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【聖書通読 第23週3日目】新たな契約の更新と、接ぎ木された異邦人の恵み(申命記29章ローマ11章)
モアブでの契約更新と、本来は神の民でなかった私たちがオリーブの木に接ぎ木されたという驚くべき奥義を読みます。神の深く豊かな知恵に賛美を捧げます。
【旧約】申命記 29章
申命記29章は、いよいよ約束の地を目前にしたモアブの平野で、神様とイスラエルの民とが結んだ「契約の更新」の場面です。
モーセはまず、エジプトでの劇的な救出劇や、荒野を旅した40年間を振り返ります。「荒野を四十年の間、わたしはあなたがたを導いたが、あなたがたの着物は身に古びず、くつは足にすり切れなかった」という奇跡を思い起こさせます。これは、夫婦が長年連れ添った後に、これまでの真実な愛を振り返りながら「もう一度、愛の誓いを新たにしよう」と誓い合うようなものです。
しかし同時に、モーセは厳しい警告も与えます。契約の場にいながら、心の中では神様から離れ、偶像(自分を喜ばせる別のもの)に心を奪われている者がいるかもしれないからです。そのような者が心の中で「自分の心の頑なさのままに歩んでも、私には平安がある(自分だけは大丈夫だ)」と高ぶるなら、神の激しい怒りが下ると語られます。
これは、立派な家の見えない柱の中で、白アリが静かに巣食っているような状態です。外見は問題なく見えても、内側の小さな高慢や偶像礼拝の罪が、やがて本人だけでなく共同体全体を崩壊させてしまうからです。
章の最後に、有名な御言葉が記されています。
「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこの律法のすべてのことばを行うためである。」(申命記 29:29)
世の中には、私たちの理解を超えた「なぜ?」という隠された事柄(神様の奥義)がたくさんあります。しかし神様は、私たちが今日を生きるために必要な「現されたみことば」をすでに十分に与えてくださっています。分からないことを自分の頭で無理にこじ開けようとするのではなく、今、手元に与えられている光(みことば)に忠実に歩むこと。それが契約の民の生き方なのです。
【新約】ローマ人への手紙 11章
ローマ人への手紙11章は、パウロが神様の壮大な救いの歴史の奥義を解き明かす、非常に感動的な章です。
パウロは「神はご自分の民(ユダヤ人)を退けてしまわれたのでしょうか」と問いかけ、「絶対にそんなことはありません」と答えます。そして、この救いの歴史を「オリーブの木」の接ぎ木(つぎき)に例えて説明します。
通常の農業における接ぎ木は、生命力の強い「野生の根」に、美味しい実をつける「良い枝」を接ぐのが一般的です。しかし、神様が行われた接ぎ木は全くの逆でした。
元々の栽培された良いオリーブの木(神様の契約と祝福の根を持つイスラエル)から、不信仰のゆえにいくつかの枝が切り落とされました。そして、代わりにそこに接ぎ木されたのが、「野生のオリーブ」である私たち異邦人(ユダヤ人以外のすべての人)なのです。
野生のオリーブは、放っておけば渋くて苦い実しか結ばない、何の霊的遺産も持たない者たちです。しかし、私たちがキリストを信じたとき、神様はこの野生の枝を、豊かな養分を持つ「本来のオリーブの根」にしっかりと繋いでくださいました。私たちが今、喜びや平安という豊かな実を結べるのは、私たちが立派な枝だからではありません。ただ、根(キリストと神の真実な約束)が私たちを支え、豊かな樹液を流し込んでくれているからです。
「もしあなたが誇るなら、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えていることを思い起こすべきです。」(ローマ 11:18)
だからこそ、私たちは「自分はユダヤ人より優れている」などと高ぶってはなりません。神様の究極の計画は、私たちが救われた恵みを見て、ユダヤ人たちが「ねたみ(あの祝福は本来自分たちのものだったのに、という強い渇望)」を起こし、再び彼らも救いに立ち返ることなのです。
この壮大なスケールの救いのドラマを前に、パウロはひれ伏して賛美します。
「ああ、神の知恵と知識の富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。」(ローマ 11:33)
今日の薦め
私たちは、放っておけば自分勝手な方向に伸び、苦い実しか結ばない「野生のオリーブの枝」でした。しかし神様は、そんな私たちをあわれみ、ご自身の豊かな命の木に接ぎ木してくださったのです。
今日、「自分だけは平安だ」「自分の努力で実を結んでいるのだ」という高慢な心を捨てましょう。そして、申命記が教えるように、今与えられている「現されたみことば」を大切に握りしめてください。あなたの命を支え、豊かな養分を流し込んでくださっているキリストという「根」に深く寄り頼み、ただ圧倒的な恵みに感謝を捧げる、へりくだった喜びの一日を過ごしましょう。

