
この記事の目次
①神様は本当に私を守ってくださるのか?イザヤ41章10節に学ぶ「神の守り」と「恐れるな」の本当の意味
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ41章10節)
「本当に神様は私を守ってくださるのだろうか」
人生には、不安になる出来事がたくさんあります。
病気になったとき。お金の問題が起こったとき。家族のことで悩むとき。
将来が見えなくなったとき。
私たちは「神様、本当に守ってくださるのでしょうか」と問いかけたくなります。しかし神様は、そのような私たちに向かって「恐れるな」と語られます。
しかも神様は、「恐れるな。あなたは強いから。」とは言われません。
「恐れるな。あなたなら大丈夫だから。」とも言われません。
神様は、
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。」と言われるのです。
私たちの安心の根拠は、自分の強さではありません。神様の存在なのです。
神様とはどのようなお方なのか
イザヤ41章10節を見ると、神様ご自身について多くのことが分かります。
神様はともにいてくださるお方
神様は、「頑張りなさい。私は遠くから見ている。」とは言われません。
「わたしはあなたとともにいる。」と言われます。
聖書の神様は遠く離れた神様ではありません。ともに歩いてくださる神様です。
ある幼い子どもが夜道を歩いていました。真っ暗な道です。風も吹いています。しかしその子は泣きませんでした。なぜでしょうか。父親が隣にいたからです。暗闇が消えたわけではありません。道が明るくなったわけでもありません。でも、お父さんがいるから安心できたのです。
信仰も同じです。
問題がなくなることが平安ではありません。神様がともにいてくださることが平安なのです。
神様は約束を守るお方
人間は約束を破ることがあります。忘れることもあります。できないこともあります。
しかし神様は違います。神様は全能者です。約束したことを必ず実現されます。だから私たちは神様の言葉を信頼することができるのです。
私たちは神様の前でどのような存在なのか
では私たちはどうでしょうか。
私たちは弱い存在です
聖書は人間を必要以上に持ち上げません。私たちは弱いのです。昨日まで元気だったのに今日は落ち込む。「心配しない」と決めても心配する。「怒らない」と決めても怒ってしまう。まるで風に揺れる小舟のようです。
だから神様は「恐れるな」と語られるのです。強い人にはその言葉は必要ありません。弱い私たちだから必要なのです。
私たちは罪人です
さらに聖書は、人間が神様から離れてしまった罪人であることを教えます。
本来、神様に従うべきなのに、自分中心に生きてしまう。
それが罪です。
しかし驚くべきことに、神様はそのような私たちを見捨てませんでした。御子イエス・キリストを十字架につけるほどに愛してくださいました。神様が私たちを守る理由は、私たちが立派だからではありません。
神様が愛だからです。
「恐れるな」「たじろぐな」とはどういう意味か
「恐れるな」とは
恐れとは、未来に対する不安です。まだ起こっていないことを想像して苦しむことです。
しかし神様は、「未来はわたしの手の中にある。」と言われます。だから恐れなくてよいのです。
「たじろぐな」とは
たじろぐとは、『驚いて後ずさりすること』。『不安で足がすくむこと』。
『動揺して立ち尽くしてしまうこと』です。
人生にはたじろぐ出来事があります。突然の病気。予想外の失業。大切な人との別れ。思いがけない試練。
そのとき神様は、「後ずさりするな。」「逃げ出すな。」「わたしがあなたの神だから。」と言われます。ここに大きな励ましがあります。
神様は、
「恐れるな。あなたは立派だから。」とは言われません。「わたしがあなたの神だから。」と言われます。
つまり信仰の中心は私ではなく神様なのです。

