人間の思惑を超える神の絶対的な主権 「異邦人の口から宣言される主の御心 〜人間の思惑を超える神の摂理〜」
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人間の思惑を超える神の絶対的な主権

「異邦人の口から宣言される主の御心 〜人間の思惑を超える神の摂理〜」

皆さん、私たちの人生において、「神様は本当に働いておられるのだろうか?」と疑いたくなるような暗闇の時期を通ることがあります。周囲は神様を知らない人ばかりで、世の中の大きな力や理不尽な状況にただ流されているように感じる時です。しかし、聖書を通して見えてくるのは、神様は人間の思惑やこの世の権力すらも用いて、ご自身の壮大な計画を成し遂げられる方であるという真理です。今日は「異邦人の口から宣言される主の御心」というテーマで、歴代誌とヨハネの福音書から、神様の絶対的な主権についてご一緒に見ていきたいと思います。

絶望の歴史を動かしたペルシア王クロス

歴代誌第二の最後(36章)には、ユダ王国が自らの罪によって滅び、民がバビロンへ捕囚として引かれていく悲劇が記されています。神殿は焼け落ち、故郷を失い、彼らは異国の地で深い絶望の中にありました。この暗闇は70年間にも及び、誰もが「自分たちの歴史はもう終わった」と思ったことでしょう。彼ら自身の力では、もはや現状を覆すことは不可能でした。
しかしその時、驚くべきことが起こります。神様は、イスラエルの神を知らない異邦人のペルシア王、クロスの心を動かされたのです。クロスは勅令を出し、「天の神、主は……エルサレムに主のための宮を建てることを私に委ねられた」と宣言し、民の帰還を許しました。
これは例えるなら、「絶対に開かないと諦めていた分厚い牢獄の扉が、外側にいる見知らぬ人の手によって、突然マスターキーで開けられた」ような出来事です。神様は、絶望のどん底にある民を救うために、当時の世界最強の権力者の口さえも用いて、ご自身の約束を果たされました。人間の力が尽きたところで、神様の主権が鮮やかに現れたのです

十字架上に掲げられた「真の王」の宣言

この神様の主権は、新約聖書のヨハネの福音書19章でも驚くべき形で現れます。
イエス・キリストが十字架につけられた時、宗教指導者たちは主を嘲り、弟子たちは恐れて逃げ去っていました。人間的な視点では最大の敗北であり、完全な悲劇です。ところが、イエスを死刑に定めたローマ帝国の総督ピラトが、十字架の上に一つの罪状書きを掲げさせました。そこには「ユダヤ人の王、ナザレの人イエス」と書かれていました。
ユダヤ人の指導者たちは猛反発し、「『彼はユダヤ人の王と自称した』と書き直してくれ」と要求します。しかしピラトは、「私が書いたことは、書いたままにしておけ」と冷たく突き放しました。
特筆すべきは、この文字がヘブル語、ラテン語、ギリシア語の3つの言語で書かれていたことです。ヘブル語は「宗教」の言葉ラテン語は「政治と法」の言葉ギリシア語は「文化と学問」の言葉でした。神を知らない冷酷なローマの総督を通して、意図せずして「この方こそ、世界のすべての領域を治める真の王である」という福音が、全世界に向けて布告されたのです。ピラト自身は単なる政治的な当てつけや皮肉のつもりだったかもしれませんが、神様は彼の頑なさすら利用して、究極の真理を歴史に永遠に刻み込みました。

思いがけない人を通して語られる神の愛

現代を生きる私たちの日常にも、これと同じように「思いがけないところから」神様の御心が示されることがあります
あるクリスチャンの女性のエピソードをご紹介します。彼女は職場で複雑な人間関係に疲れ果て、次第に信仰の喜びも失い、「神様は本当に私を助けてくれるのだろうか」と深く落ち込んでいました。日曜日になっても教会に行く気力すら湧きませんでした。
ある日の昼休み、暗い顔でため息をついていた彼女に、普段は信仰の話など一切しない、無神論者を自称する同僚がふと声をかけてきました。
「なんだか最近、すごく辛そうだね。でもさ、君がいつも信じてる神様って、『どんな時でも絶対に見捨てない』っていうのがウリじゃなかったっけ? だったら、今はその神様に全部丸投げして、思い切って休んでみたら?」
その言葉を聞いた瞬間、彼女はハッとしました。聖書を全く読まない同僚の口から、彼女が今最も必要としていた「神の真実」が語られたからです。彼女は、神様がこの同僚を通して「わたしはあなたを見捨てていないよ。安心して委ねなさい」と語りかけてくださったのだと涙と共に確信し、再び立ち上がる力を得ました。神様は、私たちが予期しないルートを使ってでも、必ずご自身の愛と御心を届けてくださるのです。

全てを益とされる主権者なる神

私たちは時として、自分たちを取り巻く社会や状況が神様から遠く離れているように感じて不安になります。世の中の不条理や、力を持つ者たちの思惑に押しつぶされそうになるかもしれません。
しかし、バビロン捕囚の絶望の中でクロス王の口を開かせ、ゴルゴタの丘でピラトに真の王を宣言させた神様は、今も生きておられます。人間の悪意、保身、あるいは無関心でさえも、神様の絶対的な主権の中では、恵みと救いの計画を前に進めるための一つのピースに過ぎないのです。
私たちの人生に起こる出来事、出会う人々、そのすべてを支配し、働かせて益としてくださる神様を信頼しましょう。ピラトが言った「私が書いたことは、書いたままにしておけ」という言葉のように、神様があなたの人生に書き記した「救い」と「愛」の計画は、この世の誰の思惑によっても決して消し去られることはありません。その主権者なる神様に、今日、私たちのすべての重荷を委ねて歩んで行きましょう。
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