①エペソ人への手紙の『キリストにある神の選び』が教える無条件の愛と安心感

この記事の目次

『キリストにある神の選び』が教える無条件の愛と安心感

エペソ人への手紙1章に記されている「世界の基が据えられる前から選ばれていた」という言葉は、キリスト教の歴史の中でも「神の選び(予定説)」と呼ばれる、非常に深く、時に難解とされるテーマです。今回はこの少し難しい教義しかし、信仰で神様のなされることとして受け取ってください。あたまで理解しようとしないでください。私たちの頭で考えても神様を1%も理解できないのですから・・・
この教義は、「あらかじめ運命が決まっているなら、人間の努力には意味がないのでは?」「選ばれない人がいるなんて不公平だ」と、冷たい運命論排他的なルールのように誤解されがちです。しかし、パウロがここで伝えたかった真意は、運命論などではなく、私たちの魂を根底から安心させる「究極のラブレター」でした。
この「神の選び」について、例えとエピソードを用いて分かりやすく紐解いていきましょう。

「神の選び」は、冷たい運命論ではなく温かい親心

なぜ神様は、私たちが生まれてからではなく、「世界の基が据えられる前(天地創造の前)」に私たちクリスチャンを選んだのでしょうか。そこには、神様の絶対的な「無条件の愛」が隠されています。

もし「生まれた後」の評価で選ばれるとしたら

私たちは普段の生活の中で、就職活動であれ、人間関係であれ、必ず「条件」や「実績」で評価され、選ばれます。「優秀だから採用される」「優しいから好かれる」というように、自分の行い(パフォーマンス)が選びの基準になっています。
もし、神様が私たちを「生まれた後の行い」を見てから選んだのだとしたら、どうなるでしょうか。「この人は立派に生きているから、私の子どもとして選ぼう」「この人は失敗ばかりだから、選ぶのをやめよう」となってしまいます。これでは、私たちは一生、「神様に捨てられないように」と怯えながら、自分の価値を証明し続けなければなりません。
神様が「世界の基が据えられる前」、つまり私たちがこの世に存在し、良いことも悪いことも一切する「前」に私たちを選んだのは、「あなたの行いや成績は、私があなたを愛し、選んだ理由とは一切関係ない」ということを証明するためだったのです。

エピソード:愛情の古い日記帳

ある施設に、大人を全く信用せず、心を固く閉ざした少年がいました。彼は「どうせ誰も本当の僕を愛してくれない。良い子にしていなければ捨てられるんだ」と思い込み、養親候補の大人たちが来るたびに、わざと乱暴に振る舞って相手を試していました。
ある日、ひと組の夫婦が彼を養子として迎え入れました。しかし少年は新しい家でも、わざとコップを壁に投げつけ、暴言を吐きました。「ほら、お前たちも僕を追い出すだろう?」と。 しかし、お父さんは怒るどころか、静かにしゃがみ込み、一冊の古いノートを取り出しました。それは、少年が生まれるずっと前、夫婦が「いつか迎える我が子」のために書きためていた日記でした。
そこには、子ども部屋の設計図、一緒に遊びたい公園のリスト、そして「まだ見ぬあなたを、私たちはすでに心から愛しています」という言葉がびっしりと書かれていました。さらに、施設で少年の写真を見たその日のページには、こう記されていました。 「この子だ。どんなに傷ついていても、どんなに反抗されても、私たちが一生かけてこの子を守り抜く。」
それを読んだ少年は、ポロポロと大粒の涙を流し、初めてお父さんの胸で声を上げて泣き崩れました。 「僕が『良い子』だったから選ばれたんじゃない。僕が何をする前から、こんなに前から、ずっと愛されて、選ばれていたんだ」と気づいたからです。その日から、少年の心のトゲは少しずつ抜け落ちていきました。

「心の目が開かれる」とは、この安心感に浸ること

パウロが語った「世界の基が置かれる前からの選び」とは、まさにこの古い日記帳と同じです。

自分が神様を握っているのではなく、神様が握っている

私たちは人生の困難にぶつかったり、大きな罪を犯したりすると、「あぁ、もう神様に見捨てられてしまうかもしれない」「私の信仰が足りないからだ」と不安になります。それは、「自分が頑張って神様の手を握りしめている」と勘違いしているからです。
しかし、神の選びの教義が教えているのは、「あなたが神様を選んだのではなく、神様が永遠の昔からあなたを選び、その力強い手であなたを握りしめているという事実です。 私たちがどれほど失敗し、もがき、神様に対して「コップを投げつける」ような反抗をしたとしても、神様は「天地が造られる前から、あなたを私の子どもにすると決めていた。その決意が、あなたの失敗くらいで揺らぐことは決してない」と、私たちを強く抱きしめてくださるのです。

揺るがない土台の上に立つ

パウロが「心の目が開かれて……神の計り知れない力がどれほど素晴らしいかを知ることができるように」と祈ったのは、私たちがこの「究極の安心感」に気づくためでした。
心の目が開かれると、人生の景色が全く違って見えます。 「救われるために、もっと頑張らなければ」という焦りから解放され、「こんなにも愛され、選ばれているのだから、安心して今日を生きよう」という深い平安へと変わります。そしてこのような愛で愛して下さっている神様の為に生きたい。神様を喜ばせたいと願うようになります。これこそが、キリストの血によって罪が赦され、「あなたは間違いなく私の相続人だ」という聖霊のハンコ(保証)を押された者の、絶対的な喜びなのです。
エペソ人への手紙が語る「神の選び」は、神様からの最も温かく、決して破られることのない永遠の誓いです。この無条件の愛の土台を知る時、私たちは本当の意味で心からの安らぎを得ることができます。
この「天地創造の前から、あなたは愛され選ばれていた」という事実を知ることは、日々の歩みや、現在抱えておられる葛藤に対して、どのような心の変化をもたらすでしょうか?

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事