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【聖書通読 第27週 2日目】ためらいを捨てる「信仰の踏み出し」と、闇を打ち破る「赦しとキリストの香り」
ヨシュア記からは、約束の地を前にしてためらう民に奮起を促すヨシュアの姿を通して、神様の恵みを受け取るための「行動する信仰」を学びます。第二コリントからは、過ちを犯した者を赦すことの重要性と、私たちが放つ「キリストの香り」について深く心に刻む一日です。
【旧約】ヨシュア記 18章 の解説
ヨシュア記18章では、イスラエルの全会衆がシロに集まり、そこに「会見の天幕(神様の臨在の象徴)」が立てられます。しかし、ここで不思議なことが起きています。すでに主要な部族は土地を受け取っていたにもかかわらず、残りの7つの部族は、自分たちの土地を受け取ろうとせず、ただじっと待機していたのです。
しびれを切らしたヨシュアは彼らを厳しく叱責します。「あなたがたは、神である主があなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、いつまでためらっているのか」。
なぜ彼らはためらっていたのでしょうか。それは、新天地を調査し、そこに残っている敵と戦い、自分たちで町を築き上げるという「開拓の苦労」から逃げたかったからです。荒野を放浪し、天幕(テント)で寝泊まりして、ただマナを食べていればよかった「これまでの楽な生活」に甘んじていたのです。
これは、莫大な遺産の「権利書」をプレゼントされていながら、「手続きや家の管理が面倒くさいから」と言って、いつまでも受け取ろうとしない状態と同じです。神様は私たちに、「深い平安」や「愛の交わり」「新しい使命」という素晴らしい霊的遺産を約束してくださっています。しかし、私たちが「いつか時間ができたら」「もっと信仰が成長したら」と理由をつけて、平穏無事な安全なテントの中に引きこもっているなら、その恵みはいつまでたっても自分のものにはなりません。
ヨシュアの「いつまでためらっているのか」という言葉は、現代の私たちへの神様からの力強い呼びかけでもあります。恵みを自分のものにするための「具体的な一歩」を、今日、勇気を出して踏み出してみましょう。
【新約】第二コリント 2章 の解説
第二コリント2章でパウロは、以前コリント教会の中で深刻な問題を起こし、パウロや教会を深く悲しませた「ある人物」に対するその後の対応について語っています。教会はその人物を正しく訓練(懲戒)し、彼は深く反省していました。そこでパウロは、「今はもう彼を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、彼は悲しみすぎて押しつぶされてしまう」と優しく命じています。
私たちが誰かからひどく傷つけられたとき、相手が反省していても、「そう簡単に赦してなるものか」と心を閉ざしてしまうことがあります。しかしパウロは、「私たちがサタンに欺かれないためです」と警告しています。サタン(悪魔)が最も喜ぶのは、私たちが「正義感」という名の下に「赦さない心(苦々しさ)」を握りしめ続け、教会の愛の交わりが内側から腐っていくことなのです。
作家のマーク・トウェインは、「赦しとは、自分を踏みつけた靴のかかとに、スミレの花が放つ香りのことだ」という美しい言葉を残しました。
踏みにじられた痛みを抱えながらも、神様の愛ゆえに相手を赦し、手放すとき、そこには最も気高く美しい「キリストの香り」が放たれます。パウロはこの章の後半で、私たちクリスチャンを「キリストの香り」と呼んでいます。赦すことは決して簡単なことではありません。しかし、十字架の上で私たちのすべての罪を無条件に赦してくださったキリストの圧倒的な愛に触れるとき、私たちは苦々しさを手放し、周囲の人々を生かす「赦しの香り」を放つ者へと変えられていくのです。
今日の神様からの奨め
今日、あなたが「やらなければと思っているけれど、面倒で先延ばしにしていること(未開拓の地)」があるなら、言い訳のテントから思い切って一歩踏み出してみましょう。神様は行動する者に豊かな恵みを用意しておられます。
また、もしあなたの心の中に「どうしてもあの人が赦せない」と握りしめている思いがあるなら、十字架のイエス様を見上げてみてください。無理に感情を消す必要はありません。「主よ、私には赦せません。あなたの愛で私を満たしてください」と祈るとき、あなたの心から優しいキリストの香りが放たれる、素晴らしい一日となりますように。
