第4週1日目【聖書通読】創世記40章41章、マタイ16章 主の時を待つ2年。ペテロ「あなたはキリスト。」

この記事の目次

聖書通読 第4週1日目(創40・41/マタ16)

今日のテーマ。忘れられても主は見ている。主の時が開く。ペテロ「あなたはキリスト。」

創世記40章。牢の中でも神は働く。

ヨセフは無実なのに牢にいます。しかも「正しいのに報われない」場所です。
そこで王の献酌官長と料理官長が夢を見て、ヨセフに尋ねます。ヨセフはまず言います。
「解き明かしは神のものではありませんか。」
ここが大事です。ヨセフは牢の中でも、自分を主人公にせず「神が語られる」と信じています。
そして夢はその通りに成就します。ところが、助けてくれるはずの献酌官長はヨセフを忘れてしまいます。
ここは胸が痛いです。しかし聖書は、忘れられた二年間も“空白”ではなく、神の時計が進んでいた時間だと示します。
おすすめ。忘れられた気持ちの日は「主よ。あなたは私を見ておられます。」と短く告白しましょう。

創世記41章。神が時を開き。牢から宮廷へ。

突然、今度は王パロが夢を見て困ります。そこでようやく献酌官長が思い出します。
「牢にいるヨセフが夢を解き明かしました。」
人は忘れても、神は忘れません。神は必要な時に、必要な扉を開きます。
ヨセフは王の前でもぶれません。
「私ではありません。神がパロにお告げになります。」
そして飢饉への備えを示し、知恵ある提案までします。結果、ヨセフは一気に総理の地位へ。
神の導きは、ゆっくりに見えても、開く時は一瞬です。
おすすめ。待たされている人は、今日一つだけ「忠実」をしましょう。小さな仕事。小さな祈り。小さな親切。神はそれを積み上げて用いられます。

マタイ16章。あなたはキリスト。十字架の道が示される。

ペテロは告白します。
「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
信仰の中心はここです。救い主を“正しく見る”こと。
しかし直後に、イエスは十字架の道を語り始めます。ペテロはそれを止めようとして叱られます。
ここに私たちの弱さがあります。
「栄光は欲しい。でも十字架は避けたい。」
けれど主は言われます。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、わたしについて来なさい。」
十字架は、ただの苦しみではありません。罪と古い自分を終わらせ、復活の命に生きる入口です。
おすすめ。今日は一つ「自分中心」を手放してみましょう。言い返したいのを飲み込む。人を責めるより祈る。自分の正しさより愛を選ぶ。そこに主の道があります。

今日のまとめ。

創40。忘れられても主は見ている。
創41。主の時が開くと一気に道がつながる。
マタ16。救い主を告白し、十字架の道を選ぶ。
最後に短い祈りです。
主よ。待たされている私をあなたが見ておられることを信じます。
今日も忠実に歩ませてください。

そして「あなたはキリスト」と告白し、十字架の道を喜んで歩める心をください。アーメン。

 

下記に今日の特別記事があります。下記の画像をクリックして下さい。

 

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事