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【聖書通読2週目1日目】戦いのあとに。宝の置き場所が心を決める(創14〜15/マタ6)
バベルの塔の物語のあと。
世界は「言葉の混乱」と「分散」を経験しました。
人の力で一つになろうとすると。
かえってバラバラになる。
この現実を見ると。
少し気持ちが落ち込みそうになります。
でも聖書通読の面白さは。
次の章で空気がガラッと変わることです。
神は混乱を放置せず。
「守り」と「約束」と「生き方」を。
はっきり示してくださいます。
今日の創世記は。
外側の戦いの物語です。
しかし勝利のあとにこそ。
内側の戦いが始まります。
誇り。
取り分。
不安。
心配。
「自分で守らなきゃ」という焦り。
そしてマタイ6章は。
その内側の戦いに。
救い主イエスが答えてくださる章です。
宝をどこに置くか。
誰に仕えるか。
思い煩いに飲まれないために。
何を第一にするか。
今日のテーマはこれです。
「恐れるな(創15)。
思い煩うな(マタ6)。
十字架と復活の主が。
あなたの心の宝箱を守ってくださる」。
通読はこのつながりが見えるから。
読むほどに。
心の姿勢が整っていきます。
今日のテーマ
「恐れるな」と「思い煩うな」は同じ主の声(創15/マタ6)
創世記15章で神は。
「恐れるな。わたしはあなたの盾である」。
と語られます。
マタイ6章で主イエスは。
「思い煩うな」。
「まず神の国とその義を求めよ」。
と語られます。
この二つは。
別々の言葉ではありません。
同じ神の声です。
同じ救い主の声です。
そしてその声は。
十字架に向かい。
復活によって命を開く方の声です。
だから。
「恐れるな」。
「思い煩うな」。
は気合いの励ましではなく。
福音の土台に立つ確かな招きです。
創世記14〜15章
勝利のあとに来る誘惑は「誇り」と「自己証明」
創世記14章でアブラムは。
戦いに勝ち。
ロトを救い出します。

拍手したくなる働きです。
でも聖書は。
ここで終わらせません。
勝利のあとにこそ。
心が試されるからです。
たとえるなら。
仕事で成果が出た直後に。
「もう大丈夫」と気が緩み。
小さな穴が空いてしまうことがあります。
そこから。
傲慢や比較や焦りが入り込む。
あるいは。
ダイエットで体重が落ちた直後に。
安心してご褒美が続き。
気づけば元に戻ってしまう。
勝利のあとほど。
油断が入りやすいのです。
アブラムにも。
勝利のあとに。
誇りと自己証明の誘惑が来ます。
「自分は強い」。
「自分は正しい」。
「自分で守れた」。
そう思わせる誘惑です。
だから神は。
勝利の直後に。
祝福と約束を置かれます。
あなたの力ではない。
わたしが守った。
わたしが導く。
その方向へ。
心を戻すためです。
メルキゼデクの祝福は「恵みが先」という福音の順番
そこへ現れるのがメルキゼデクです。
彼はパンとぶどう酒を携え。
アブラムを祝福します。
ここが美しいのは。
アブラムが祝福を勝ち取ったのではなく。
神の祝福が先に与えられていることです。
アブラムは。
その恵みに応答して。
十分の一をささげます。
これは福音の順番です。
私たちは。
立派になって救われるのではありません。
恵みが先に来ます。
赦しが先に与えられます。
そして私たちは。
感謝で応答します。
パンとぶどう酒の姿は。
後に。
十字架による新しい契約を思い起こさせます。
旧約の出来事の背後に。
すでに救い主の影が見えてくる。
それが通読の醍醐味です。
「恐れるな。わたしは盾」契約の確かさが心を支える
創世記15章で神は。
アブラムに言われます。
「恐れるな」。
「わたしはあなたの盾」。
恐れとは。
敵だけではありません。
将来が見えない恐れ。
失う恐れ。
自分の弱さの恐れ。
「守り切れない」恐れです。
神はそこで。
約束をもって答えられます。
子孫の約束。
地の約束。
そして契約です。
契約には重みがあります。
軽い約束ではありません。
後にその究極は。
キリストの血によって立てられます。
救いは口約束ではなく。
十字架という代価を払った確かな恵みです。
だから。
「恐れるな」は。
根拠のない励ましではありません。
神ご自身が。
盾として立つという誓いなのです。
マタイ6章
宝は心のハンドル。置き場所が“思い煩い”を決める
マタイ6章で主イエスは。
「宝を天に積みなさい」。
と語られます。
そして核心を言われます。
「あなたの宝のあるところに。
あなたの心もある」。
ここが非常に現実的です。
心は。
気合いだけでは整いません。
宝が置かれている方向へ。
心は引っぱられます。
宝がハンドルを握るからです。
たとえるなら。
リュックの重心です。
重いものが偏(かたよ)ると。
歩くほど疲れます。
心も同じで。
宝が地上に偏(かたよ)ると。
いつも心が凝ります。
いつも緊張します。
だから思い煩いが増えていきます。
主はさらに言われます。
「二人の主人に仕えることはできない」。
心の王座は二つ置けない。
だから。
神を第一にせよ。
という招きです。
「思い煩うな」は福音の土台に立つ言葉
マタイ6章の後半で。
主は言われます。
「思い煩うな」。
鳥を養い。
野の花を装う父なる神が。
あなたを忘れるはずがない。
そしてまとめとして。
「まず神の国とその義を求めよ」。
と語られます。
これは現実逃避ではありません。
現実を生き抜くための中心線です。
中心がズレると不安が増えます。
中心が整うと現実を歩きやすくなります。
主はその道を示してくださるのです。
そしてここでも。
十字架と復活が背後に見えます。
この言葉を語る方は。
やがて十字架へ向かい。
復活で命を開く方です。
だから。
「思い煩うな」は。
「あなたの罪は赦された」。
「あなたの未来は開かれた」。
という土台の上に立つ。
確かな励ましなのです。
つながり
創15の「盾」と、マタ6の「父の養い」は同じ救いの光
創世記では。
神が盾となり。
契約で恐れに答えます。
マタイでは。
神が人となって来られ。
宝の置き場所を教え。
思い煩いから救い出します。
旧約は。
「盾である」と約束し。
新約は。
「その盾があなたの前に立っている」と示します。
その盾こそ。
十字架で罪を受け止め。
復活で死に勝った主。
イエス・キリストです。
点が線になり。
線が道になる。
それが通読の力です。
まとめ
今日の一歩です
今日。
一つだけでいいので。
あなたの宝の置き場所を点検してください。
今いちばん心を占領している心配は何ですか。
それを一つ。
紙に書いてください。
そしてその横に。
小さくこう書いてください。
「主よ。
あなたが盾です」。
そして短く祈りましょう。
「主よ。
私は心配しやすい土の器です。
でもあなたは。
十字架で私を赦し。
復活で私の明日を開いてくださいました。
今日。
私の宝をあなたに置きます。
まず神の国を求める心をください」。
通読は毎日小さな一歩です。
でも一年後。
大きな景色になります。
恐れと心配に引きずられていた心が。
少しずつ。
主の約束に立つ心へ変えられていきます。
今日も一緒に進みましょう。
「恐れるな」。
「思い煩うな」。
その声が。
あなたの一日に。
静かな勇気を与えてくださいます。

