【その③】神様は本当に私を守ってくださるのか?イザヤ41章10節に学ぶ「神の守り」と「恐れるな」の本当の意味

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ローマ8章31〜39節が教える「絶対に変わらない神様の守り」

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強め、
あなたを助け、
わたしの義の右の手で、
あなたを守る。」
(イザヤ41章10節)
イザヤ41章10節を読んでいると、ある人はこう思うかもしれません。「でも本当に神様は最後まで守ってくださるのだろうか。」
その答えを、使徒パウロはローマ8章31〜39節で力強く語っています。
パウロは、「もし神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」と語ります。
そして、「神はご自分の御子さえ惜しまずに与えてくださった。」と言います。
つまり、
神様は私たちのために最も大切な御子イエス様を与えてくださったのだから、私たちを途中で見捨てることは決してないというのです。
さらにパウロは続けます。
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」
(ローマ8章38〜39節)
なんと力強い言葉でしょうか。
病気も。老いも。失敗も。経済的な問題も。人からの誤解も。死でさえも。
神様の愛から私たちを引き離すことはできないのです。
神様の守りとは、「何も悪いことが起こらない人生」ではありません。
どんなことが起こっても、神様の愛から離されない人生なのです。
これこそが聖書の語る本当の平安です。

あるクリスチャンの証し

19世紀のイギリスで活躍した伝道者ジョージ・ミュラーは、生涯で1万人以上の孤児を世話したことで知られています。
しかし彼は大富豪ではありませんでした。しかし、人に募金をお願いすることをほとんどせず、必要を神様に祈り続けました。
ある朝、孤児院には朝食のパンも牛乳もありませんでした。たくさんの子どもたちが食堂に集まっていました。職員たちは不安でした。ところがミュラーは子どもたちを席に着かせて言いました。
「神様に感謝しましょう。」そして食事がないまま感謝の祈りをささげたのです。
祈りが終わった直後、ドアをノックする音がしました。近くのパン屋がやって来て、「なぜか夜中に目が覚めて、あなた方のためにパンを焼かなければならないという思いが与えられました。」と言って大量のパンを届けたのです。さらにその直後、牛乳配達の馬車が孤児院の前で故障しました。
牛乳は傷んでしまうため、「どうせ運べないので子どもたちに差し上げます。」と言って牛乳が届けられました。
ミュラーは後にこう語っています。「神様は決して私を失望させなかった。」
もちろん彼の人生には困難もありました。病気もありました。愛する人との別れもありました。
しかし彼は生涯を通して、『神様は真実なお方である』ということを体験し続けたのです。
私たちもミュラーと同じ神様を信じています。
イザヤ41章10節の神様は今も生きておられます。
だから今日も、
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。」という約束を信じて歩んでいきましょう。
私たちが神様を握っているのではありません。
神様が私たちを握っていてくださるのです。

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