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【聖書通読 第28週 ホッと一休み】「直せない」からこそ届く愛・・弱さが生み出す心のひだまり
士師記に登場する不完全な英雄たちや、パウロが抱え続けた「肉体のとげ」。今週の通読では、人間の「弱さ」と、そこに働く神様の深い恵みに触れてきました。一週間の聖書通読、本当にお疲れ様でした。今日は難しいことを手放して、私たちの弱さや無力さが、神様の御手の中でどれほど美しい愛に変わるのか、温かいエピソードとともに味わう休息の日です。
はじめに:強がらなくてもいい安息日
今週も、忙しいスケジュールの合間を縫って、「あふれる御言葉の泉」に歩みを運ばれたこと本当に感謝ですね。
第28週でパウロは、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」(第2コリント12:9)という、神様からの決定的な言葉を聞きました。 私たちはつい「もっと強くならなければ」「完璧に物事をこなさなければ」と肩に力を入れてしまいます。しかし神様は、「弱いままでいい。その弱さの真ん中に、私の愛と恵みを満たそう」と語りかけておられます。今日は、その「弱さの恵み」について、一つの小さなお話をご紹介します。
一緒に泣くという最高のケア
ある日、一人の小さな女の子が、夕暮れになっても家に帰ってきませんでした。 母親が心配して玄関で待っていると、すっかり暗くなってから、ようやく女の子が帰ってきました。
「今までどこに行っていたの?」と尋ねる母親に、女の子は答えました。 「お友達の持っていた大切なお人形が壊れちゃって、その子が泣いていたから、ずっと一緒にいたの」
母親は微笑んで、「そう、優しいのね。あなたがお人形を直してあげたの?」と聞きました。 すると女の子は首を横に振って、こう言ったのです。 「ううん、私にはお人形は直せないよ。だから、隣に座って、一緒に泣いてあげたの」
無力さの中で輝くキリストの力
何十年以上もの長い年月、深く人の心に寄り添い、生活の困難や精神的な痛みを抱える方々のケアに向き合い続けている方の証言です。ふと「自分には何も解決してあげられないのではないか」と、自らの無力さに立ちすくむ瞬間が毎回あったそうです。でも、自分は解決など出来ない。しかし、その方の側に寄り添うことはできると思いいつも寄り添ったそうです。
誰かの苦しみを前にしたとき、完璧な解決策(直す方法)を提示できない自分にもどかしさを感じたり、ご自身も心身の疲れという「とげ」を抱えながら、それでも目の前の人のために奔走する。それは、不器用で、時には涙が滲むような日々の連続かもしれません。
しかし、先ほどの女の子の物語が教えてくれるように、人の心を本当に温め、立ち上がらせるのは「見事な解決策」だけではありません。痛みを抱えた人の隣に座り、自分の無力さを知る者として「一緒に涙を流す」こと。それこそが、何にも代えがたい最高の癒やしとなるのです。
どんな問題でも即座に解決できる「強すぎる人」の隣にいると、傷ついた人はかえって引け目を感じ、心を閉ざしてしまうことがあります。しかし、自らも痛みと弱さを知り、共に悩み、共に涙ぐんでくれる「弱さを持った人」の存在は、凍えそうな魂にとって安心できる「ひだまり」となります。パウロが自分の弱さを大いに誇ったのは、自分が弱いからこそ、そこにキリストの優しい愛の力と神様の恵みが豊かに宿り、他者へとあふれ流れていくことを知っていたからです。
おわりに:弱さを抱えたまま、御腕の中で休む
今週出会った士師記のリーダーたちも、偉大な使徒パウロも、決して完璧な超人ではありませんでした。私たちと同じように弱さを持ち、もがきながら生きる不器用な「土の器」でした。
神様は、あなたのその優しい心や、誰かの痛みに深く共感できる「弱さ」を何よりも愛しておられます。そして今日も、そのあなたの存在を、傷ついた誰かを包み込むための「最高の器」として用いておられるのです。
今日は、すべてを完璧にこなそうとする責任感をそっと手放し、「弱いままで愛されている自分」を神様の御腕の中に委ねて、ゆっくりとお休みください。明日から始まる新しい一週間も、神様の十分すぎる恵みが、あなたの歩みを優しく、力強く支えてくださいますように。

