるキリストとして私たちのところに来てくださり、今も光として輝いておられることを教えています。

ですから今日、私たちは覚えたいのです。

主はあなたの小さな献身を見ておられます。
主の光は、あなたの暗闇の中にも輝いています。

だから、安心して自分を主にささげましょう
そして、ことばなるキリストの光を見上げながら、今日も一歩ずつ歩んでいきましょう。

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