【聖書通読 第29週 5日目】偉ぶるいばらよりも「人を潤すオリーブ」へ――そして、奴隷の恐れから「神の子」の自由へ

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【聖書通読 第29週 5日目】偉ぶるいばらよりも「人を潤すオリーブ」へ――そして、奴隷の恐れから「神の子」の自由へ

士師記9章からは、自己顕示欲にまみれたリーダーシップの悲劇と、静かに他者の人生を支え、潤すことの尊さを「木々の例え」から学びます。ガラテヤ書4章からは、厳しいルールの管理下(後見人の下)にある状態から、無条件の愛に包まれた「神の子」へと引き上げられた、私たちの輝かしい身分と特権を味わう一日です。

【旧約】士師記 9章:誰かの人生を支える「オリーブの喜び」

ギデオンの死後、彼の子であるアビメレクは権力への野望に燃え、自分の兄弟70人を虐殺するという残酷な手段で王の座を奪い取ります。その虐殺から唯一生き残った末っ子のヨタムは、人々の前で有名な「木々の王様選び」という例え話を語りました。

森の木々が、自分たちの王様を選ぼうとしました。 最初にオリーブの木に頼むと、オリーブは「人や神を豊かにする私の油を捨ててまで、他の木々の上に揺ぶり出る(偉ぶる)ことなどできない」と断りました。次にいちじくの木、ぶどうの木にも頼みますが、彼らも「私の甘い実や、人を喜ばせるぶどう酒を捨ててまで、王にはなりたくない」と断ります。 最後に、実を結ばず、人に刺さって傷つけるだけの「いばら(アビメレクを指す)」に頼むと、いばらは大喜びで「私の陰に身を避けよ」と王の座に就いたのです。

この例え話は、人間の持つ「自己顕示欲」と「本当の豊かさ」の本質を鋭く突いています。 地位や名声、他者の上に立つ「役職」ばかりを追い求める人は、いばらのように周囲を傷つけ、やがてアビメレクが悲惨な最期を遂げたように、自らの野望の火で自滅してしまいます。

一方で、日々の生活の中で誰かの痛みに寄り添い、人生の困難をサポートし、心身のケアに奔走するような働きは、決して派手なスポットライトを浴びるものではありません。しかし、それこそが「オリーブの油」や「いちじくの甘さ」のように、乾いた人々の心を深く潤し、生かすための最も尊い実なのです。 「誰かの上に立って支配する」ことよりも、「誰かの隣に立って、その人を豊かに支える」ことに喜びを見出す。それこそが、神様が喜ばれる真のリーダーシップの姿です。

【新約】ガラテヤ 4章:「ルールの奴隷」から「愛する子ども」へ

パウロはガラテヤ4章で、私たちの救いの素晴らしさを語るために、当時の法律や財産管理の仕組みを用いた非常に興味深い例えを用いています。

「相続人は、全財産の持ち主であっても、子どものうちは奴隷と少しも違わず、父が定めた日までは、後見人や管理者の下にいます。」(ガラテヤ4:1-2)

大富豪の跡取り息子であっても、幼いうちは自分勝手に財産を使うことはできず、厳格な後見人(財産管理人)の下で「ルール」に従って生活しなければなりません。これは、私たちがキリストに出会う前、「律法(ルール)」という厳しい管理下にあった状態を表しています。 しかし、定めの時が来て、神様は御子イエス様を遣わし、私たちをその厳しいルールの管理から買い戻して(解放して)くださいました。私たちはもはや、失敗すれば叱られる「管理下の奴隷」ではなく、すべての権利を与えられた「神の子ども」へと引き上げられたのです。

ある施設で育ち、厳格なルールの下で「失敗したら罰を与えられる」と怯えながら生きてきた子どもがいたとします。ある日、とても優しく愛情深いお父さんが、その子を自分の「養子」として家族に迎え入れました。 最初のうち、その子は家の中でジュースをこぼしてしまった時、「ごめんなさい!ぶたないで!」と頭を抱えて震えていました。ルールを破れば罰せられるという「奴隷の心」が抜けていなかったからです。 しかし、新しいお父さんは静かに近づき、その子を抱きしめてこう言いました。 「大丈夫だよ。ここはルールであなたを縛る場所じゃない。あなたは私の愛する子どもなんだから。」

私たちが神様に向かって「アバ、父よ(パパ、お父さん)」と呼ぶことができるのは、キリストの十字架によって、この「絶対に見捨てられない家族の関係」に入れられたからです。 神様は、私たちの人生を冷酷にジャッジする厳しい管理者ではありません。失敗してジュースをこぼしてしまった時も、決して見捨てることなく、温かく抱きしめて共に拭いてくださる最高のお父様なのです。

今日一日の神様からの奨め

今日、もしあなたが「自分は誰からも評価されていないのではないか」と感じることがあっても、安心してください。あなたが誰かのために流しているオリーブの油のような献身と優しさを、天のお父様はすべて見て、心から喜んでおられます。いばらのように背伸びをする必要はありません。

そして、日々の歩みの中で「もっとちゃんとルールを守らなければ、クリスチャンとして失格だ」と自分を厳しく管理(ジャッジ)しそうになった時は、一度立ち止まって深呼吸してください。 あなたはもう、ルールの顔色をうかがう奴隷ではありません。「アバ、父よ」と呼びかけ、その広くて温かい胸に飛び込み、無条件の愛の中で羽を伸ばして憩う、素晴らしい恵みの一日となりますように。

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