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【聖書通読 第23週6日目】モーセの歌と、互いをつまずかせない愛の配慮
人間の愚かさと神の真実を歌うモーセの賛歌と、教会内の異なる信仰のペースを持つ兄弟姉妹を裁かず、愛をもって受け入れる優しさと配慮について学びます。
【旧約】申命記 32章
申命記32章は、モーセが自らの死の直前に、全イスラエルの集会で語り聞かせた美しい「歌」です。神様はなぜ、説教ではなく「歌」にして教えるよう命じたのでしょうか。それは、歌のメロディーやリズムが人の記憶に深く刻み込まれ、何世代にもわたって口ずさまれるからです。この歌は、将来民が神を忘れて堕落したとき、「私たちはかつてこう教えられていたのに」と思い起こさせるための証拠となるものでした。
この歌の中で、神様は決して揺るがない「岩」として力強く賛美されています。
「主は岩。そのみわざは完全。まことに、そのすべての道は公義。偽りのない、真実な神。主は正しい、まっすぐな方。」(申命記 32:4)
神様は、荒野という過酷な環境の中で、民を「自分の瞳のように」守り、親鳥のわしが雛を背中に乗せて飛ぶように、大切に導いてこられました。しかし、歌は人間の悲しい性質を鋭く描き出します。
イスラエルは約束の地に入り、美味しいものを食べ、豊かに肥え太ると、とたんに自分を造られた神を「蹴飛ばし」、他の異教の神々(偶像)に走ってしまうというのです。
これは、親からたくさんのお小遣いやスマートフォンを与えられた子どもが、そのプレゼント(豊かな恵み)の魅力にすっかり心を奪われ、それを与えてくれた親の存在を無視して、自分の欲望のままに遊び呆けてしまう姿に似ています。人間は、与えられた「恵み」に目を奪われると、背後にいる「恵みの与え主」を簡単に忘れてしまう愚かさを持っています。
モーセの歌は、神の完全な愛と真実に対して、いとも簡単に裏切ってしまう人間の罪深さを対比させつつ、それでも最終的にはご自身の民をあわれみ、贖い(あがない)を成し遂げてくださる神の絶対的な主権を歌い上げているのです。
【新約】ローマ人への手紙 14章
ローマ人への手紙14章は、共に救われたクリスチャン同士が、教会(共同体)の中でどのように関わり合うべきかという、非常に実践的で心温まる教えです。
当時のローマの教会には、背景の異なる人々が集まっていました。ある人は「偶像に捧げられた肉を食べるのは罪だ」と考え、野菜だけを食べていました(信仰の弱い人)。一方で、「すべてのものは神様が造られたのだから、感謝して食べれば何を口にしても自由だ」と理解している人もいました(信仰の強い人)。また、特定の日(安息日や祭日)を神を聖視する人もいれば、毎日が同じように神の日だと考える人もいました。
パウロは、この「どちらでもよい本質的ではない問題(グレーゾーン)」において、相手を裁いてはならないと戒めます。
「ですから、私たちはもはや互いにさばき合うことをやめましょう。むしろ、兄弟の前に妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように、決心しなさい。」(ローマ 14:13/)
これを「登山」に例えてみましょう。
信仰の強い人は、登山のベテランです。どんな険しい道でも「大丈夫、ここは安全だ!」と自由に、速いペースで歩くことができます。一方、信仰の弱い人は初心者です。一歩一歩、「この石に乗っても大丈夫かな」と不安に陥りながら良心の呵責を感じながら、慎重に歩いています。
このとき、ベテランが初心者を無理やり引きずって走らせたり、「なぜこんな安全な道が歩けないんだ」と馬鹿にしたりすれば、初心者はパニックになり、石につまずいて怪我をしてしまいます。
パウロは、「あなたの自由(権利)を主張して、キリストが命を捨ててまで救った兄弟を滅ぼしてはならない」と語ります。本当に強い人とは、自分の正しさや自由を振りかざす人ではなく、歩みの遅い初心者のペースにそっと寄り添い、相手が安心して歩けるように自分の歩幅を合わせることができる人です。
「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」(ローマ 14:17)
私たちの目的は「誰が正しいか」を議論して勝つことではなく、キリストの愛によって互いを建て上げ、共に喜びの頂上を目指すことなのです。
今日の薦め
私たちは時に、自分と異なる意見を持つ人や、霊的な成長のペースが違う人に対して「あの人は間違っている」「なぜ分からないのか」と、心の中で裁判官の席に座ってしまうことがあります。しかし今日、神様は「裁くのをやめ、愛の配慮をもって歩み寄りなさい」と勧めておられます。
あなたの周囲に、あなたとは異なるペースで歩んでいる人はいませんか。今日は「自分が正しい」という主張を少しだけ脇に置き、相手の立場に立って考え、相手がつまずかないように優しい言葉を選んでみましょう。あなたが自分の自由や正しさよりも「愛」を優先して行動するとき、その配慮こそが、神の国にふさわしい美しい「平和と喜び」をあなたの周りに作り出していくのです。揺るがない岩なる神様の真実に感謝しつつ、互いに愛し合う温かい一日となれば感謝です。
