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【聖書メッセージ】「私にあるもの」を解き放て:金銀を超える人生の逆転劇
「金や銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」(使徒の働き3:6)
この言葉は、キリスト教の歴史の中で最もダイナミックで、かつ「福音の本質」を鋭く突いた宣言の一つです。
今、人生の「門」の前で立ち止まっているあなたへ、
そして日々主に従おうと奮闘しているクリスチャンの皆さまへ。
このペテロの言葉から、私たちの人生を根底から作り替える神様の圧倒的な御力と、私たちがすでに手にしている「本当の宝」について、情熱を持ってお伝えします。
1. 「物乞い」の期待と、「神様」の答え
エルサレム神殿の「美しの門」のそばに、一人の男が座っていました。彼は生まれつき足が不自由で、毎日、人に担がれてそこへ連れてこられては、参詣人から施しを求めていました。 彼の期待は、非常に「現実的」で「限定的」なものでした。
「今日、生きていくためのお金が欲しい。誰か、小銭(金銀)を恵んでくれないか」。 私たちの人生も、彼と似たような状態になることがあります。
「あと少し給料が上がれば、幸せになれるのに」
「この病気が少しでも楽になれば、笑えるのに」
「人間関係のこの問題さえ解決すれば、安心できるのに」 私たちは、目に見える「金銀(一時的な解決)」を求めます。しかし、神様の視点は全く違いました。神様がこの男に用意していたのは、「その場しのぎのコイン」ではなく、「自分の足で立ち上がり、踊り出す新しい人生」でした。
福音とは、「今の生活を少しだけ良くするサプリメント」ではありません。死んだような人生を根底から蘇らせる「劇薬」であり、神様の命そのものなのです。
2. 「ないもの」を数えるのをやめ、「あるもの」に目を開く
ペテロは言いました。「金銀は私にはない」。
当時の弟子たちは、世俗的な権力も、財産も、高い社会的地位も持っていませんでした。外側だけを見れば、彼らは物乞いの男よりも貧しかったかもしれません。
もし、ペテロが自分の「欠乏」ばかりを見ていたらどうなったでしょうか。 「ああ、私は貧しい漁師あがりだ。この人に小銭もあげられない。自分には何もできない……」と下を向いて通り過ぎていたでしょう。
しかし、ペテロはこう続けました。「しかし、私にあるものをあげよう」。
クリスチャンの皆さま。今日、あなたは何を数えていますか? 「私には学歴がない」「私には若さがない」「私には語る言葉がない」「私には立派な信仰がない」。 サタンは常に、あなたの「ないものリスト」を突きつけてきます。
しかし、聖書があなたに注目させるのは、あなたの中に住まわれる「キリストという宝」です。 あなたが救われたその日から、宇宙を造られた万軍の主の御霊が、あなたの内に住んでおられます。あなたには「ある」のです。罪を赦す権威を持つイエス様を、死を打ち破る希望を与えるイエス様を、そして「ナザレのイエス・キリストの名」という、天の蔵を開く鍵が、すでにあなたの手の中に握らされているのです。
3. 「ナザレのイエス」という名が持つ、具体的な威力
「ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」。
なぜ「イエスの(御)名」なのでしょうか。 例えば、あなたが大きな会社の社長の名前が入った紹介状を持っていれば、今まで開かなかった扉が開くことがあります。名前には、その人の「身分」と「権威」と「実績」が凝縮されているからです。 「ナザレのイエス」という名前には、以下の三つの権威が込められています。
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創造の権威: 万物を造られたお方ですから、動かない筋肉、弱った神経、折れた心を神様のみこころにかなうなら再構築する力があります。
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勝利の権威: 十字架で罪を、復活で死を打ち破られたお方ですから、あなたを縛るすべての呪いと束縛を断ち切る力があります。
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愛の権威: あなたのために命を捨てられたお方ですから、あなたの「叫び」をけっして無視しないという約束があります。
ペテロが男の手を取って引き上げたとき、男の足とくるぶしは「たちまち強く」なりました。これは「イエスの(御)名」が持つエネルギーが、物理的な現実を塗り替えた瞬間です。 福音を語るとは、単に「いい話」をすることではありません。 「あなたのその悩み、その絶望の上に、主イエスの権威を宣言します!」と、主の御名を解き放つことなのです。
4. 立ち上がるだけではない、「踊り出す」喜びへ
癒やされた男は、ただ立ち上がっただけではありません。彼は「躍り上がって歩き出し、神を賛美しながら」神殿に入っていきました(使徒3:8)。
彼は、人生で初めて「美しの門」の外側ではなく、内側へと入っていったのです。 これまでは、神殿の入り口までしか行けませんでした。宗教の「外側」で、施しを待つだけでした。しかし、イエスの御名は彼を「礼拝の中心」へと連れて行きました。
これが福音がもたらす最高のギフトです。
神様はあなたを、ただ「働ける体」にするために救ったのではありません。あなたが「神を愛し、神を楽しみ、神と共に歩む存在」になるために救い出されたのです。 今、もしあなたが、教会の門の外で「私なんて……」と座り込んでいるなら、主イエスがあなたの手を取っておられます。「さあ、立ち上がって、わたしの懐に入ってきなさい」と招いておられるのです。
5. クリスチャンへの励まし:あなたの「手」を貸してください
この物語で最も感動的なのは、ペテロが「彼の手を取って引き上げた」(3:7)という箇所です。
「イエスの(御)名」には権威の力がありますが、主はその力を、私たちという「器」を通して流すことを好まれます。
ペテロの手がなければ、男は立ち上がるきっかけを掴めなかったかもしれません。 クリスチャンの皆さん。あなたは「神の代理人」です。 あなたの周りには、人生の門の前で座り込み、小銭(慰めや気晴らし)だけを求めて疲弊している人々がたくさんいます。彼らは、自分が「イエスの(御)名」によって立ち上がれることなど、想像もしていません。
どうか、あなたの中におられるイエス様を過小評価しないでください。 「私には何もできない」と言わないでください。あなたには、世界を変える「イエスの(御)名」があります。 あなたが誰かのために祈るとき、誰かに「イエス様があなたを愛しておられます」と語るとき、あなたはペテロのように「私にあるものをあげよう」と手を差し伸べているのです。
結論:今日、宣言しましょう
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。」 今日、あなたの直面している「動かない状況」に向かって、この言葉を宣言してみませんか。
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病の中にある方へ: 「病を癒やす力は私にはない。しかし、私にある主イエスの御名によって宣言する。主よ、あなたの平安と癒やしをここに現してください!たとえそうでなくても、神様にある永遠のいのちを確信させてください。」
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家庭の問題に悩む方へ: 「人の心を変える力は私にはない。しかし、私にある主イエスの御名によって祈る。この冷え切った関係に、神様の愛と恵みを注いでください!」
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将来を不安に思う方へ: 「未来を見通す力は私にはない。しかし、私にある主イエスの御名によって歩む。主がわたしの羊飼いであり、必要なものはすべて備えられる!」
福音は生きています。イエスの(御)名は、二千年前と同じように、今日、あなたの人生に奇跡を起こします。 小銭を求めるだけの人生を終えましょう。主と共に躍り上がり、賛美しながら「神の国」へと進んでいきましょう。
あなたの中に、最高の宝があるのですから。
「イエスは彼に言われた。『もしできれば、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。』」(マルコ9:23)

